2025年03月18日

ヴェネチア サンマルコだった




今まで、再三紹介してきた、このアラルコン指揮のヴィヴァルディ
In memoria aeternam
RV795  Beatus Vir の一部
は、ヴェネチアのサンマルコでの演奏会ライブ動画のようである。

ヴィヴァルディのヴェスパースというタイトルがついた2時間近い、MEZZOのクレジットが入った動画
である。該当部分へ飛ぶリンクのURLを下記においておく。

Vivaldi Vespro a San Marco Vespers for Saint Mark Leonardo García Alarcón Les Agrémens
RV795  Beatus Vir   In memoria Aeterna
https://youtu.be/GtZwVuy-Ynw?t=4848

ただ、ガーディナーがやった歴史的ライブのときとは、聖堂内の場所が別なようであり、ガーディナーのときのようなきらびやかな場所ではない。ガーディナーのときは内陣のついたて、ヴェネチア・ビザンチン美術の至宝 Ca d'Oroを背景にしていたからねえ。あるいは、そういうのは現在は付設美術館に移したのかもしれない。

いづれにせよ、歴史的建造物の中での晴れのイベントなのだから、そうとう力が入っているのは理解できる。


Vivaldi Vespro a San Marco Vespers for Saint Mark Leonardo García Alarcón Les Agrémens
RV795  Beatus Vir   In memoria Aeterna

https://youtu.be/GtZwVuy-Ynw?t=4848

Vespri Solenni per la Basilica di San Marco in Venezia [Vespers for Patriarchal Cathedral Basilica of Saint Mark in Venice] or Vespro per la Sacra Vergine  [vêpres pour la Vierge] [Vesper for the Blessed Virgin Mary]
Leonardo García Alarcón conducts Les Agrémens
Sopranos: Soledad de la Rosa, Mariana Flores; Alto: Evelyn Ramirez; Countertenor: Fabian Schofrin; Tenors: Valerio Contaldo, Fernando Guimaraes; Bass: Alejandro Meerapfel
Choeur de chambre de Namur
posted by 山科玲児 at 06:35| Comment(0) | 日記

2025年03月17日

甲骨文の写真

甲骨文Image3.jpg

 甲骨文の発掘した実物、拓本や書き起こしではなく、文字が刻まれた亀の腹甲や牛の肩甲骨そのものの写真例をだそうとすると結構難しい。立体物なので、写真著作権があるからだ。上のイメージは、東京国立博物館で当方が撮った写真だが、これくらいが限界だろうか。
 困ったことに、大きな亀の甲などの写真は大抵ニセモノであって、昔wikipediaに麗々しくでていた亀甲も一目でわかる真っ赤なニセモノだった。
  https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%94%B2%E9%AA%A8%E6%96%87%E5%AD%97&oldid=51405753
 あまりにひどいので、ようやくだれかがアップしてくれた北京国家博物館のイメージに当方が差し替えたぐらいだ。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E9%AA%A8%E6%96%87%E5%AD%97
 発掘された甲骨文とくに亀のほうは、ほとんどが小さな断片であって、甲羅の形をしているもの、または復元できたものは極少ない。もともと灼いてヒビをいれてヒビの形で占うもののようだから、再三の占いでヒビだらけになった腹甲が原型をとどめることが難しいのは無理もない。

 台北の中央研究院にある亀の全形はそういう意味ではとても珍しいものであるが、著作権フリーになった写真はみつからなかった。
https://museum.sinica.edu.tw/collection/32/

続きを読む
posted by 山科玲児 at 15:23| Comment(0) | 日記

2025年03月16日

ニセモノを巡っての雑文

 某新聞社サイトに自分の骨董趣味のことを連載して書いていた人がいた。
 一応新聞社の社員で、たぶん教育のある、当方よりずっと年収もある人なんだろう。そういう人でも、これだけ、多量の偽物を買いつづけるのだから、偽物市場の経済規模は十分大きいようだ。偽物を売買して生活している人も少なくないのだろうと思う。一つの経済活動といえなくもないだろう。
  そういや、中部電力会長の事件もあったなあ。また、ひどい例だが、なんでも鑑定団にでた「曜変天目」というメチャクチャな例もあった。


 西洋骨董でも似たようなことがあるようで、なかでも有名なのが「エトルリアの壺」の偽物のようだ。
小川熙「エトルスクの贋作工房(真贋?121?)」、『芸術新潮』、第25巻1号、新潮社、1974年1月号、
小川熙「エトルスクの贋作工房(抜粋)」   1991年11月号 通巻503号
古代ギリシャのタナグラ人形なんか、偽物が多すぎてよほど確かな来歴出土記録があるものでないと、美術館にあるものでさえ信用できないという状況になっている。

 ただ、あまり人気のない、安価な本物の骨董というのは、昔からある。それらには十分古いものもあるのだが、人気が無いので「下手物」とされ骨董市場では「値段がつかないもの」などといわれ、場末の骨董市で売られたりしていた。日本の骨董業界では茶道関係が大きな力をもっていたので、「はてなの茶碗」のような落語まである。そのため茶事に使えないものは骨董ではないという扱いをされ価格も安かった。骨董業界の一部では「お茶に使えない」というのが貶辞になっているぐらいである。

 「糸印」なんかは今でもこういうあつかいじゃないだろうか? ある種の「古銭」なんかも多量にあるので、何百年も前のものには違いないが、骨董品としては、安いものである。

 流行というものがあるから、昔は顧みられなかったものでも突然人気者になり、高価で取引され、偽物が量産されるということになった例もある。
  例えば、「円空仏」がそのようである。昭和36年の鎌倉での「円空」展が火付け役だったそうだ。そのため円空佛には、多量の贋作がある。前橋もの鎌倉物など贋作に地方差があるくらいである。一見、だれでも作れそうなので、贋作者がつけこみやすいのだろう。したがって、まともな筋の通った円空佛の展覧は珍しいわけである。
だから、こんどの三井記念美術館の特別展「#魂を込めた円空仏―#飛騨千光寺を中心にして―」(2025年2月1日から3月30日)での展覧は良い機会だと推薦している。

 贋作の参考文献は  電柱円空始末記 芸術新潮 1974年10月号
posted by 山科玲児 at 14:10| Comment(0) | 日記

追加出品作品にも興味深いものがある



「西洋絵画、どこから見るか?」展 出品リストが公開されてます。
追加作品にも興味深いものがあります
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/pdf/2025dokomiru_list.pdf

1.コスメ・トーラの断片 聖ジョルジォ
 これは、ロンドン・ナショナル。ギャラリーにある巨大な作品「玉座の聖母子」の左翼であった画面の極一部であるとされている。これは、ロベルト・ロンギの見解(1949)
 もとプラハのLanna男爵のところにあったときはマンテーニャの作品とされ、さらにコッサの作品とされていた。RefのMolajoliのカタログ・レゾネ、ロンドンナショナルギャラリーのDaviesもロンギと同じ見解。

Ref. Rosemarie Molajoli, L'opera completa di Cosme Tura et  gradi pittori feraresi del suo tempo,Rizzori Editore, Milan,1974
(Francesco Cossa, Ercole di Roberti のカタログを含む)
REf. London National Gallery のDavies先生も同意見 Martin Davies,The Earlier Italian Schools, London, 1986増補改訂再版

 ロンドンの作品は、高さ2m39cmもある、それは壮大なもので、しかもところどころに奇怪な部分もあり、強烈な印象を受けた。1474年。
 フェラーラのRoverella ファミリーの注文だとされている。サンディエゴの断片はいたっておとなしいもので、コスメ・トーラらしいあくの強さはあまりない。

2.フランクフルトのマスター、アレクサンドリアの聖カタリナの聖なる結婚

 高さ70cm程度。
 この画家はアントワープで活動していた人で、実名がだれなのかはわからない。どうもフランクフルトにはいったことがなさそうなのにこんな名前がついてるのも、変な話だが、フランクフルトに2点の作品があり、それにちなんでつけられたあだ名だからだ。
 ただこういう「XXの画家」「XXのマスター」の場合、共通の特徴をもつ複数の作品群、1グループを一人の画家の作品と想定して学者が名付けるわけだが、果たして本当に一人の画家、ひとつの工房のものなのか確信できないこともある。
 「フランクフルトのマスター」の作品の場合、人物の顔と身体がやや不調和というかぎこちないことがあるようだ。
posted by 山科玲児 at 09:21| Comment(0) | 日記

2025年03月15日

92年前の甲骨の偽物

甲骨  (1).JPG

 21世紀にもなって、あるネット記事で甲骨の偽物を買ってしまった話を読んだので、90年も前の古雑誌の記事を思い出したので転載してみる。イメージは東京国立博物館展示の甲骨断片:まず本物として信頼できそうなものである(当方撮影)、

 現代でいえば、中国旅行ガイド作家みたいなスタンスの人、後藤朝太郎が
書道研究雑誌:「書芸」第四巻2号、昭和7年(1932年)、に寄稿した
「支那翰墨行脚」
という文章の中から、引用する。漢字は常用漢字に替えているところがある。

>河南省彰徳小屯の殷墟から出る亀甲獣骨にしてもこれがあちこちの老舗で目にとまることがある。その断片で五六分大のものから精々一寸大ぐらゐまでのものならよいのがあることはあるが、二寸三寸から五六寸と云ったやうなものでは眉唾ものが多い。中には仰々しくこれを青繻子の嵌め函などに納め、さも古代の焼物でも寶蔵した形に飾り立てられてゐるのがある。客が珍しがり少しく通を抜かしてゐると見るや、随分見くびった挨拶やら、誘惑の辞を並べるのである。迂かりするとその口ぐるまに載せられることがある。
 その刻痕を見ても明らかに後人の偽刻であり、叉生々しい処の見えてゐるのがあり、叉その骨そのものが古い時代のものでない事があり、叉たとひ上古の年代はあるとしても、それに似て非なるものを刻字してゐるものが随分見あたる。こは河南省彰徳の本場でそのいたづらをして売り付けてゐるのであるから、それが上海や北平の古玩店に出るのも不思議なことではないと云はるる。

\90年も前の、軽めの文章のなかに、長々とこういう話がでるというのは、当時、よほど甲骨の偽物があふれていて、日本人旅行者でつかまされた人が多かったからだろう。
タグ:甲骨文 甲骨
posted by 山科玲児 at 06:22| Comment(0) | 日記