2015年11月04日

ファン・エイクの本がでたが

Van Eyk Alnorfini Zuffi.JPG


ファン・エイク―アルノルフィーニ夫妻の肖像 という本が最近刊行された。

ファン・エイク―アルノルフィーニ夫妻の肖像 (名画の秘密) 大型本   2015/10
ステファノ ズッフィ
http://www.amazon.co.jp/dp/4890137300

 一読して、どうも、イタリア人のマリオ=パオリ氏の新説を取り上げた本のようである。
 この絵はアルノルフィーニ夫妻の絵ではなく、ファンエイク夫妻の自画像だという説である。

  しかし、これは無理がありすぎて到底賛同できない。
実は、著者のズッフィ氏も無条件で賛同しているわけではなく、個人的には賛同したいが、色々問題や異論もあるというスタンスで書いている。

 当方の異論を書いておきたい。
1.まず第一に、女性の年齢である。もしファンアイクの妻なら、1434年には28−29歳だったはずである。早熟が原則だった当時の常識も考慮するとこの女性はどうみても18,9歳、せいぜい20歳ぐらいにしかみえない。
2.男性のほうだが、どうみても、ベルギーとドイツの間:ニーメンヘン=リンブルグ出身の人間にはみえない顔である。マリオ=パオリ氏は女性の顔が「地中海的ではない」と主張しているそうだが、男性の顔のほうがそれよりずっと北方的ではない。

3.確かに、ジョバンニ=アルノルフィニの結婚は1447年であるという古文書がでてきたので、いろんな異論がでてきたのだ。 1447年はファン=エイクの死後である。 ただ、ジョバンニ=アルノルフィニではなく別のカップルを描いたものだとすれば済むことである。現に、wikipediaには、ジョバンニ=アルノルフィニの従兄弟の別のアルノルフィニではないか?という推定が紹介されているようだ。

  翻訳の問題もあるようだが、マルグリット=ドートリッシュをマルガレーテ=フォン=エスターライヒと表記するのはかなり違和感があるし、通常、マリー=ダングロワ(ハンガリーのマリア)と表記される人をマリア=フォン=エスターライヒと表記するのは間違ってはいないが、更に違和感がある。もともと彼女らはフランス語圏で生活していたのである。 また、ファン・エイクの豪華でカリグラフィックな銘文・署名を「落書き」と表現するのはおかしさを超えて著者または訳者の見識を疑はしめるものであろう。

 マリオ=パオリ氏は、ルッカの図書館長で、最近、絵画に関する本を三冊出版している。
ジョルジョーネのテンペストについての本、2011、ドッシ(Giove di Dosso Dossi)というフェラーラのあまり知らない画家の本(2013)そしてこの本のもとになったファンアイクに関する本Jan Van Eyck to the conquest of the rose. The "Arnolfini Marriage" from the National Gallery in London (2010)である。

 どうも、著者のステファノ ズッフィはパオリ氏と同じ出版社から本を出し、ミラノの人なので個人的なつきあいもあるのではないか?という感じをもった。この新説を無理に擁護しているような香りも感じられる。
 欧米で新説がでて翻訳まででると、内容を吟味せず、欧米での評価も考えないで、日本で提灯持ちする人が現れるので、あらかじめ注意したく思って書いた。


posted by 山科玲児 at 08:30| Comment(0) | 日記

2015年11月03日

米中の南シナ海での衝突

  深刻な状況なのに、日本のマスコミではほとんど報道されない。ミサイルや砲撃がなければ知らんぷりをきめこんでいるのだろうか? まことに、このマスコミの姿勢は嘆かわしいことである。

 今回、問題なのは、先の米中首脳会談でも、その前の米中首脳会談(カリフォルニア)でも、習近平主席は、まともな会談をせず、容易した予定回答から適当なものを出して読むという、どうみてもおかしな会談方法に終始したらしいことだ。これでは唯物弁証法にもならない。弁証法(ディアレクチケー)はもともと討論とくに裁判討論の技術なのだが、討論そのものが行われているようにみえない。弁護士オバマとしても困りきったであろう。 これであのできるだけ話し合いで穏便にすませようというオバマ大統領がついに我慢の限界を超えたようだ。大量の核兵器をもつ二国の交渉なのだから、文化の違いといって笑ってすませることはできない。
 まあ、ブッシュ・ジュニアならとっくの昔に人工島を占領していただろうから、そこがオバマであろう。

  どうも、この件はかなりまずいことになるような気がする。 周恩来やケ小平なら、何もいわずに、一度 人工島基地を解体して退いて、米国のすきをねらってまたやるとかいうような老獪な手をうつだろう。 けれども、太子党の習近平は共産党内部の派閥抗争は得意のようだが、外交交渉はどうも得意なようにみえないのが、非常に懸念されるところである。
 前述のような、交渉態度・交渉形式では、全面戦争を避けるためのホットラインでの会話でもまともな会話は期待できないだろう。


posted by 山科玲児 at 17:36| Comment(0) | 日記

書を貼った屏風

敦煌  維摩経変 103窟 盛唐 屏風.jpg


正倉院  の献物帳の中に記載されている、今は失われた屏風の中には、王羲之の書を絹に臨書したものを貼り付けた12扇の屏風がある。
黄白碧緑など色変わりの絹に臨書したものを貼り付けたものらしいので、さぞ綺麗だったのだろう。

また、唐の太宗が自ら真書と草書で屏風に書を書いて群臣に示したという故事もある。

 こういう唐代の形式を残す書の屏風、それも王羲之のものの臨書などは、いったいどういうものだったのだろうか、と思っていたが、

最近
を書くとき、
敦煌壁画(103窟 盛唐)
の維摩居士の壁画をみていて、気がついた。

 この維摩居士の壁画の背景が、草書の墨跡を貼り付けた屏風になっているのだ(イメージ)。
 無論、画家は忠実に再現しているわけではないだろうが、当時の画家が、書を貼り付けた屏風というものがどういうものであったと考えていたのかという一般概念を知ることはできる。

 少なくとも、現在の我々が文献で想像するより確かであろう。

 どうも、何枚も色紙形のようなものをタイルのように貼り合わせているようにみえる。そして、草書のいわゆる狂草のようなもので、結構大きな字である。

 
posted by 山科玲児 at 16:58| Comment(0) | 日記

もんじゅ の廃炉は意外に安全


 あの甘い原子力規制委員会ですら、呆れ果てた「もんじゅ」の管理体制ですが、
 長年、士気が低くならざるをえないような無意味なプロジェクトをやらされたら、モラルも落ちるし、利権にしか興味のない連中しか残らなくなるんじゃないでしょうかね。

もんじゅ、あすにも重大決定 規制委が機構理事長を聴取「運営主体にふさわしくない」 

ここで、はっと気がついたのは、

  もんじゅの廃炉は、福島原発の処理どころか、普通の原発の廃炉より安全だろうという、希望的要素です。

  そりゃ、金属ナトリウムの管理という危険でめんどうなものがありますが、それを除けばそれほど難しくないかもしれません。

 それは、もんじゅの中の放射性同位元素(放射能)汚染があまり強くないからです。

  なぜなら、幸か不幸か「もんじゅ」が、ほとんどまともに稼働していないからです。
しかも、一応稼働したのがたった一年間、しかも1995年に事故を起こして停止して以来20年もまともに稼働していません。

 使用済み核燃料棒は、取り出し直後は、防護なく1m以内に接近すると即死するぐらいの強烈な放射線を出しています。一方、未使用のものは手袋で扱えるくらいの微量な放射線しかありません。米国の核兵器開発のときプルトニウムの塊のデーモンコアを手で触って「暖かかった」というすざまじい無神経なエピソードがあったぐらいです。
  つまり、「もんじゅ」のように、あまり使用していない核燃料棒はあまり放射線が強くないんですね。しかも20年前に反応をとめていますから、強烈な放射線を出す半減期の短い放射性同位元素はほとんどなくなってしまっています。これも核燃料棒の放射線レベルを下げる要素になります。

 当然ながら炉内の放射線による汚染も放射性同位元素の消滅のために少なくなっています。

  この二つの理由
  ・もともと放射性同位元素が少ない。
  ・二十年間で減衰している。

   から、フランスで廃炉したときより、むしろ廃炉環境としては良好な状態です。

  今こそ、廃炉の絶好の機会ではないでしょうか。

posted by 山科玲児 at 08:27| Comment(0) | 日記

2015年11月02日

贋作  特集


香港の雑誌、
  Orientations
の最新号は贋物の特集です。
おっと思いましたが、
意外に地味で、陶磁器の贋物の話だけでした。

 まあ、広告主との問題もあるから、あまりに大胆にはいえないんだろうな。
 それでも、20世紀に龍泉窯で贋物つくっていた人のメモとかあって面白いと思いました。

タグ:Orientations
posted by 山科玲児 at 09:14| Comment(0) | 日記

2015年11月01日

香港で碑帖拓本の特別展


香港  中文大学の碑帖コレクションは、世界的にも優れたものです。
確か、東京国立博物館の王羲之展のときにも、蘭亭序なんかを借りていたと思います。

そのコレクションの中核を寄贈したのが、北山堂という号をもつ香港の実業家で大収集家であった北山堂こと利榮森(1915-2007)氏です。

今、特別展やっているようですが、行きたい気もするが金がないというところですねえ。

 ところで、下のサイトでカタログ表紙が呈示されていますが、この十七帖は、日本で有名な三井本にそっくりでしょう? なんでも孔氏嶽雪楼旧蔵本なんだそうで、三井本(行方不明)との関係が議論されてもいいとおもいますね。

北山汲古:碑帖銘刻拓本
 2015年10月17日〜2016年1月31日
 http://www.cuhk.edu.hk/ics/amm/index_c.htm

posted by 山科玲児 at 09:57| Comment(0) | 日記