2015年11月13日

三体白氏詩巻のイメージを変更



Wikimediaの小野道j風:三体白氏詩巻(国宝)のイメージを変更した。

もとのイメージが奇妙に縦長に変形されていたものが使われていたからだ。

これについては多数の写真複製を参考にし、確実性をもって、できるだけ現状をかえないようにして変更している。

ただ、この三体白氏詩巻、意外にしられていないし、観た人もすくないんじゃないかな。
写真複製も少ない。かなり良いものなんだけど、おしいことである。


posted by 山科玲児 at 10:37| Comment(0) | 日記

秀吉のせいで日本は消えていたかもしれない


  豊臣秀吉が大陸に侵攻したのは、もともと明と戦うつもりだったので、朝鮮王は「秀吉の味方で北京まで案内してくれる」と思っていた。
 そうでなくて、朝鮮半島で戦をやるはめになったが、連戦連勝で、
  秀次あて書状に、
 「後陽成天皇を北京にお移しし」と明帝国の征服と遷都をプランにしていた。
  実際、朝鮮で、本格的に戦闘したのは明の官軍とであって、あれは日明戦争だったわけだ。

  ただ、あの状態ではたぶん万里の長城線で阻止されたと思うので北京攻略まではいかなかっただろう。後金国(満州人)のドルゴン率いる軍勢が北京にきたのは李自成の軍が北京をおとし、明が滅亡したからである。

  しかし、万一、秀吉の日明戦争最中に、李自成のようなことあるいは、それに近いことが起こったとしたら、秀吉の誇大妄想的なプランが部分的に成功した可能性は微小であるが、ゼロではない。実際、土木の変のようなことが、明の前半にもあったわけである。

 もし、そうなったら、かなり形は違ったとしても、あの満州人の役割を日本人がやることになり、中国を支配したつもりで、逆に中国に飲み込まれていた可能性が高い。
 現在は、日本列島は倭族自治区になっていただろう。

 「満州人が中国を征服したら、満州を中国と呼ぶ」
ということから、
 「日本が中国を征服したら、日本を中国と呼ぶ」
ことになっていただろう。
  満州人は、満州語の衰退とともに絶滅に近くなっているが、そういう状態に追い込まれていたかもしれない。

  秀吉が、途中で死んでよかったと思う。

 この奇妙な「満州人が中国を征服したら、満州を中国と呼ぶ」という論理については、
武田邦彦 (中部大学)
2012年09月07日 
尖閣・竹島・四島・・・領土と国(2) 中国
http://takedanet.com/archives/1013802673.html
尖閣・竹島・四島・・領土と国(6)中国の「国」【歴史・倫理・日本】
https://www.youtube.com/watch?v=cr-NLKyumO0
 が、話していて、

なるほどと思ったものだ。

 普天(ふてん)の下(もと), 王土に非(あら)ざるは莫(な)く; 率土(そつと)の濱(ひん), 王臣に非(あら)ざるは莫(な)し。
   『詩經』小雅


posted by 山科玲児 at 09:58| Comment(0) | 日記