2015年12月13日

東山御物の背景

桃鳩s.jpg

  東山御物ってのは、室町幕府将軍 足利義政のコレクションに入っていた茶道具や美術品のことなんですが、足利義満が足利義教が集めたものもなんとなく一緒にみているので、義政だけの収集ともいいかねるところがあります。
例えば、徽宗皇帝とされる  桃鳩図(イメージ) には「天山」という足利義満の印がありますし、

    有名な瀟湘八景図巻 は「道有」という足利義政の印です。
    また、梁楷の「雪山」三幅対(東京国立博物館)は、「雑華室」という足利義教の印をもっています。

  この時代には比較的良い中国絵画が来ているようにみえます。少なくとも江戸時代の鎖国時期はあまりよくないし、天正〜江戸初期の貿易が盛んな時代でも見るべき書画は少数であることと比べたら、かなりマシといえます。

 なぜでしょうか?

  どうも、中国国内の元末の王朝交替戦乱が原因のように思います。
  足利義満が征夷大将軍になったのは、元が北京を放棄して北に退去(北元になった)、明の洪武帝が即位した年です。
 元末の戦乱・暴動・略奪を逃れて日本に来た元の禅僧も少なくありません。
 日本は元寇以後、大陸:中韓を敵国としていたのですが、禅僧だけは受け入れていたんですね。そういうルートで貴重品と思われる絵画を財産として携えてきた中国人もいたのではないか、と思います。
 日本に中国の一流の書画が流入するのは、中国の王朝交替の戦乱のときが多いという傾向がありますからね。
 明清交替の混乱時にも多少、入っています。例えば 御物  賀知章  の草書孝経はそれですね。黄檗宗僧侶によって将来された呉彬の巨大な仏画もその一つでしょう。

 そして、清末中華民国時代の流入は大きなものでした。米国や台湾などへ流出した書画も多かったのですが、それでもかなり日本国内にあります。
 いづれも、王朝交替の戦乱期でした。

 また、妙なところであh、明治維新直後の旧物破却 廃仏毀釈時代に日本から漢籍が中国へ多量に流出したこともあります。そのころは、欧米に浮世絵や屏風。仏像などが流出した時代でもあります。

 経済的社会的不安定が、美術品移動を起こすことは世界的みたいですね。
 フランス革命。ナポレオン戦争のときの美術品移動は大変なものだったようです。



posted by 山科玲児 at 10:17| Comment(0) | 2015年日記