2016年02月25日

フィクションと歴史

  歴史小説というのも、なかなか面白いものが多いが、たまに小説の創作やフィクションを事実と勘違いしてしまうことがある。

  古くは、忠臣蔵;赤穂浪士の話も、吉良上野介が悪役になっている。歴史や事実関係をみると、どうみても浅野内匠頭の頭のねじがとんでいる。吉良上野介は、当時の普通の官僚(多少の欠点はあっただろうが、、)、おまけに支配者としては良心的で名声が高かった人らしい。フィクションのせいで何百年もたった今も悪役あつかいされているのはかわいそうだ。

 司馬遼太郎の歴史物は、私はあまり読んでいないので批評できないが、対談などを読むと、えらく思い込みの強い人のようなので、読まなくて正解だったかもしれない。

 古美術関係では、業界以外には知られていないことがあまりに多いので、才のある作家がテーマにして書くと、書いてあることが本当だと誤解されやすい。なにしろ、他にそれについて書いてある一般書など何もないのだから。
  ダヴィンチコードなんて、そういう点では害毒を流していた。

  最近、のぞいた

古書の来歴 単行本   2010/1/21
ジェラルディン ブルックス   (著),    森嶋 マリ (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4270005629
も、14世紀スペイン  ユダヤ教の装飾写本の話だが、
虚実混じっているので、どこまでが、歴史なのか全くわからない。

  おまけに、レオナルド=ダ=ヴィンチみたいに専門書が多数あるものと違って、日本ではほとんどしられていないテーマだから確かめようがない。

 このサラエヴォ=ハガーターについては、45年も前の1971年に芸術新潮11月号で特集があり、
ナチスと渡り合ったサラエヴォの当事者: カラメーメドヴィッツ自身が経験談を書いているのだが、上記の本とは、経緯が相当くい違っている。

 まあ、こういうのは、悲惨なユーゴスラビア内戦の後なので証人や証拠もなくなり、いろいろな説がでるのかもしれない。ただ、21世紀の現在、当事者がほとんど逝去していなくなったあとで、フィクションを書くというのもどんなものですかねえ。

 日韓問題も、吉田調書 問題もみなそうだが、当事者が逝去されたあと、生き証人がいなくなったところでプロパガンタや変な説を持ち上げるのが常である。





posted by 山科玲児 at 08:53| Comment(0) | 日記