2016年03月07日

蝶の模様

紀貫之  蝶.JPG

 週末は、西本願寺三十六人家集にかかりっきりだったので、たいした話もないけれど、
 紀貫之集上の 一部に 大きな蝶の描き模様があったのは新鮮だった。
 もともと、日本では蝶の模様は、縁起かつぎや民間信仰(人の霊魂が蝶になる)などの関係から嫌われがちで、あまりないのだが、
 1100年代初頭のこの作品にあるというのが意外。

posted by 山科玲児 at 09:30| Comment(0) | 日記

9200億円集めた投資詐欺 中国で摘発

9200億円集めた投資詐欺、中国で摘発−21人を逮捕

          http://www.cnn.co.jp/world/35077235.html

http://jp.wsj.com/articles/SB12572346946470444848304581515391419311216


始まりましたねえ。

被害者 約100万人というのもすごい。

 しかし9%〜14%という利回り 金利って、、中国ですら今出すのは難しいということですね。
 ここで、保8というのを思い出しました。8%の成長率がなぜ必要か?という答えに、中国が海外から借りている金(外貨)の金利が7%ぐらいだから、という説がありました。今は、円キャリーなどで、金利が低くなっているかもしれませんが、当時はそのくらいだったんでしょう。
 中国そのものが金融詐欺国家のようなものでして、その一端は、
     チャイナハラスメント―中国にむしられる日本企業  
    松原邦久
      http://www.shinchosha.co.jp/book/610602/
 
にも書いてあります。

  日本でも1986年豊田商事事件というのがありまして2000億円ほど被害がでました。
  しかし1兆円前後の被害額:しかもほとんど投資実態がないというのが凄いですね。豊田商事事件のときは多少なりとも粗悪ですが実物取引(金塊  ダイヤモンドなど)を装うという演技がありましたのにね。

この点では、むしろライブドア事件に近いかもしれません。ただライブドアは粉飾だけだったのに、こちらさんはネズミ講詐欺だからなあ、やはり豊田商事かな。安具楽牧場には一応牛はいたしね。

バブル崩壊の後には大抵こういう事件が明るみにでます。バブル最中なら金を右から左へ容易に回せるので、自転車操業詐欺が発覚しにくいのですね。

中国の経済規模は日本とほぼ同じくらいですから、1兆円のインパクトについては、日本人が感じる大きさ強さをそのまま使って問題ないと思います。

マダガスカルで1兆円詐欺と米国で1兆円詐欺では、当然国家経済に対するインパクトは違います。


posted by 山科玲児 at 08:20| Comment(0) | 日記

2016年03月05日

西本願寺三十六人歌集

36poets collection_SHITAGO.JPG.JPG

wikimediaの西本願寺三十六人歌集の画像を追加した。

写真をといり、画像加工する過程で、この順集(イメージ)における 藤原定信の筆の調達ぶり、料紙の美しさにはあらためて驚嘆するものである。
このページは昔、平凡社 太陽の「書」特別増刊号の表紙に使われていたことを思い出した。

posted by 山科玲児 at 20:55| Comment(0) | 日記

天王寺 大阪市立美術館で日中書道展



王羲之から空海へ | 大阪市立美術館
http://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/ogishi-kukai/
平成28年4月12日(火)〜5月22日(日)  ※会期中展示替えあり

 台北故宮からも米フツなど出展があるそうで、ちょっとびっくりです。前の台北故宮展の前に、法律を作って北京政府の差し押さえ訴訟を防止するようになった賜物だと思います。
  平山郁夫先生や古屋圭司 議員の功績 だそうですが、これは確かに功績だと思うなあ。
  リストがみつからないので、速報だけ。
posted by 山科玲児 at 09:47| Comment(2) | 日記

2016年03月04日

中国は変わらない



東方書店の広告紙「東方」第421号 2017年3月号に、

日本企業社員が描く現代の買弁資本主義 本野英一

という
チャイナハラスメント―中国にむしられる日本企業  
松原邦久
 http://www.shinchosha.co.jp/book/610602/
についての書評がでていた。

 面白いのはこの書評は、経済史の立場から、十九世紀末〜20世紀前半に中国で欧米の商人や実業家があったトラブルと、現在の中国で日本企業があうトラブルが瓜二つだと、このわずかのページで何個も例を挙げて指摘していることである。

 江沢民時代に私は「中華民国時代に戻った」と何度も知人に言ったものだが、「中国は社会主義国だ」という固定観念に固まった人には通じなかった。

  まあ、ある程度は正しかったということだ。

 歴史が繰り返されるとしたら、54運動めいた動員反日デモはあったことだし、今後は、通州事件、済南事件のような酸鼻な在中日本人虐殺、日中の小規模軍事衝突は避けられないだろうということになる。



posted by 山科玲児 at 08:08| Comment(0) | 日記

2016年03月03日

第3の故宮博物院 証拠がでた


北支シュウ記 (4).JPG

北支シュウ記 (3).JPG

北支シュウ記 (1).JPG

 三省堂書エン(苑とは少し違う字)昭和15年7月号 (第四巻第七号)56−58ページに
 北支シュウ記(一) 池田醇一 
という紀行文・観賞記がある(イメージ)。

これは、1940年春のことである(上記イメージの赤線)。

 そこには、イメージに明示したように、北京故宮が手入れが悪く荒れているようではあるが、書画拓本の展示がされていたことが記述されている。いうまでもなく。公式の故宮博物院史では、この時点では北京には故宮博物院はない。1933年:7年前に北京を離れ、南京を経て重慶へひっこしている。

 しかも、イメージにあげたように、「蔡襄の書札 呉キョ詩帖などが興味をひいた」と書いてあるが、これは、
2014年03月05日
第3の故宮博物院
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/88969626.html

2012年01月16日
もうひとつの故宮博物院 再
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/53119328.html

 で指摘したように、北京「故宮博物院」で立派な影印本が1940年前後に出版されていたものである。
  この出版については、写真や原版を上海などにもっていって名前だけ「故宮博物院」で出版したという可能性も疑っていたが、これで完全に氷解した。やはり北京にずっとあったし北京で出版したものなのだ。
 ということは、1940年に北京故宮博物院が北京にあったことになり、それは中華民国臨時政府 または汪兆銘政権のもとでの組織だったという結論になる。これは明らかに「第三の故宮博物院」だ。

  なんのことはない、日本軍保護下で故宮博物院が正常に活動していたということである。しかもそのコレクションが現在の北京の故宮博物院の中核の一つになっているのである。
 実際、「蔡襄の書札 呉キョ詩帖」は2012年東京で開催された「北京故宮博物院二百選展」に展示されていた。このときは清明上河図巻がくるというので大騒ぎになっていたもので、日本での北京故宮博物院の出張展のなかでは、最も質が良い展覧会だった。

前にも書いたんだが、日本の傀儡政権 中華民国臨時政府 の一部であったので、できるだけ誰も触れようとしなくなり、当事者すら隠蔽してしまったのだろう。
 この池田醇一(1893-1974)氏は、学者のかたのようで、
のご子息である。

そして、現在の中国古代史で有名な池田温
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%B8%A9
氏のお父上なんだそうだ。

 いずれにせよ。日本のエスタブリッシュメントに近い、学識もある人の記録なので、信憑性は高い。
  この古雑誌は東京で20世紀末ぐらいに買ったものである。証拠や資料がすぐ足元にあったのに何年も気が付かないことが多いものなんだなあ、、と感じた。


posted by 山科玲児 at 08:52| Comment(0) | 日記

2016年03月02日

法帖からみる秋萩帖王羲之臨書の源流

「法帖からみる秋萩帖王羲之臨書の源流」
を脱稿した。

 秋萩帖王羲之臨書は、日本書道史 それも草仮名研究のついでに言及されることが多く、
中国書道史の、それも、現在ではややマイナーな 法帖の学「帖学」のほうから考えたものはあまりないので、

まあまあな 試論 だと思っている。

posted by 山科玲児 at 09:40| Comment(0) | 日記

手の震えが止まったら


信明P1050361 detail.jpg信明 西本願寺1980 detail.jpg

1110年ごろに京都の宮廷で制作された
西本願寺本三十六人家集 の信明集の書家は、高齢か病気か、あるいはその両方かで、線がブルブル震えている(左)。
それでも豪華絢爛な料紙の短い歌集を割り当てられているのだから、よほど身分が高いか名声のあった人なんだろう。
この信明集、震えが止んで線がしっかりするところがあり、そこが関戸本古今集によく似ているという(右)。

関戸本古今集の書者が老境になって書いたのではないか?という推測を、ちょっと名前は忘れたが有名な現代の仮名書家(故人)が書いていた。
最近、しっかりしているところのカラー図版を得たので、紹介してみたくなった。

これについては批判的な論文もあるようだが、私自身があまり関戸本古今集が好きでないので、まあどっちでもいいか、と思っている。
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I026267716-00

 ただ、手の震えが止まったところに、有名な関戸本古今集の書がでてくるという意外さに惹かれた。

posted by 山科玲児 at 09:13| Comment(0) | 日記

2016年03月01日

紙縒切 と 俊成 (link変更)

紙縒り切.jpg

紙縒切という古筆切がある(イメージ)
三蹟のひとりである藤原佐理の筆という江戸時代の鑑定があるが、どうみても違うわけで、
12世紀ごろか?という推定がある。
最近、名児耶 先生の本
書の見方―日本の美と心を読む (角川選書 419) 単行本  ? 2008/1/9
名児耶 明   (著)
 http://www.amazon.co.jp/4047034193
を読んでいたとき、この紙縒切は藤原俊成の書か少なくとも俊成の周囲、や先輩あたりの書じゃないかと思い出した。
俊成の代表的な書は次のようなもので、類似性が高い。

昭和切

この紙縒切については、
大東文化大学 の人の卒論で、
  伝藤原佐理筆「紙撚切」の研究
  江本 直樹
  大東文化大学
  卒業研究集録. 書道学科 19年度, 32-33, 2008-03
            http://ci.nii.ac.jp/naid/110007125987
というのもあるようだが、全文を読むことはできない。
なんで200年も前の藤原佐理にあてたのか全く不明であるが、古い時代の古筆鑑定家は、できるだけ有名人の書を多くしようとして無茶な鑑定をやっているようだし、
同類の筆跡のなかで「高級」「上等」そうなものは有名人や有名歌人の筆にしたがったようである。

  なかでも噴飯物なのが、伝聖徳太子の「戸隠切」で、500年も違う。
紙本墨書法華経残闕
指定区分重要文化財 地区戸隠 所在長野市戸隠神社中社
http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1190.html

下イメージは、手鑑に貼られた伝聖徳太子の「戸隠切」
伝聖徳太子戸隠切 藻塩草.jpg
posted by 山科玲児 at 08:06| Comment(0) | 日記