2016年04月30日

戦前の雲崗龍門 響堂山石窟 調査映画




京大のデジタルアルカイーブで、戦前に日本の学者や芸術家写真家
が雲崗石窟(1938)や龍門石窟 響堂山石窟(1934)を調査したときのサイレント映画をみることができます。
その当時の北京駅周辺などや、拓本やってる人の動作なんかも興味深いと思いました。

考えてみれば1930年代に拓本を採っている光景の実録映画なんて、ひょっとしたら、これしかないかもしれません。

スタッフに小川せいようや、小野勝年氏がいたのには当然というかすごいというか。

しかし、当時の北京の繁華なこと。日本軍の軍靴に呻吟していたとはとてもみえないね。

また、この時代の文物の状態を観るというより、周りの人々の生活風景や騾車など、また当時の磁州窯の制作風景などが面白いと思いました。



posted by 山科玲児 at 18:35| Comment(0) | 日記

【デマ】川内原発デマは、笹田康夫 発



2016年04月27日にアップした原発デマの発信元は、

プロモーションビデオやレース動画などを制作している
笹田康夫 監督 が発信源のようですね。もし同姓同名の僭称者だったら困るけれど、監督と自称しているようだし、ほぼまちがいなさそうだ。映画監督にはおかしな人が多いけれど、こういう陰謀論やデマを間に受けで吹聴するというのは、顧客の信用が重要なこういう職種では、自殺行為じゃないの。

笹田康夫氏のfacebook

ーーーー4月27日の引用記事ーー
【デマ】川内原発が故障している
>✱九州電力の知人からの情報 熊本地震により川内原発の制御棒が入る長いシリンダーが歪み、制御棒の出し入れが100%作動しないらしい だから、地震発生時に自動停止できなかったという つまり 現時点でも原発を停止できないらしい(今後も稼働しっぱなし!)
ーーーーーー

 震度四では繊細なワイングラスでさえ壊れていないのに、バカですか この笹田ってのは。

 仮に 地震以前に壊れていたとしたら、昨年11月の再稼働の後、4月14日までに壊れたということになるでしょ。その間には何も特筆すべき事件はなかった。いつ壊れたんでしょう??? ひょっとして、その「九州電力の知人」がテロでもやったのでしょうかね。

 この笹田はフランスのカンヌ在住となっていますけれど、海外のいいとこに住んでいて原発デマを日本に流す、というのはオーストラリア在住の雁屋哲もそうですね。今のデマゴーグって儲かるんですね。羨ましいです。



posted by 山科玲児 at 08:16| Comment(0) | 日記

2016年04月29日

西洋美術史入門・実践編にもつっこみ

egypt 5thdyn.JPG


西洋美術史入門・実践編 (ちくまプリマー新書)  ? 2014/3/5
は、なかなか良い本ですが、多少 問題もあります。特に日本や中国の話になるとよろしくない。

ただ、もう図書館に返すので、一言コメントしておきます。考えていることを書いておかないとわすれますからね。

73p〜79pに
古代エジプトのネフェルティティ像ツタンカーメンのマスクを比較して、ネフェルティティ像は、アテン神の一神教だから、神でない人間の描写になるのでリアリズムで個性表現があり、ツタンカーメンの黄金のマスクは多神教の神の一人なのだから非個人的であるという議論をしています。しかし、これは単なる用途の違いじゃないでしょうか。

というのもイメージのような、ツタンカーメンから1000年以上も遡る第五王朝の時代の個性的彫像もあるからです。
  同じ像の別のイメージ:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sheik-el-Beled.jpg
当時は、当然、アメン ラーを中心とする多神教ですよね。 もっともネフェルティティの時代のエジプト美術は古代エジプト全時代を通じてもっとも写実的で題材も自然を扱ったものが多い優れたものであったことは事実です。しかしこの比較はおかしい。


166Pで、ボローニャの絵画館(ここは私が訪ねたとき閉じていて悔しかった)にある

について、ナポレオン軍による美術品の略奪のとき、

>輸送を容易にするために、美術品にも容赦なく手が加えられていきます。
>ボローニャの絵画館が誇るラファエロの「聖チェチェーリアの法悦」は、もとは板絵だったのですが、なんとそこから顔料層だけを薄く剥がし、カンヴァスの上へ貼りかえる手術を施されています。そうすれば布を丸めて運べるからです。

と書いてありますが、

 こういう面倒な修理を略奪+輸送の短期間にやれるものか??、やれるはずないだろ! と不思議に感じて調べたら間違いでした。

 この絵は1798年にフランスに送られ、板からキャンバスに移されたのは1803年、イタリアに戻ったのは1815年。

 あれえ、キャンバスに移ったのはフランスでじゃないの? それじゃ輸送と関係ないじゃん。それにイタリアに戻すためでもないよね。12年も前だしね。
 まあ、輸送してボロボロになったからやったのかな? この絵は高さが2mもある大作なので移動の際に無理なことが起こったのかもしれません。
  いずれにしても不用意な記述ではあります。

posted by 山科玲児 at 15:06| Comment(0) | 日記

ネスカフェ ゴールドブレンド CM


2014年04月28日に
【初音ミク】『ネスカフェ ゴールドブレンド』の主題による小フーガ
      http://www.youtube.com/watch?v=CceWHaIcLeM
を紹介しましたが、その原曲がフルバージョンでYOUTUBEにあるようです。

「めざめ」 伊集加代  ネスカフェ ゴールドブレンド CMソング
  https://www.youtube.com/watch?v=kU8FfM4HmMg
  (作曲:八木正生)
  日本人の作曲 歌  の中では出色の名曲だと思いますね。
posted by 山科玲児 at 09:30| Comment(0) | 日記

2016年04月28日

日本の女神


清滝権現像.JPG



畠山記念館は、東京の住宅地にあるお茶系統の個人コレクションの美術館で
優秀な作品が多いところです。
あまり注目されていないけれど、とても印象的な絵画に、上のイメージの、

絹本著色清滝権現像 畠山記念館
http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/index.html
があります。
清滝権現像
(せいりゅうごんげんぞう)
年 代:鎌倉時代
 材質・技法:絹本著色・墨書
サイズ(cm):縦84.7 横42.5

一応、重要文化財なんだが、めったにとりあげられないのは不思議ですねえ。
年代もはっきりしていて、裏書きに弘長2年(1262年)があり、表の讃に元久2年(1204年)に感得した尊像だという記述があります。

なお、信楽のMIHO MUSEUMに、模写本らしいものがあります。サイズが少し大きくて、お顔が少し違いますね。
    http://www.miho.jp/booth/html/artcon/00005178.htm

REF.  古美術 1965年NO.9 三彩社 東京
posted by 山科玲児 at 08:22| Comment(0) | 日記

2016年04月27日

平安時代の市井

扇面法華経  日本の美術至文堂.JPG


扇面法華経  日本の写経 京都書院 (2).JPG

3月19日に、
であげた、扇面法華経の 市井の描写がある二面の画像を得たので紹介します。

 店舗は板作りで商品は机の上や軒からつるしたりしています。

 これからすると、明治時代の経済史学者 福田徳三が「李氏朝鮮は平安も藤原時代のようだ」といったのは、間違いだったとわかります。なぜなら、日本の室町時代、この扇面の約280年後の1429年に日本を訪れた李氏朝鮮の重臣 朴瑞生の報告に「我が国の市場では、魚も肉も土の上に並べているが、日本には屋根のある商店があり、棚の上に品物を置いている。わが都の一部に同じようなものをつくるべきだ。」(世相実録第46巻)
というようなことが書いてあるからです。漢文の原文も確かめてみましたがだいたいあってる訳文です。

 どうも、李氏朝鮮と日本では、発展段階というより、全く違った文化・習慣なのだったのだ、と思わざるをえません。


posted by 山科玲児 at 10:04| Comment(0) | 日記

【デマ】川内原発が故障している

>✱九州電力の知人からの情報 熊本地震により川内原発の制御棒が入る長いシリンダーが歪み、制御棒の出し入れが100%作動しないらしい だから、地震発生時に自動停止できなかったという つまり 現時点でも原発を停止できないらしい(今後も稼働しっぱなし!)

というデマが流れています。

当方は、商用原発は危険で不合理だし、安全保障上も問題だと思っておりますが、

こういうデマが流れれば流れるほど、合理的でまともな反原発の議論がうさんくさい嘘つきと混同されてしまい、不利になってしまいます。案外「九州電力の知人」は、反原発を「嘘つき」「非合理」とレッテル貼りするために意図的にデマをながしてるんじゃないの?

まず、川内の周囲の最大震度は4です。
これは、長崎市と同じでした。

長崎では 本の落下、ワイングラスなどの破損すらなかったので、当方は幸運だったのですが、その程度の震度です。ちなみにこの震度4てのは、東京都内でも2005年以前に当方は経験しました。

原発の制御棒制御装置ってのは、ワイングラスより弱いんでしょうか? あまりに非合理的ですね。
もし、壊れているのなら、地震前から壊れていることになります。それはそれで危機的状態ですがそれは別の問題ですね。

スクラム(緊急制御棒挿入)を起こす震度は、おそらく、震度五ぐらいの加速度で、スクラム作動になるようになっているんじゃないでしょうか?


posted by 山科玲児 at 08:37| Comment(0) | 日記

2016年04月26日

西洋美術史入門のつっこみどころ



前も取り上げた
西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書) 新書  2012/2
池上 英洋 (著)
  http://www.amazon.co.jp/dp/4480688765
は、意欲的な本ですが、独断的なとことが散見しますし、イコノグラフィー イコノロジー偏重が気に入らないので、意地悪く突っ込んでみました。

109p (古代ギリシャについて)「彼らは町の広場に集まり直接選挙で重要な決定を下していました。」
  これはアテナイの、それも100年間ぐらいの期間のことじゃないの??
  スパルタも徹底的共産主義・全体主義で、ある意味徹底した非個人性が求められたけれど、民主制といえないことはない。でも貴族の寡頭制の都市、僭主政治の都市、神政政治の町なんかもあったと思うなあ

110p 「ローマ帝国時代の芸術は、ほとんど全て皇帝をパトロンとしたものです。」
  それはないでしょ。そりゃコロッセオなどのローマ市の大規模建設物や皇帝のヴィラなんかは皇帝の出資でしょうけどね。パルミラでもポンペイでも、元老院議員や各地方都市の富豪や有力者によるものが多いでしょ。寄進者の碑文銘文なんかもあるからね。

120p 「モザイクのメリットは、色彩減量を粉にすることなくそのまま用いるので、顔料の粒子も密なため、とにかく発色が強く鮮やかな点です。」
 モザイクというのは暗いところでも反射でよく見えるという効果が大きいと思う。また足で踏みつける床装飾にも使えますしね。丈夫です。

120p 「色彩原料をそのまま用いる方法と、それを細かく砕いて粉にして薄く延ばす他の方法とでは、同じ量の原料で描ける面積にとてつもない差ができます。モザイクではあまりにコストがかかりすぎるのです。」
  あのお、顔料の原料とモザイクの小石とは原料違うでしょ。まさかラピスラズリやアズライトを壁のモザイクに入れたりしないでしょ。家具や装飾品におけるモザイクには正倉院御物みたいに使うことはあると思いますが。また、ガラスなんかはあるかもしれんけど。
   だいたいさ、顔料を粉にして絵を描くのはクロマニヨン人だってやっているし(アルタミラ洞窟)、紀元前のマケドニア王族墓壁画(VERGINA)もある。なんかモザイク⇒フレスコという図式をいいたいのでしょうが、それは無理。

123p 「もっと扱いやすい媒体として木の板ももちいられるようになりました。」「木の板なら容易に手に入るのでテンペラ技法によってかなりコストはおさえられるようになりました。」
  ローマ帝国時代のミイラ肖像画は皆板でしょう。ビザンチン帝国時代の、イコンって板に描くのが普通
だったよね。
  さらにゴシック建築ってさ、ロマネスクと比べても壁面が小さいし、漆喰壁自体があまりないような。
  木材の価格ですが、イタリアの場合は地元に生えてるポプラ使ってたみたいですけど、ベルギー・オランダでは、はるばるバルト三国あたりから輸入していたんだけどね。しかも何十年も乾燥貯蔵したりする、それじゃ安い材料というわけないでしょ。

125p カンヴァス画について「ヴェネチアで始まったのはそこが港町であるため、あたりに船の帆に使う布があふれていたからこそです。」
  ヴェネチアでは、海の湿気が多いのでフレスコ画の損傷が酷いためにモザイクかキャンバス画になったと言われています。実際ヴェネチアにいくらか残るフレスコ画は損傷がひどい状態ですね。

なんかさ、絵画の物質面については池上氏は弱いのかな。



posted by 山科玲児 at 08:33| Comment(0) | 日記

2016年04月25日

ロシアケーキ


ロシアケーキ.JPG



長崎の浜口町の酒屋で、偶然  ロシアケーキという袋詰め焼き菓子を売っていた。なんか懐かしい感じがしたので買ってみました。
昔々、子供の頃聞いたことがある名前です。  どうも「ロシア」という名前のつくものは「なつかしもの」が多いようです。
なんでかな。たぶん1970年代以降、アメリカ流に席巻されたからかもしれません。。

このロシアケーキは「二度焼きのクッキー」でパン屋さんが結構作っていたらしいのですが、現在はあまりきかないものになってしまいました。
これは、栄光堂製菓の製品です。

別のお菓子屋さん 焼き菓子通販専門店 三丁目の菓子工房 
によると、

>ロシア人菓子職人、スタンレー・オホッキー氏が浮かび上がってきます。ロシア皇帝お抱えの製菓技師だった彼は、新宿中村屋の創業者、相馬愛蔵氏に招かれ、多くのロシア菓子を日本に伝えました。昭和6年のことです。

  神戸のモロゾフやゴンチャロフなど、いわゆる「白系ロシア人亡命者」が伝えた欧州文化って結構あるんですが、今はかなりそのルーツが忘れられているような気がします。


posted by 山科玲児 at 08:57| Comment(2) | 日記

2016年04月24日

西洋美術史入門・実践編 のレビュー

西洋美術史入門・実践編 (ちくまプリマー新書)  2014/3/5

のレビューを投稿しました。

結論: 多少の問題はありますが、得がたい本
タグ:西洋美術史
posted by 山科玲児 at 12:18| Comment(0) | 日記