2016年04月09日

平安時代は蒸し風呂か?


 風呂や洗濯、トイレなど、人間の生活に不可欠で日常的なものほど、意外なほど記録がなく、
当時の生活を知ることが難しい。これは歴代そうらしいし、現代の小説でもトイレを詳細に描写するなんて、闘病記か、家を改造するときの記録小説ぐらいではなかろうか。
 変わったこと、非日常的なことは記録するが、毎日の行住坐臥のことは記録しないのが普通である。
 そのため、古代の生活を想像するのが難しくなり、著しく美しい非現実的な幻想的描写になるかと思うと、著しく野蛮で不潔、醜悪な描写になったり、両極端に振れる傾向があるようだ。

 風呂についても、ある本だと、平安時代の風呂は蒸し風呂だけだと断言しているし、一部のサイトで枕草子を引用していたが、手元の枕草子のテキスト(三巻本)や流布本の能因本のネットテキストを検索しても、該当する文章がみつからず困っている。

 ご存じのかたがいらっしゃたら、どのテキストのどの段どの部分にあるのか、ご教示いただきたい。

  飛鳥時代から温泉愛好の記録が多い。温泉でも泥風呂、蒸し風呂は作れるし、古い遺跡もあるのだが、温泉を普通素直に利用するとしたら、温水浴じゃないのかな。 蒸し風呂に作るには一段の技術発展工夫がいるだろうと思う。温泉の噴出蒸気を直接使ったら、火傷で死んでしまいますからね。

2016年03月19日
平安時代の生活
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/174539468.html
もあっぷしたが、やはり色々難しいものだと思う。


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2016年04月08日

枯木の聖母

petrus christus Thyssen Bornemisza.jpg

 マドリードのティッセン=ボルネミッサ美術館 にほんとに小さな板に描いた油絵がある。縦がたった15cmもないという小さな板絵である。そうとう昔、この図版(上イメージ)をみたとき忘れがたい印象を受け、2005年にマドリードで、実物をじーーと観賞したものだ。

  世界の美術館 シリーズなどで紹介されたことがあるので、日本でも知っている人はいると思う。ベルギーのブリュージュで活動していた画家Petrus Christus(?-1472/73)の作だとされている。20世紀初めころは、ベルギーの個人コレクションにあり、スイス ルガーノのティッセン=コレクションに移り、ティッセン=コレクションがマドリードに落ち着いたため、ここで展示されているのである。

  実に不思議で神秘的な絵というか構図で、枯れ木の上に聖母子が出現して、枝に15個の「A」がぶらさがっている。これはリタニー(ロレートの聖母連祷)にある15のAVE(聖母を賛美する呼びかけ)の象徴らしい。斬新で変わった構図や発想でも絵画的な魅力がないものでは芸術作品といえるかどうか?ということもある。これは小品ながら、構図や構想の斬新さと絵画的な上手さ・味が両方備わっている魅力的な作品だと思う。実物が非常に小さいので、むしろ図版のほうが印象が強いかもしれない。

 同様なテーマの絵は他でみたことがなかったのだが、最近、昔買ったパンフ・カタログをひっくりかえしていたら、2009年にブリュージュで買った小さなオランダ語(フラマン語)のパンフの中にみつけた(下イメージ)。
 パンフの標題は、Shilderijenpelgrimage verborgen meesters in Brugge Kerken en Musea たぶん「絵画巡礼 ブリュージュの教会と美術館」というところなんだろうな?オランダ語はできないのでいいかげんです。
 この絵はブリュージュの聖ワルプルガ教会にあるという。このワルプルガってのはワルプルギスの夜というのと関係あるんだろうな。
  https://en.wikipedia.org/wiki/St._Walburga_Church_(Bruges)
 こっちの現物は私は観たことがない。1620年というから上の絵より150年ぐらいあとの作品で、115x150cmという普通の大きさの絵だ。 風景の中の枯れ木というセッテングになっている。ペトルス=クリストスの作品より少し俗っぽいというか神秘感や緊張感が少ない。枯れ木に「A」がぶら下がってはいない。描いた画家Peter Claeyssens the Youngerが有名な人ではないせいか、この絵は図版すらめったにみることができないようなので、あえて紹介してみた。

 上の絵はこういう大きな絵から切断されたものなのか?それとも逆にこういう絵は、小さな絵から構想を膨らませたものなのかは考えるところである。

Vierge Bois STWALBRUG Claess.JPG
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2016年04月07日

呉大徴の古玉圖コウ

Orientations 2016vol47n3 April.JPG


最新のOrientationsがきたら、やたらに薄かった(イメージ)。

変な話だが、この雑誌は薄いときのほうが、私的個人的には読みごたえのある記事が多く、厚いときのほうが読みたい記事が少ないという妙な傾向がある。

今回は、カナダのトロント  ロイヤルオンタリオ博物館に、呉大徴旧蔵の古玉がめぐりめぐって最近入ったという話が冒頭記事であり、なかなか面白い。

ただ、ちょっと気になるのが表紙にもある 呉大徴の著書:古玉圖コウ(考)がやけに安っぽい石版印刷本だということだ。

貧架に所蔵している本(下)よりも安っぽい、後版のようにみえる。粗末すぎるんじゃないかな、

 ただ、この古玉圖コウだが、ちゃんとした豪華本を一度も見たことがない。どうもひょっとしたら、この粗末な石印の本:上海同文書局本しか印刷本はないのかもしれない。 ただ、この表紙の本は題簽に「呉大徴」と麗々しく書いてあるので、かなり安っぽい商業主義的な感じがする、初版ではなくそうとうあとのものだろう。

 この古玉圖コウは古玉の名前をつけるときの標準的命名ガイドブックみたいになっているので、結構需要があるのか、現代でも台湾や大陸で再版されているようである。あの璧とか圭とかいうような名前をつけるのには、この本を参考にするのが一番安易だからだ。もっと古い本はあるけれど網羅的ではないからね。図版が簡単な線描なのに再版されるのはそのせいだろう。

 この記事のなかで 呉大徴の古玉圖コウに絵が描いてある古玉の現物が、二十点以上もロイヤルオンタリオ博物館に入っていて、その小さな図版が並べてあったのは興趣をそそるところである。呉大徴は、清末の大物官僚で蒐集家・研究家だった。


古玉図コウ 呉大徴 (3).JPG
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2016年04月06日

ファイアンス 用語の混乱

 どうもファイアンスという用語 普通名詞は2種類n全く違ったものに使われているようである。

  ひとつは、イタリアのファエンツア(この知名がファイアンスの語原) でさかんに作られた陶器  ファイアンス焼き である。

マヨリカ陶器の伝統をひいたものだという。錫釉 を使うものらしい。
 大きな皿や鉢も多い。


  もう一つは古代エジプトを中心に西アジアで生産されたもので、小さなアクセサリーや護符、小物、小型の彫刻などにつかわれたもので、
珪砂を成形してナトリウムが入ったアルカリ釉薬を使ったものである。
 メトロポリタンの青いカバが有名である。

 この2つは、全く成分も製法も時代も違う。

  どうしてこういう混同がおきたのかわからないが、なんらかの整理は必要だろう。



posted by 山科玲児 at 09:02| Comment(6) | 日記

日本の扇は古いなあ

 一昨日、

2016年04月04日

木と紙の扇

というタイトルで扇のことに言及したが、

紙貼りの扇については、

清少納言の枕草子に 「クラゲの骨」という逸話がある章がある(  流布本で102段 三巻本で97段)

そこで「骨に紙を貼る」という言い方がでているので、やはり紙貼りの扇もあったのだろう、、と思う。ただ、残っていないだけだ。また、ひょっとして大陸風の団扇のことと混同しているのかもしれない。

薄い板を綴った檜扇は意外に多く残っていて、なんと平城京あとからもたくさんでているようである。
埋蔵文化財調査センター  奈良市 の多数の報告がある::

これによって、檜扇の発明は奈良時代以前に遡ることになる。

posted by 山科玲児 at 08:46| Comment(0) | 日記

2016年04月05日

佐野の渡し 補足

4月2日に紹介した
佐野の渡しの絵の画家

立林何[臼+巾](たてばやしかげい)の別の絵が東京国立博物館にあるようです。



なんか、太めの松で、宗達というか、等伯というか、面白いものですね。

むしろ蘆雪かな。


posted by 山科玲児 at 07:23| Comment(0) | 日記

2016年04月04日

木と紙の扇

厳島神社 檜扇.JPG



で、しばしばでてくる扇ですが、薄い木の板を重ねて作った扇と 木の骨に紙を貼った扇と両方でてくるようです。

木でできた扇というと、昔、中国土産にあった白檀の扇を思い出しますが、もう少し厚手のようですね。
上のイメージは、厳島神社にある檜扇です。昔、芸大での平家納経展で実物を仔細にみたことがあります。
 じゃあ平安時代の扇というのは紙じゃなくて木の板なのか?というと「扇の骨」という言い方もあるので紙貼りもあったようで、で、両方あったんじゃないかな。また、現在でもある布張りということもあったかもしれません。

 この折りたたむ扇というのは日本の発明のようで、中国では北宋時代に輸入されていて珍しいものだという記録があるようです。その後、室町時代の貿易では多量に明に輸出されていたようですね。
 戊子入明記(1468年 応仁2年)では、交易品として、「御扇 二千二百本」という記録があります。

  

posted by 山科玲児 at 08:38| Comment(0) | 日記

2016年04月03日

米国でもマスコミは腐っていた


 でみると、たぶんマスコミの「嘘っぽい報道」に毅然として反論するトランプ
というのが、好感をもたれた端緒だったようです。

 やはり米国でもマスコミは腐っている、疑いをもってみられているんだなあ、
 マスコミへの反発がトランプ支持につながっているみたいですね。

最近では、、
国境警備の労組、トランプ氏支持を表明 米大統領選
http://www.cnn.co.jp/usa/35080476.html
  普通、労組は民主党支持が多いんじゃないの、前の記事にでた人が「トランプかサンダース」といっていたのと似たような政治的傾向なのかな。もっともトランプとサンダースでは政策では共通するものが多いので、レッテル貼りを剥がしたら似たもの同士なのかもしれない。

また、
撤退したライバル候補カーソン医師もトランプ氏支持
http://www.cnn.co.jp/usa/35079356.html
この人は去年の秋では
2015年 10月 28日 00:57 JST
米大統領選、支持率で元医師カーソン氏首位 トランプ氏転落
http://jp.reuters.com/article/us-poll-carson
という有力候補で、かなりひどい舌戦をやっていたはずですが大同団結することにしたのかな。
あるいは、カーソン氏自体が業界団体を背負っていてその意向・利害ということもあるかもしれません。
posted by 山科玲児 at 10:13| Comment(0) | 日記

花見 


さくら 落花.JPG友則  墨彩堂 モノクロ.JPG

どうやら、今日日曜まで花がもったようなので、朝っぱらから観に行きました。

落花という風情がいいですね。

百人一首にも収録された

ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則

をいつも思い出します。この歌は紀貫之かと思っていたら友則でした。

また、当時の「花」は梅だという説がありますが、古今集みると結構サクラも花見していますからね。
第一  『散る』花というのは梅は似合わない。やっぱりサクラじゃないとね。

右のイメージは、西本願寺三十六人家集の友則集からとりました。

 ちょっとみるとわかるんですが、この和歌は歌合(寛平御時后宮歌合)で提出されたものなんですね。その場で作ったわけではなく用意されていたものなんでしょうが、公的な場で題詠として披露されたものです。
  あまり私的な孤独な感慨というものじゃないんだな。


posted by 山科玲児 at 09:26| Comment(0) | 日記

2016年04月02日

佐野の渡し

佐野渡 屏風.JPG


  これは、1958年の美術雑誌 国華 に掲載された 佐野渡図屏風の一部である。当時はハワイにいるアメリカ人の所有だった。
  なんとなく宗達風、琳派風であるが、描いた画家は、
立林何[臼+巾](たてばやしかげい)
>「江戸時代中期の画家。名は立徳。号は何[臼+巾],金牛道人,喜雨斎。伝記は不明な点が多く,初め加賀の前田家の侍医を務め,のち江戸へ移住し,白井宗謙と改め,鶴岡逸民とも称した。作品に尾形光琳の「方祝」印と類似した印章を用いたため,光琳の弟子とされたこともあるが,元文3(1738)年に尾形乾山から光琳の模写した宗達扇面画を贈られているので,江戸で乾山に絵を習ったと考えられる。 」
という人らしい。

 この絵は、藤原定家の和歌
   駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮[新古今671・定家]
を下敷きにしている。
  同様な絵は蘆舟などにもあり、結構多いものらしいが、これはなかなか保存も良く綺麗だと思う。
  さて、この定家の歌は、いかにも新古今的な手の込んだマイナス方向の歌で、
  「駒とめて袖うち払ふかげ」も⇒ 「なし」 なんだから、ホントは、馬も袖も人物も何もないのである。ただ、あるのは「雪の夕暮れ」のみ。
   それなら、この屏風絵は実は間違いなのだが、[佐野の渡し]の絵はこういう図様で描くということに伝統的になっているのである。 和歌の通り描くと描くものがなくなってしまう。何もない屏風になってしまうからだろう。

  こういう風に、なんか派手な色彩的な言葉を前に出して、直後に打ち消して荒涼感を漂わせるというのは、定家の得意技のなかで後世に評価されたものらしく、もう一つの有名な和歌

   見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮[新古今、363、藤原定家]
も同じ仕掛けになっている。
  しかも、これらは千利休に高く評価されて茶道の美学の真髄とされているのである。

  この定家−>千利休ラインのこの美学は、確かに一つの頂点かもしれないが、日本的感受性・美学をこういうところに限定するのはいかがなものか?と思う。枕草子や古今集で、直球タイプの王朝美学に触れると、こういうセンスは、いかにもねじ曲がったひねくれた陰気な美学のように感じられる。ただ、王朝文学のテキストを集大成した優れた批評家・文献学者でもあった定家の美学が全てこれだとは到底思えないわけで、応仁の乱・戦国時代を経て千利休に至る間にこういう側面が強調されたということではないか?と思っている。

  和歌における定家の理論の影響は非常に大きいものがあって、あの独自性の強い知性である丸谷才一の力作である新々百人一首(下イメージ)でさえ、その美学理論が定家に依存し収レンしているように感じられる。
   この「アララギ派の見方を打破しよう」とする気迫満々の丸谷才一ですら、アララギを脱けだしたら定家に落ち込むのかよ? とがっかりしてしまう。 まあ、応仁の乱などの影響で平安時代の文献への道が狭くなり、定家を通る道しかなくなってボトルネック状態になっているのは確かだとしても、もう少し独自の見方にならないものか?と思うところである。池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 全30巻にも収録されている力作なのだが、そういうところがひっかかっている。

  私としては、もう少しおおらかで古代的な紀貫之の序文などのほうが親しみやすく思われる。

新々百人一首.jpg
posted by 山科玲児 at 10:12| Comment(0) | 日記