2016年04月11日

キリスト教絵画と聖書と聖人

Saints 1994s.jpg


  ネットでキリスト教絵画について勉強するのに聖書をまなぶべき、というような論調がでていたので、下記のことを書いて警鐘をならしました。

>キリスト教絵画について、押さえておくべきことは、
 「聖書に書いてない主題が多すぎる」ということです。
 従って、聖書を読んでもあまり役に立ちません。ここでつまずく人が多いので、力説しておきます。
 なんで、そんな変なことになっているかというと、キリスト教絵画を多量生産したのはカトリック教会です。東方ギリシャ正教会にも独自の絵画がありますが、これはいわゆる西洋絵画より古い様式ですからね。プロテスタントはどちらかというと質素な教会で、壁は白壁が多いから贅沢な大きな絵画なんかは注文しなかったようです。

 カトリックでは中世の間に様々な聖人伝説・俗信などをとりいれて民衆や王侯に布教しましたので、聖書以外のそういう話やお説教・美談 とくに殉教者の逸話や奇跡談などが絵画の主題になっているのです。

 第一、中世のカトリックでは「信者に聖書は読ませたがらなかった」という話すらあります。聖書を勝手に解釈されて分派を作られるのをおそれたからだとか。教理問答とか説教集とかお祈り集とかを読ませたんですね。それで聖書を俗語に翻訳することが異端になったりしました。

 では、どういう本が絵画の種本になったかというと、まず黄金伝説という聖人伝集成です、これは日本語訳が文庫にあります。ただ、最初に読む必要はないと思います。必要に応じて参照でいいんじゃないかな。あと新約聖書のルカ伝マタイ伝黙示録は比較的よく絵画に描かれています。他にも聖ブリュギッタの啓示とかいろいろ種本があるらしいのですが、それらは画集の解説などで引用されているもので十分かと思います。
  「聖書」を苦労して読んでも、絵画にでてこないので無駄骨だったという悲惨な経験からキリスト教絵画が嫌いになる人が少なくないので、注意しておきたいのです。
まあ、レンブラントなんかは旧約聖書新約聖書にそった主題が多いんですけれどね。それはプロテスタントだからです。
  どれほど「聖書に書いてない主題が多すぎる」かというと、祈祷書の挿絵なんかだったら旧約新約聖書の分は1/2〜1/3ぐらいです。
  多いというべきか少ないと言うべきか、一般には皆聖書のエピソードを描いていると思ってるんだろうなあ。

  西洋絵画のキリスト教絵画というと人物画であるから、聖書の逸話以外なら聖人伝説が多いわけですね。聖人といっても1000年以上前の古代の人々だけではなく、信長秀吉の時代の聖フランシスコザビエルの奇跡の大きな絵画シリーズなんかもどっさりあるし、もっと近い時代なら、ルルドの奇跡の絵画だってある。

 イメージは、英国で1994年にでた聖人一覧の絵入り本Saints by Elizabeth Hallam 1994です。
 御利益や職業ごとに守護してくれる聖人をあげている本で非常に便利です。例えば宇宙飛行士の守護聖人まである。
 表紙カバーの中心で槍をもつ聖人は聖ジョージ(ゲルギウス) は北アフリカのリビアの軍人で竜を退治した人。なんのことはないカダフィ大佐みたいな人ですねえ。軍人の守護聖人、英国の守護聖人です。

 まあ、それでも聖人というのは、当時の教養人で思想に悩んだ人々も多かったのだから、鋭い格言を残している人も多いようです。

 聖ヨハネス・クリュソストモス(4世紀):

>「淫蕩に傾くものは寛大で仁慈に富んでいる。純潔に傾くものはそうでない。」

 聖ベルナール(11世紀)

 「地獄への道は善意でしきつめられている。」

 まさにゲルマン民族の大移動を引き起こしたヴァレンス帝や地中海難民をEUに引き入れたメルケル首相を表現しているようですね。

マザーテレサ(まだ聖人にはなっていないけど、2003年に福者になった。)

>「 愛の反対は憎しみではない。無関心である。」

posted by 山科玲児 at 09:14| Comment(0) | 日記