2016年06月12日

ボス  三賢王礼拝 は、クリーニングされていた


>「三賢王礼拝の祭壇画」
> は、2005年のときの印象よりよほどよくみえた。展示環境というのはおそろしいものだ。

と書きましたが、実は、展覧会の前に画面のクリーニング・額部分の修理が行われていたようです。


Restauración: El tríptico de la Adoración de los Magos, del Bosco
https://www.youtube.com/watch?v=wCk80pP5znw

2005年では、なんか貧弱なものにみえたのに、今回は凜とした良い作品にみえたのですから、良い修理だったと思います。
posted by 山科玲児 at 17:04| Comment(0) | 日記

聖マルティヌスのワイン

WINE SAINT MARTIN BREUGELss.jpg

  5月30日、プラド美術館での、めあての一つは、最近発見されたブリューゲルの大作:聖マルタン(聖マルティヌス)のワインだった。
 新発見のブリューゲル大作 聖マルティヌスのワインについては2011年3月6日にレビューしておいた。
  http://reijibook.exblog.jp/14376365/

  これは幸い展示されていた。隣に展示されている「死の勝利」より大きく力作のようにみえる。人間の肉体描写がより現実的で、中世的肉体ではない。ロンドンの三賢王礼拝や、写真しかみてないが「農民の婚宴」(ウイーン)

などに近くブリューゲルとしてもやや晩年・最盛期にちかいものだと思う。絵の具の剥落は修理後もひどいが、ブリュッセルの三賢王礼拝よりは状態がよい。布はかなり粗いものだが一応下地はつけてあるのか布目が筆線に直にでているようなことはない。絵の具の褪色剥落が多いのは誠に惜しい。
 この聖マルティヌスのワインの修理の事情をヴィデオ編集したものがあって興味深い
  https://www.youtube.com/watch?v=HS4dI9KPPD4

 麻布にテンペラで描いたこのようなブリューゲルの絵画は何点か残っている。一番保存がよいのがナポリのカピデモンディ美術館にある「盲人の喩え」「人間嫌い」の2点で、ブリュッセルにある「三賢王礼拝」はボロ布のように傷んでしまっている。どうも、ロンドンナショナルギャラリーにあるディエルク ブーツの古い例なども鑑みると、こういう絵画は、もともとはタペストリーの代用品として使われて消耗してしまったもののようだ。ただ、ブリューゲルの時代になると、既にヴェネチアでキャンバス+油彩の作品が盛んに完成品として制作されていたし、イタリアを旅したブリューゲルが知らなかったはずはないから、代用品消耗品というような意識での制作ではないだろう。

 スペイン語なのが問題だが、モノグラフ(イメージ)をプラドの本売り場で探してもらったら、安かった(5E)ので買った。 どうもこの本の写真図版は、より色鮮やかで現物より鮮明にみえる。色校正の違いであろうか。本物・現物はもう少し全体に褪せたような感じが覆っている。
    Pilar Silva Maroto, Manfred Sellink y Elisa Mora, Pieter Bruegel el Viejo. El vino de la fiesta de San Martín, Madrid,2011
   このElisa Mora女史が、上のヴィデオに登場してる白衣を着た修理責任者ね。

  もともと17世紀のナポリ総督をやっていたメヂニチェリ公爵の家系に伝わったもので、2009年11月ににオークション会社ササビーズのスペイン支店にもちこまれ、スペイン政府が先買い権を行使したもののようである。

 この絵自体は1980年にスペインの学者がペーター ブリューゲル(子)こと小ペーター=ブリューゲル(有名な方のペーター=ブリューゲルの息子)の作品として報告はしていたが、あまり注目されなかったものらしい。小ペーター=ブリューゲルの作品は多量生産された模写が多く、質が低いことが多いので、あまり重視されない。そのため、この報告も見過ごされてしまったのだろう。

  また、従来 オリジナルに近いとされてきたウイーンの断片のほうが原本、こちらが模写本だとしてしまったのではないか? 実際、ウイーンのものも布にテンペラらしいし古くから知られているものではある。ウイーンの絵が原作の断片で、プラドのものが模写したものであるという解釈も成り立つのである。現在は、見解が逆になっていてウイーンのほうが模写だとなっている。よく比較してみると、確かに、ウイーンの中央上部の長い柱や背景家屋にはどうもおかしなところがある。

 
posted by 山科玲児 at 13:11| Comment(0) | 日記

マドリードの邸宅美術館

Cerralbo1.JPGCerralbo2.JPGCerralbo3 toilet.JPG


  6月3日に、プラドを早めに切り上げて、タクシーをつかまえてセライボ美術館にいった。

なにせ3時までしかやっていないので悠長にコミーダ(昼食)やっているとしまってしまうのである。ここはあまり知っている人はいないようだし、古い旅行ガイドには閉館中となっているありさまである。しかし、同じマドリードのラザルガルイディアーノより更に徹底した本当の邸宅美術館である。なんで私がここを知っているのかというと、長崎にきたプラド美術館 静物画展にあったMiguel de Pretの葡萄の絵に感銘を受けた。そのMiguelのサインがある基準作の「葡萄」がここにあるという情報を得たのがきっかけである。
 2015年05月05日
  深遠な葡萄 アントワープからマドリードへ来た画家          http://reijiyamashina.sblo.jp/article/126754461.html

 庭はどうてことないが、玄関に入ったとたん大理石とタペストリー、シャンデリアに圧倒される(イメージ)。案内の女性がいて、奥ののドアで切符を買えという。ノーフラッシュなら撮影可能なので、皆がやっているようにカメラだけとりだして鍵つきロッカーにいれた。実際、通路がそれほど大きくないし、そこらじゅうにアイテムが裸でおいてあるので、とても大きな荷物をもって鑑賞などできない。どうも、毎日の入場者数を60人に制限しているらしい。実際に中をみると、これは無理もないと思った。
 中国人韓国人団体客など、決して入場させてはならない。めちゃめちゃになるのが眼にみえている。ベルギーの古都ブリュージュの14世紀の鐘楼の最上階にもハングルのひどい彫り込み落書きがあった。

 大半の部屋が豪華絢爛を誇示したつくりだが、特にすごいのがボールルーム(舞踏会場)で鏡を複雑に使って幻惑的な空間を作っている(イメージ)。フランス人の観光客が話しかけてきたんでヴェルサイユと比べてどうか、と聞いたら、ヴェルサイユより豪華だというとんでもない回答が返ってきた。実際、大きさはともかく豪華さが凝縮しているという点は、近くのスペイン王の王宮よりも強烈である。スペイン王王宮は見学した限りでは、すっきりした感じを受けた。この過剰な豪華さは、フィレンチェのピッティ宮やシエナのキージ サラチーニ宮を思わせるところもあるが、もっとバロック風である。
 興味深い部屋のひとつが、豪華というのもおろかのダイニングルームだが、ここはボデコン(台所画  静物画)が多数かかっている。なるほど、野菜などの静物画はこういう風に使われたのだと納得した。ここの壁の一角に、Miguel  de Pretのサインがあるらしい葡萄の絵ともう一つの二房の葡萄の絵がかけてあったがテーブルのむこうなので よく撮影できなかったし、双眼鏡はロッカーにいれたままなので使うことができず残念だった。しかし、どういう風に使われた絵なのだが、よくわかる。
 また、ビリヤード室があって、豪華なビリヤード台がおいてあった、アマデウス モーツアルトの財産にも高価なビリヤード台があったが、こいういものではなかったろうか?
  図書室の2Fには小さな梯子をかけて上る。かなり危ない感じがする。この梯子は取り外し式のようで幅がせまく、たぶんこれしか2Fの書棚にいけないようであるのがすごい、こういう梯子は古版画などにみることができる。
 淑女の化粧室 トイレット というべき部屋(イメージ)もあって、これも注目を集めていたようだ。
 また、シエナのキージ サラチーニ宮でも思ったが、シャンデリアてのは、かなり低いところ、手を触れられるぐらい低いところまで降ろして使うものなのだ。考えてみれば蝋燭などの明かりなのだから、あまり高いところにあると、照明効率がよろしくないし、天井が煤だらけになる。フェリーニの映画「カサノバ」で、宴の後で召し使いたちがシャンデリアを床まで降ろして火を消したり蝋燭を交換したりするシーンがあった。あのときはかなり高い位置までひきあげていたようだが、あれは映画だったから、低いと様にならなかったのかもしれない。

  絵画作品は多数あるが、本当の名画と称するべきものはあまりないようである。しかし、個人コレクションというのは、優れたコレクションをまとめて受け継ぐという幸運にあわない限り、概してこういうものではないだろうか。
 工芸品には優れたものが多そうである。

 邸宅美術館というのは邸宅+収蔵品であるが、ここは、収蔵品では世界的に有名な作品などない。むしろ19世紀以前に、大貴族や富豪の蒐集家がどういう風に美術品を展示していたか、という形をそのまま観ることが出来る希有な例である。邸宅と美術品では邸宅のほうに重きを置いた珍しい例だ。

 米国ニューヨークのフリック=コレクション、ボストンのイザベラガードナー、ロンドンのウオレス=コレクション、アントワープのマイヤーファンデアベルク、パリのジャックマールアンドレなど邸宅美術館と称すべきものは多いが、イザベラガードナーは例外として多かれ少なかれ手をいれて整理して美術品を見易いようにしてあるようだ。また邸宅そのもがミラノのポルディ ピッツォーリのように連合軍爆撃の被害にあったところもあり、優れた一流の美術品を展示してあっても、当時の蒐集観賞状況そのままという生々しい感じを受ける美術館は少ない。
 このセライボはその真反対であり、タイムカプセルに入るような不思議さがある。
  マドリードの邸宅美術館としては、ラザロ=ガルディアーノ美術館が所蔵品という点ではここセライボよりずっと優れているが、ここセライボ美術館は所蔵品ではなく、内装や環境をみるところだと思った。

 個人でそっと訪れることをお薦めしたい。


posted by 山科玲児 at 05:25| Comment(0) | 日記

2016年06月11日

ボス  快楽の園 の模写


 エスコリアルへ5月31日へ行ったとき、快楽の園の左翼の模写をみた。少し小ぶりに模写したもので、フェリペ2世の寝室のすぐ脇にかけてあった。そのときは、これは2001年にボイマンス美術館のボス展でみたものではないか?と思ったが、なんか小ぶりだなあ?と思っていた。ところがボイマンス美術館のときの目録を調べ直したら違いました。ボイマンスで観たものはプラド美術館にある少し大きな、原作とほぼ同じ大きさの模写でした。

 プラドの目録 CREATION Copy Inventry No. Po2053
 https://www.museodelprado.es/coleccion/obra-de-arte/la-creacion/b5cb7209-0009-4b8f-ab20-d6db0617a9fa
   188x77cm
もと、1794年には今のプラドあたりの王宮にあり、1839年にはエスコリアルにあったものだそうです。

  そうなると、この左翼だけの模写が2つあることになる。
 ところで、このエスコリアルで観た小型の模写には、面白いところがある。年輪年代法で年代を測定したらこの絵が描いてある板は原作の板より古いのだ。1447年以降で、原作の1458年以降より10年以上古い。これは明らかにコピーなんだからコピーのほうが制作年代が古いってことはありえないから、コピーの年代を基礎にして年代を推定しないといけないわけだ。
 この測定データの根拠は、これ。
P. Klein, "Dendrochronological Analysys of Works by Hieronimus Bosch and His followers", 2001,Rotterdamボス展の研究論文集に収録。

 今回のプラドのボス展では、この模写2つはどちらもでていなかった。カタログは全部読んでいないけどなんか研究が掲載されているかもしれない。

 この絵の中央画面の模写は、少なくとも2つはある。
 一つは、
 2016年02月06日
 ブダペストのボッス
    http://reijiyamashina.sblo.jp/article/173544614.html
で言及したブダペストのもので、痛みがすざましいが、結構いい。


  もう一つは2001年 ボイマンスでの特別展ででたミヘール=コクシーの作品か?といわれる個人蔵のもので、人物が皆 人形みたいで、あまり感心しない。きれいだけどなんら心をうたないものだ。コクシーなら、もうちょっと上手く写しそうだがね。

posted by 山科玲児 at 10:11| Comment(0) | 日記

ボス  三賢王礼拝 の寄進者 続

bosch epiphany prado grisalle detail donors.jpg

昨日紹介した、
 Eric de BruynのXavier Doquenne論文を紹介した文章(2012年)
    Doquenne 2004
  http://expert.jeroenboschplaza.com/ericdebruyn/duquenne-2004/?lang=en

には、更に面白い推定があるので、紹介したい。

 それは、この祭壇画の外側にモノクロームで描かれた絵の一部に、多少色をつけて描かれている二人の人物のことである。

 上に⇒をつけた部分イメージをあげる。下のURLでは全体をみることができる。
Adoraton of Magis Prado  Grisaille
http://www.wga.hu/art/b/bosch/91adorat/02tripty.jpg

 この二人は明らかに、後で付け加えられたもので、ボスの筆ではない。
 この紹介文では、右の少年は Peeter Scheyfve(ー1506)とその妻Agnes de Grammeの実子の Jan Scheyfve  左端の年輩の男性は Agnes de Grammeの父親、つまり少年の祖父のPeeter de Grammeではないか? と推定している。

 これは、なかなかうがった見方であろう。Peeter Scheyfveが再婚したあと、先妻が描かれた祭壇画は、後妻にとってはちょっと邪魔だっただろうし、息子にとっては重要な遺品であっただろう。また息子の後見人的立場であった、有力者の祖父:Peeter de Grammeにとってもたいせつなものであったと思う。おそらく、一端Gramme家に絵は移ってそこで加筆されたのだろう。描いたのはアントワープ在住のさして上手くない画家だったようで稚拙である。

 こういう人物の加筆は、絵画の制作中にもしばしばあるようである。その件はまたあとで。


posted by 山科玲児 at 05:38| Comment(0) | 日記

2016年06月10日

ボス  三賢王礼拝 の寄進者

Bosch Epiphany Prado.jpg


 今回のプラド美術館におけるボス展でも、当然展示された
三賢王礼拝の祭壇画」
 は、2005年のときの印象よりよほどよくみえた。展示環境というのはおそろしいものだ。

  この祭壇画に描かれた 2人の寄進者については、1567年、アルバ公がJan Casembrootの財産を没収したときの目録に
 
     >Bronchorst と  Boschuysenの紋章が外側にあるボス作の三賢王礼拝の祭壇画

という記述があることを根拠にし、描いてある守護聖人が聖ペテロと聖アグネスだから、この2人は、
  Peter van Bronchorst と Agnes van Boschuysenであると 信じられてきたのである。

 従来、 ブロンクホルスト=ボシュハイゼ祭壇画と呼ばれてきたこともあった。
 ところが、2001年のロッテルダムのボイマンス美術館におけるボス展の際、当時ベルギーのナミュールにいた研究者 Marianne Rensonが 紋章が合わないこと、該当する人がいないらしいことを論じて問題提起した。
  Marianne Renson, Genealogical Information Concerning The Bronchorst Boschuysen Triptych, 2001, Rotterdam

   財産目録の記述では「外側に」紋章があるのだが、現在プラドにある絵では内側に紋章があるから,
以前からおかしいとはいわれてきたんだが、これで徹底的におかしくなってしまい、財産目録の絵と現在の絵は別々の絵なんじゃないかということになっている。

 では、この2人は誰なんだろうか?  ペーテル某とアグネス某であることは、ほぼ間違いないとしても、どこの誰なんだろうか???

  今回のプラドのボス展のカタログを読んでいてようやく手がかりがみつかった。
 どうも、2004年に系図学の地味なめだたない雑誌に、Xavier Doquenne
という人がある解決を発表したらしい。
    Title:  La famille Scheyfve et Jérôme Bosch 
     Author:   Duquenne, Xavier  
    Genre:   Nonfiction, art history 
     Release Date:   2004 
    Source:   L'Intermédiaire des Généalogistes, nr. 349 (January-February 2004), pp. 1-19 
 紋章や古文書、系譜から割り出したようなのだが、論文そのものを入手できず読んでいないので、確信はできない。ただ、今回のボス展のカタログにも寄稿している専門家Eric de Bruynの紹介文(2012年)があるので、一応 信用したい。
    Doquenne 2004
  http://expert.jeroenboschplaza.com/ericdebruyn/duquenne-2004/?lang=en

  それによると、二人は、アントワープの織物商 Peeter Scheyfve(ー1506)とその妻Agnes de Gramme(ー1497? )である、Peeter Scheyfveはアントワープ織物商ギルドの幹部という大商人であった。アントワープ市の財務官(出納担当)にも就任していた上流市民である。また妻の父もまたアントワープ市の財務官(出納担当)に2度にわたって就任していた上流市民である。

  Peeter ScheyfveにとってAgnesは二度目の妻であり、しかもAgnesの死後再婚しているので、 この絵の制作時期がかなり狭く限定できる。つまり1497年以前(少なくとも三度目の結婚の前) でAgnesとの結婚の後である。これは、ボス研究にとって重要なことだ。 従来は晩年作(1510年ごろ)といわれていたが、間違いであった。

 
  某教授が「アントワープの徴税請負人」といっていたが、それは間違いか、少なくとも主要業務ではない。たぶん某教授は私と同様に原論文を読んでいないと思う。15世紀で徴税請負人というのは、どうもおかしいと思っていた。


 

posted by 山科玲児 at 07:01| Comment(0) | 日記

2016年06月09日

美術品の移動とスペインの経済変動

madonna granada prado.jpg

  今回、プラド美術館の常設展で驚いたのは、フラ=アンジェリコの「ザクロの聖母子」で、これはなんと2016年、今年の新収品である、修復はあるだろうが状態は大変いい。小さな断片でも珍重されてルーブルにはいっているフラ アンジェリコの1m近い大きな作品が新しくみつかるということがそもそもありえない話である。フラアンジェリコという画家名が確実かというと 類例があるからと言うことらしい。とにかく初期イタリアルネサンスの名品には間違いない。アルバ公の子孫の所蔵だったものだという、フランドルで16世紀に強権政治を行ったアルバ公のときに略奪没収されたものかと思ったが、全く違って1817年に14代アルバ公爵が、フィレンチェで買ったものだそうだ。

  この、フラ アンジェリコのことは、日本の美術ジャーナリズムには、全くでていなかったと思う。
  このマスコミの鈍感さもどうにかならないものかねえ?

  めあての一つだった、最近発見されたブリューゲルの大作:聖マルタンのワイン もまた、もと17世紀にナポリ代官をやっていたメディナチェリ家に伝世したものが、2009年にサザビーズにもちこまれプラド美術館 スペイン政府が介入して購入したというものである。

  どうもギリシャ危機以来の欧米の経済危機のためにスペインの貴族たちにも影響が及んでいるのではないか。日本でも金融恐慌や敗戦占領の際に多量の美術品が名家から動いたという歴史もある。
 実際、東京国立博物館 京都国立博物館の重要コレクションもそういう機会に緊急避難的に購入したものがほとんどである。


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2016年06月08日

やはり イベリア的だった

 マドリード トレドに1週間滞在し、スペインの香りを上っ面だけでも吸い込んだあと、再び

ボーカロイド演奏家[歌うP]氏の、スペイン ルネサンス音楽のゲレーロのアヴェマリア

      ゲレーロ  アヴェマリア
              https://www.youtube.com/watch?v=UczU73tHaYs
                   http://www.nicovideo.jp/watch/sm1572114

を聴いてみたが、やはりイベリア的イスパニア的な名演奏だと思う。

ボーカロイドおそるべし。

 この少し野蛮な感じのするところが、なおさらスペイン的郷愁をそそり涙まで催すところがある。
 エルグレコのようなパセティックな感じがあるからだろう。
posted by 山科玲児 at 20:07| Comment(0) | 日記

IS戦闘員3人拘束 デュッセルドルフで無差別テロを計画

IS戦闘員3人拘束 デュッセルドルフで無差別テロを計画

ドイツ語の記事も確認しましたが、確かなニュースです。

日本のマスコミは、あまり報道しませんので、挙げておきます。

きっと、

>ハムザ・Cはその後、2015年9月にドイツへ難民として入国。難民申請を届け出ていたが、まだ難民として認可されていなかった。アブド・アラフマン・A・Kは、2014年10月からドイツに居住していた。
というようなとこが不味いと思っているんだろうなあ。マスコミの中の人は。

posted by 山科玲児 at 11:31| Comment(0) | 日記

運が良かった

 ブラッセル、アントワープなど大雨被害で美術館の休館閉鎖があいついでいるようです。

 実は、ブラッセルのテロがなければ、この時期に、マドリードでボス展をみた帰路に、ブラッセルに旅行して友人と会う計画でした。

 テロのために、すべて計画を白紙にして、マドリード滞在に切り替えたのですが、結果として、とても幸運でした。神々に感謝し、幸運に感謝し、人間の限界を感じ、傲慢をいましめるように、つくづく自律自戒を思うところです。



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