2016年09月21日

地獄への道は善意で舗装されている



先週、9月12日、ハンガリー首相 ヴィクトール=オルバンの「国民投票を求める国会演説」の冒頭に

「地獄への道は善意で舗装されている」 という諺を引用していた。

原形は11世紀のクレルボーの聖ベルナールの言葉で、だんだんと変形して、この諺に定着したものであるという。

私が、この諺で連想するのは、ローマ帝国末期にゲルマン人の侵入を招いたヴァレンス帝である。
ヴァレンス帝は、フン族に追われてドナウ北岸にまで追われたゴート族を哀れみかつ利用しようとして、ドナウ南岸トラキアへの入植を許可した。

 そうしたら、トラキアで暴動 略奪 衝突が もとから住んでいた住民とゴート族移民の間で頻発し、結果 ヴァレンス帝は軍隊でゴート族を鎮圧しようとした。 が、あえなく失敗。最後にはヴァレンス帝自身が焼き殺されるという結果に終わった。
  これが、ローマ帝国の崩壊を決定的にしたゲルマン人の大移動の最初である。

 ヴァレンス帝自身の意図は、むしろ「善意」であったのだが、結果は自分だけでなく、膨大な国民の破滅を招いた。

  これくらい、
「地獄への道は善意で舗装されている」
にふさわしい歴史的事実もないだろう。

ところが、Wikipedia日本語版のヴァレンス帝 項目は、捏造としかいいようのない記述になっていたので、最小限の訂正はしておいた。


posted by 山科玲児 at 21:24| Comment(0) | 日記

ヒラリークリントン とドラッグ

ヒラリークリントンの病気が、いろいろ取りざたされているうち、
WikiLeaksが  ヒラリーのスタッフがパーキンソン病の薬を探しているというメールを暴露したという話があった。

しかし、それはちょっと違うかもしれない。

どうも、薬は、WikiLeaks情報から(間接的なので確かではない)
Provigil  〔同じ薬の別名は、Alertec, Modavigil, Modafinil)
のようなのだ。確かにこれはパーキンソン病の薬としても使われているのだが、普通はそうはいわない。

 
では、Provigilとは何かというと、

本来は、ナルコプレシー(嗜眠症」)の薬である。ところが、これが覚醒剤として、シリコンバレーのビジネスマンに愛用されていたという、とんでもない噂話がある。

2008年7月15日 TechCrunch Japan の米国経済界のコラム記事に

シリコンバレーの経営陣はProvigilを飲んで元気を出している?

こういう状況だと、多忙極まるヒラリークリントンが、この薬物を乱用したとしても不思議はない。

とすると、ヒラリークリントン は覚醒剤常習者、ドラッグ  ジャンキーで、あの奇行はドラッグの副作用かもしれない。

クリントンの闇は深いかもしれないねえ。

posted by 山科玲児 at 10:24| Comment(0) | 日記

2016年09月20日

橋本コレクションが東博で展示(過去形)


中国絵画の個人蒐集として有名な、橋本コレクションが東博 東洋館で、この夏に展示されていたようです。 もうやっていません。マドリードで頭が占領されていて見過ごしておりました。すみません。

橋本コレクション 企画 展示

東博は、購入を考えているのかな。

まあ、あまり変な物を購入するよりは、ずっと良いと思います。

橋本コレクションについては、大阪の天王寺でみたときの感想を書いておきました。





posted by 山科玲児 at 07:37| Comment(0) | 日記

ボス展のカタログを読む その14 ドンナ メンシャ


Simon_Bening_mencha mendoza.jpg

 

プラド  カタログ のプラド美術館の学芸員 Pilar Silva Marotoおばさんの論説
Bosch and His Work 及びFernando Cheka Cremades のThe Fire and the Owlという、スペインにおけるボス作品の伝世・受容を解説した文章を読んだとき、興味深い人物が眼に入りました。
イメージに肖像画(Berlin美術館)を挙げた、

メンシャ  メンドーザ イ フォンセカ まあ、ドンナ(敬称 マダム)メンシャ
Mencia de Mendoza y Fonseca, (30 november 1508 - 4 januari 1554)
です。なんというか気の強そうな頭の良さそうなお嬢さんですね。

  この人の父はスペイン王の宮廷の最有力貴族で、ドンナ メンシャは、ブラッセルに宮殿をもっていたナッサウ=ブレダ伯爵ヘンドリック3世と結婚しました。このヘンドリック3世がボスの快楽の園の所有者だったんですから、当然、「快楽の園」も観ているはずですね。ドンナ メンシャはヘンドリック3世と同じく、同時代のホッサールトやファンオルレイなどの絵画も収集したらしいのですが、ボスやボス派の絵画も収集したらしいのです。
 1539年、ヘンドリック3世が亡くなった後、スペインへ帰って、カラブリア公爵アラゴンのフェルナンドと1541年に再婚しました。
 ブリュッセルにいたころだろうとおもいますが、アントワープの彼女の代理人の記録に、
「1539年にドンナ メンシャは、乾草車のコピーを注文した。前の同じ祭壇画が壊れたためである。」
というものが残っています。
 ドンナ メンシャの遺産として、確実に残っている絵画は、ボスの真蹟ではなく、ボス派の作品なんですが、ヴァレンシア美術館にある、この三連祭壇画です。今回のボス展にも出ておりました。



 強烈な描き方ですが、人間に対する見方描き方が明白にボスとは違います。ゲントの「十字架を担うキリスト」とも全く違う感覚ですね。両者は別人の筆でしょう。 ドンナ メンシャ自身は、あまり真蹟かどうかには拘泥しなかったように思います。

  ドンナ メンシャの墓のあるヴァレンシアの教会にあった絵ですが、自分の墓を飾る絵としてはちょっとふさわしいものかどうかと思いますね。文献でも、ドンナ メンシャが直接教会に寄付したものではなく、相続人があとで寄付したもののようです。

  ところで、この「メンシャ」という名前はスペイン固有みたいで、英語訳でもマリーとかマーガレットというような対応する名前には変えられておりません。前述のヘンドリックも「ヘンリー」になっていましたのにね。
 この「メンシャ」という名前、大村純忠の娘で日本人キリシタンに松浦メンシャという人がいました。
当時の宣教師はスペインでしょうから、こういう名前になったのかな、、とドンナ メンシャに親しみを持ったものです。

 
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2016年09月19日

ボス展のカタログを読む その13 中央は何?

bosch alterpiece desmantled.JPG
 2001年ごろに、年輪年代法で、絵の年輪を調べていたP.Kleinは、イメージのボイマンスの「放浪者」の木とパリ:ルーブル美術館の「阿呆船」ワシントン:ナショナルギャラリーの「守銭奴の死」が同じ年輪をもつことに気が付いた。
  つまり同じ板を真ん中で切って表裏2枚にしたものだったのである。「放浪者」の左半分が「阿呆船」の裏、「放浪者」の右半分が「守銭奴の死」の裏だったのだ。

 ロッテルダムでの特別展での研究論文集に書いてある。また、これらは全て5mm以下という薄すぎる板であり、切断した証拠にもなっている。
  REF, Peter Klein, "Dendrochronological Analysys of Works by Hieronimus Bosch  and His  followers", 2001,

  そのあと、エール大学美術館の断片が「阿呆船」の下に続くということがわかった。

 カタログのこの項目の著者Frisco Lammertseは、最初の記事は、ドイツの新聞フランクフルト  アルゲマイネンツイントングのHartauの2001年8月の記事だとしているが、業績としちゃKleinだろ。

 この切断は、結構古いものらしく、LammertseがあげるワシントンNGにある19世紀英国人の簡単な模写
から推測すると1826年以前のことのようだ。


  今回のカタログで、図のように並べて表示されていると、いやでも、中央画面がなんだったのだろう?という疑問が湧く。
 Frisco Lammertse は、「最期の審判」だったのだろう、と推定している。

  ただ、最期の審判図を想像してはめ込んでみると、私には、どうも違和感がある。
  私は、「乾し草の車」じゃないか?と思っている。もともとエスコリアルとプラド美術館にある「乾し草の車」の扉は「放浪者」なんだから、この祭壇画の中央画面も「乾し草の車」であっておかしくない。一番自然だろう。
 あるいは、似たような群衆場面の「聖マルチヌスのワイン」でもいいかもしれない。

 ただ、今回、1つの作品の一部としてプラド美術館のボス展に展示され、展示番号も46a 46b, 46c, 46dとまとめられてしまうと、以前、1点1点、真剣に観たときより、なんか軽い印象を受けるようになったのは残念だ。それでも、さすがにボイマンスの「放浪者」は、とびきり優れた存在感を感じさせたのは、さすがである。


posted by 山科玲児 at 14:32| Comment(0) | 日記

もし、ルーベンスがアントワープに戻らなかったら


 ベルギーの大画家 P.P. ルーベンス(1577-1640)は、フランダースの犬で有名なアントワープ ノートルダム聖堂の大画面の祭壇画を描いた人である。また、アントワープに工房を構え多数の弟子を使って多量の絵画を生産した。また、国際的な有名人でもあり外交官でもあった。彼(彼の絵画工場の製品)の絵画は欧米の美術館では、いやになるほど出会う。

 ルーベンスは若いころ、イタリアで仕事していて、1609年に母の病気でアントワープへ戻った。
 このイタリア時代のルーベンスの大作を最近ちょっと見返す機会があった。

 カラバッジョを愛好される花耀亭  様の花耀亭日記
   http://blog.goo.ne.jp/kal1123
で、マドリードの ティッセン ポルミセッサ美術館で開催されているカラヴァッジョ展
の紹介サイトを紹介していただいた。
  http://pdigital.museothyssen.org/index.html?revista=172406895&pagina=-31832

  このカラバッジョ展では、カラヴァッジョに影響を受けた北方の画家というコーナーがあって、
そこで、展示されていたのは、大画面のために油彩習作で「羊飼いの礼拝」である。63.5 x 47 cm。エルミタージュ美術館。ルーベンスにはこういう油彩習作油彩素描のような作品がかなり多い。

 この完成作は、 アドリア海側のフェルモの教会にあって、リューベンス「羊飼いの礼拝」(1608)で、3mx2mという巨大さである。
 https://en.wikipedia.org/wiki/Adoration_of_the_Shepherds_(Rubens)

  これを、ティッセンのサイトでみたとき、エルグレコみたいだと思い、あまりルーベンスらしくないな?
本物かしら? と思ったが、当時の注文書などもあり、かなり確実性が高いもののようだ。

 この5年後にはアントワープであの典型的なルーベンスの記念碑的な代表作
「十字架降架」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Descent_from_the_Cross_(Rubens)
 を描いていたのだから、この間の変化成長は、かなり大きなものがある。

 もし、ルーベンスがローマに留まっていたら、どうなっただろうか。平凡なカラヴァッジョ派の二流画家の一人として記憶されていたかもしれない。

 

タグ:ルーベンス
posted by 山科玲児 at 11:01| Comment(0) | 日記

2016年09月18日

ボス展のカタログを読む その12 技法の問題

Prado Cat Adoration Magi detail.JPG


 プラド  カタログ のプラド美術館の学芸員 Pilar Silva Marotoおばさんの論説
Bosch and His Work に、ボスの技法のことが書いてありました。
 抄訳的に紹介しますと、
 ちょうどボスの時代に、フランドルでは油絵技法の変化があったらしく、地の上にのせる絵の具の層を薄くし、層の数も少なくするようになったそうです。それによって絵の具乾燥時間が短くなり、速く制作できるようになるし、絵の具も節約できるということだそうですね。で、ボスがそのパイオニアだなんだそうです。
 そういえば、カレル・ヴァン・マンデル (Karel van Mander、1548年5月 - 1606年9月2日)の画家列伝のボスの項目にも、下地の上に素描してその上に薄く透明な絵の具をかける、素描が上から少しみえる効果も生かした絵画だ。というようなことが書いてありましたね。

 ただ、そういう技法だけでなく、上塗りにハイライトを使って輝き立体性を強調する技法(上イメージ 三賢王礼拝の祭壇画〔プラド〕)も頻繁に使っているそうです。どっちかというと薄塗りはより若い晩年の時期に多いようなことも書いてました。

  こういう薄い透明な彩色層というと、ブラッセル王立美術館にある クエンティン=マーチエスQuentin Matsys (1466–1530)の聖アンナ祭壇画(1509)の、なんか洗って漂白したような色合い(↓ 下イメージ)が、そういう流行を反映しているのかな?と思うところもあります。 やや後輩、半世代あとですが、まあ同時代ですからね。1509年というのは、ボスはまだ活躍していたらしい年代です。


MassysStAnn_Alter.JPG
posted by 山科玲児 at 16:33| Comment(0) | 日記

二つのボス展の批評文があった

 大盛況のプラドのボス展も9月25日まで、あと一週間になったが、
 
 ボスの画集を編集している ペンシルベニア大学のLarry Silver氏が北ブラバント美術館とプラド美術館のボス展の批評を書いていた。

 現在のボス研究の対立混迷を反映してるような、見通しの悪い文章だと感じた。

 たぶんSilver氏自体は、あまり自説を強く言うほうではない調整役のような人なのだろう。できるだけ公平に書こうとしているためかえって、文章が見通しにくくなってしまったという感じを受けた
posted by 山科玲児 at 15:23| Comment(0) | 日記

フォーを入れてみました

フォー トムヤムクン風 みそ汁.JPG


マルコメ が出してる
トムヤムクン風 みそ汁

に、ヴェトナムの麺、フォーを入れてみました。

これは、なかなか美味しい、軽食になります。

フォーは、5分ほどゆでていれますから、一手間かかるんですが、かなり安いものですしね。

トムヤムクン風 みそ汁.JPG

posted by 山科玲児 at 11:05| Comment(0) | 日記

2016年09月17日

イスパニアの甘美な憂鬱 まとめ

machault  biblioteque (1).jpg

2015年12月31日に、
イスパニアの甘美な憂鬱
  ルネサンス後期のスペインの作曲家 ディエゴ=オルティツの変奏曲集を紹介しました。
  基本的にはヴィオラ ダ ガンバを中心として演奏するのだが、リコーダーでやったり、色々な演奏もある。どうも、まとまったCDはなかなか出ないようなんですが、短い曲の集成なので、ライブで1.2曲演奏することは、多い。
  そういう動画を最近集めてみました。
 まず、破天荒なスペインの団体のものから。なんとヴォーカルがはいる。しかし、こういう舞曲は、もともとはイメージのように歌に合わせて、みんなで踊るという形態をとっていたはずだから、それほどは的外れではないかもしれない。イメージは14世紀後半のフランスのギョーム=ド=マショーの歌曲Dame a vousの写本挿絵です。
  More Hispano. Yr a oydo. 02. Passamezzo antico - YouTube
    https://www.youtube.com/watch?v=oglHM2WyBC8
   万雷の拍手というかスタンディングしそうな反響ですね。スペインは熱いなあ。

 次は、一番 正統的というか、長年この曲を弾き続けて、普及に貢献した ジョルディ=サヴァールの名演奏:
  RECERCADAS - Diego Ortiz
     https://www.youtube.com/watch?v=gl2rFJMorhw
  アムステルダムでの重厚な演奏会 Jordi Savall & Xavier Diaz-Latorre: Ortiz, Marais, Sanz 13 May 2015 Amsterdam
            https://www.youtube.com/watch?v=leiWCzIiW5Q
   少し重厚すぎて安易にBGMにはし難い感もあります。


次は、イタリアの団体らしいが、
  CONCERTO SCIROCCO
     https://www.youtube.com/watch?v=g0WhkCLWhaM
  右側のガタイの大きめの黒服の人Giulia Geniniはなんと女性だった。なんかイタリア人というより地中海人種という感じですね。
  古式のファゴットDulcian と後半はリコーダーで主役をやっている。

 次は、割と普通な緩い落ち着いた演奏です。こういうのは安心できる。
ドイツ系かな?
   Two recercadas (both prima) by Diego Ortiz with Luthval - YouTube
 https://www.youtube.com/watch?v=10hatrGAMVk&list=RDg0WhkCLWhaM&index=5

次は、
  前半はヴィオラ ダガンバが主旋律、後半はリュートが主旋律をやるという、ソロと伴奏が入れ替わるという趣向です。 スペインの人みたいです。
 Contrastes Barrocos - Dos Recercadas (Diego Ortiz
   https://www.youtube.com/watch?v=Il4v4dEXL4o

次は、元気の良いお嬢さんのリコーダー、フランクフルトでの演奏ですね。
  Diego Ortiz Tratado de Glosas - Recercada primera and segunda - YouTube
   https://www.youtube.com/watch?v=SShxeYVzyRA

 最期にスペインに戻ってみます。このCapella de Ministrersのヴァレンシアでのライブはオルティッツの曲は最初と合間合間に演奏するだけなんですが、その自由な変奏ぶりは何度も聴きたくなります。
楽器は弓奏ヴィウイエラとなっていて、いわゆるガンバとは違うみたいですが、ピチカートを多用する演奏は面白いものでした。歌手には悪いけど、器楽だけつまみぐいして聴いてみたくなるな。
  Capella de Ministrers Fantasiant música i poesia per a Ausiàs March - YouTube
   https://www.youtube.com/watch?v=ddk4B4Svnbk




posted by 山科玲児 at 10:53| Comment(0) | 日記