2016年09月03日

ボス展のカタログを読む その8 ウィーン 最期の審判

Bosch Last Judgent Vienna.jpg


Bosch Last Judgent Vienna R.jpg
  ボスの代表作として有名なもののなかに、
ウイーン造形大学美術館
http://www.akademiegalerie.at/
にある「最後の審判」三連祭壇画がある(上イメージ)。
  http://www.wga.hu/html/b/bosch/8lastjud/00lastju.html
 この絵の由来というのが、昔から議論があった。まあ、コピーじゃないかといわれて低く評価されたこと
もあるくらいである。
 これについて、プラド美術館の学芸員 Pilar Silva Marotoおばさんの論説
Bosch and His Work
 に、興味深い記述がある。
  重要なことなので、ざっと翻訳する。

 「1972年に、赤外線レフレクトグラフィーをしたら、中央画面左下角の空白部に、跪いた祈願者を発見した。銘帯があるが文字はない。守護聖者は付随していなかった。この人物はフィリップ美公にはみえない。この寄進者像は絵画表面にはみえない。
  2014年にKoldweijが、この絵の右翼裏側(外側)の、従来聖バーボとされてきた聖人像を聖ヒッポリトスと主張した。根拠は周囲の不具の乞食達である。Koldweijはこれをもとに、この祭壇画の注文主は、ブルゴーニュ公シャルル突進公の財務官であったHippolyte de Berthoz(?-1503)であると推定した。Hippolyte de Berthozの顔は、よく知られている。ブリュージュのSintSalvatorCatedralにある聖ヒッポリトスの殉教祭壇画(Dirk Bouts, Hugo vander Goes協力?)に寄進者として描かれているからである、さらにX線でウイーンの聖ヒッポリトスの下にある空白の盾状紋章をみると、そこにHippolyte de Berthozの紋章に似たものがあった。」

 これなら、もう注文主は確定だし、年代も1503年以前と確定されるだろうが、この説に対しては、まだまだ異論もあるらしい、

  ウイーンの最後の審判の赤外線レフレクトグラフィー写真、X線写真を探したがネット上にはなかったようだ。しかし1972年にわかったことが40年以上もたってようやく一般に流布されるってなんだよ。20世紀に出たボスに関する本にはこういうことは何も書いていなかった。それどころか最近のZUFFIの日本語翻訳書「快楽の園」にも、 古文書に「フィリップ美公が最期の審判の祭壇画を注文した」記述があるのでそれがウイーンの祭壇画だという説が、飽きもせず定説のように書いてあった。リールの古文書は、三十六リーブルで現存の絵の二倍くらいの大きな絵を注文するという記述なので、昔からおかしいとはおもわれていた。この絵は完成しなかったか、破壊亡失したのだろう。三十六リーブルは全額ではなく頭金だと思われる。フィリップ美公がその後ボスの大きな絵をHippolyte de Berthozの息子から三百十二リーブルという大金で買ったという記録があるからだ。

  とにかく、ブリュージュの聖ヒッポリトスの殉教祭壇画の裏側にあるHippolyte de Berthozの紋章を下においておく。これとウイーンのX線写真の紋章が一致していれば確実といえるだろう。聖ヒッポリトスの殉教祭壇画の裏面もヴィーンの裏面聖人像とよく似ていて、上に聖人像下に紋章が配置されている。

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posted by 山科玲児 at 11:12| Comment(0) | 日記