2016年09月04日

ボス展のカタログを読む その9 木材の話


 年輪年代法の話は尽きないが、今回はそれ以外のことで二つばかりカタログの中でみつけたことがある。


1.  プラド美術館の学芸員 Pilar Silva Marotoおばさんの論説
Bosch and His Work の注NO.112(なんと118個188個も注があります)に、

「ボスの最期の審判(ウイーン)をクラナーハが模写したというものが、ベルリンにあるが、その基底材がリンデンバウム=セイヨウシナノキ=菩提樹 だというのだ。だから、この模写はドイツで制作されたものだ。おそらく1508年にネーデルラントにいったときに詳細な模写スケッチをとっていて、それをもとにしたのだろう。」

というのがある。
ベルリンの模写は、
Last Judgement Berlin
Paradise Lost
http://lucascranach.org/DE_smbGG_563c
Judgement
http://lucascranach.org/DE_smbGG_563a
Hell
http://lucascranach.org/DE_smbGG_563b

ネーデルランド絵画は、ほとんど全てが、バルト海沿岸から輸入したオーク材を使うから、こういう推論になる(ちなみにこのころのネーデルランドの絵は、あまりキャンバスには描きません。板に下地を施してその上に描きます)。小さな絵ならともかく、こんな大きな材料をわざわざドイツのウィッテンブルクあたりからブリュッセルあたりまでもってきて模写をするわけないからだ。もう一つ考えられるのは、この絵自体が一時的にドイツかウイーンに移動していて、その場所でクラーナハが模写したという可能性である。 というのも怪物などの模写が非常に精密であり、色合わせも良く、サイズも原寸通りであり、横に現物をおいて、あるいはときどき参照できる環境で模写したのではないかと推測したくなる模写だからだ。

  ただ、宗教改革のあと、絵があった可能性が高いハプスブルク皇帝側とクラーナハが仕えたザクセンとは敵対関係になったと思うので、そういう政治事情を考えると、この祭壇画が当時どこにあったのか?という問題が解けるかもしれない。
  もともと、この「最期の審判」の伝世はよくわからないもので、17世紀にレオポルド ウィルヘルムがネーデルラント総督していたときにゲットしたんじゃないか、といわれてきたぐらいなので、クラナーハの模写の木材が、推理の糸口になるかもしれない。

2. プラド美術館の[七つの大罪のテーブル画](イメージ)(ボス展カタログNO.40)
   https://www.museodelprado.es/coleccion/obra-de-arte/mesa-de-los-pecados-capitales/3fc0a84e-d77d-4217-b960-8a34b8873b70
の作品解説(P302-)
は、Pilar Silva Marotoおばさんが力作を書いている。
 その中に、「この基底材がポプラである。」と書いてあり、「ポプラなので年輪年代法が使えない。」と書いてある。
 しかし、ポプラと基底材は、初期ネーデルランド絵画では例外中の例外である。普通はイタリア絵画の基底材だ。

 これは、現在はただの板だが、テーブルの天板であったという古い記録がある。そしてフェリペ二世の寝室にあったという。ただ、私はエスコリアルでフェリペ二世の寝室をみたが、狭くて、とても、この大きさのテーブルはおけなかった。そこには何か勘違いがあるようだ。あるいは、他の王宮の寝室だったのだろうか。 また、もともとは外国の家具であって、その上に装飾したのだろうか?

 ここでまた、Pilar Silva Marotoおばさんに助けを求めるのだが、同じ項目で、
「プラド美術館にはブリューゲル子とアドリアン vam Stalbentが、クラヴィコードの蓋に描いた『ダヴィデとゴリアテ』があり、それがポプラ材である。」
という例を出している。
  どうも、この[七つの大罪のテーブル画]も、もとは、なにか家具の部分品、大きな楽器の響板、長持ちや箪笥の蓋や扉 ヒツの蓋のようなものであったのかもしれない。



 

posted by 山科玲児 at 15:09| Comment(3) | 日記

坂本五郎氏  逝去とオークション


古美術商:坂本五郎氏が2016年8月15日に逝去されました。九二歳

古美術商店「不言堂(ふげんどう)」を創業された方で、あくが強い人であったせいか、業界でも毀誉褒貶があったかたです。ある古美術商は、「不言堂の若い者は何をするかわからない」とさえ警戒していました。

 中国古美術を中心に売買されていました。
 東京国立博物館 東洋館に坂本五郎氏が御母堂の坂本キクさん名義で寄贈された大きな青銅器が数点あります。これは東洋館開館前後のころの寄贈ですから、ずいぶん昔のことです。
 奈良国立博物館の青銅器館は坂本五郎氏の寄贈 青銅器なんだそうですが(全部そうかどうかはわかりません)
  http://www.narahaku.go.jp/exhibition/sakamoto.html
 訪ねたときに、玉石混淆の感がありました。寄贈者の意思なんでしょうが全部展示しているせいか、かなり雑然とした感じが強かったと思います。なかには数点すばらしいものもあったと思いますが、その後、正倉院展などで奈良国立博物館を訪ねても青銅器館を訪れることはなかったのです。

 古美術商ですから、坂本五郎氏のプライベートな所蔵商品のオークション出品は最近何度もあったようです。昨年3月15日 ニューヨーク開催の「坂本五郎の眼」というオークションのことは、
    http://reijiyamashina.sblo.jp/article/114598085.html
で書いておきました。
 下記の9月13日ニューヨーク  サザビーズのオークションは、逝去後最初のものですが、相続問題を考えると逝去前にやっておきたかっただろうなあ。先日コメントしたクリスティ−ズのメトロポリタンの中国陶磁売り立てが9月15日ですから前後した期日ですね。
 13 September 2016 | 10:00 AM EDT | New York

 青銅器では、13番の青銅器の「双鴞ユウ」なんかは、わりとよさそうですね。
 ちょっと、コメントしたいのは、16番 戦国 象嵌帯コウ金具です。金具といっても36.2 cmもある大型のものですが、鉄製のせいで、錆の塊にしかみえません。この鉄錆の塊に観賞価値があるんでしょうか?
歴史的価値はあるといってもねえ。
 チャイナの戦国時代ごろに、金銀宝石トルコ石などで豪華に装飾した帯コウや金具に限って、鉄製品が多いんです。これは現在の「鉄」と「青銅」の評価を考えると不思議なことですが、当時は「鉄」のほうが珍重されたのか、あるいは実用の問題なのはわかりません。この「鉄製」であるために現在では錆の塊になってしまっている遺物が非常に多く、かろうじて原形を留めているものでも保存が難しい状態のものが多いようです。
  青銅なら、こんなにならないのにね。

posted by 山科玲児 at 10:27| Comment(0) | 日記