2016年09月19日

ボス展のカタログを読む その13 中央は何?

bosch alterpiece desmantled.JPG
 2001年ごろに、年輪年代法で、絵の年輪を調べていたP.Kleinは、イメージのボイマンスの「放浪者」の木とパリ:ルーブル美術館の「阿呆船」ワシントン:ナショナルギャラリーの「守銭奴の死」が同じ年輪をもつことに気が付いた。
  つまり同じ板を真ん中で切って表裏2枚にしたものだったのである。「放浪者」の左半分が「阿呆船」の裏、「放浪者」の右半分が「守銭奴の死」の裏だったのだ。

 ロッテルダムでの特別展での研究論文集に書いてある。また、これらは全て5mm以下という薄すぎる板であり、切断した証拠にもなっている。
  REF, Peter Klein, "Dendrochronological Analysys of Works by Hieronimus Bosch  and His  followers", 2001,

  そのあと、エール大学美術館の断片が「阿呆船」の下に続くということがわかった。

 カタログのこの項目の著者Frisco Lammertseは、最初の記事は、ドイツの新聞フランクフルト  アルゲマイネンツイントングのHartauの2001年8月の記事だとしているが、業績としちゃKleinだろ。

 この切断は、結構古いものらしく、LammertseがあげるワシントンNGにある19世紀英国人の簡単な模写
から推測すると1826年以前のことのようだ。


  今回のカタログで、図のように並べて表示されていると、いやでも、中央画面がなんだったのだろう?という疑問が湧く。
 Frisco Lammertse は、「最期の審判」だったのだろう、と推定している。

  ただ、最期の審判図を想像してはめ込んでみると、私には、どうも違和感がある。
  私は、「乾し草の車」じゃないか?と思っている。もともとエスコリアルとプラド美術館にある「乾し草の車」の扉は「放浪者」なんだから、この祭壇画の中央画面も「乾し草の車」であっておかしくない。一番自然だろう。
 あるいは、似たような群衆場面の「聖マルチヌスのワイン」でもいいかもしれない。

 ただ、今回、1つの作品の一部としてプラド美術館のボス展に展示され、展示番号も46a 46b, 46c, 46dとまとめられてしまうと、以前、1点1点、真剣に観たときより、なんか軽い印象を受けるようになったのは残念だ。それでも、さすがにボイマンスの「放浪者」は、とびきり優れた存在感を感じさせたのは、さすがである。


posted by 山科玲児 at 14:32| Comment(0) | 日記

もし、ルーベンスがアントワープに戻らなかったら


 ベルギーの大画家 P.P. ルーベンス(1577-1640)は、フランダースの犬で有名なアントワープ ノートルダム聖堂の大画面の祭壇画を描いた人である。また、アントワープに工房を構え多数の弟子を使って多量の絵画を生産した。また、国際的な有名人でもあり外交官でもあった。彼(彼の絵画工場の製品)の絵画は欧米の美術館では、いやになるほど出会う。

 ルーベンスは若いころ、イタリアで仕事していて、1609年に母の病気でアントワープへ戻った。
 このイタリア時代のルーベンスの大作を最近ちょっと見返す機会があった。

 カラバッジョを愛好される花耀亭  様の花耀亭日記
   http://blog.goo.ne.jp/kal1123
で、マドリードの ティッセン ポルミセッサ美術館で開催されているカラヴァッジョ展
の紹介サイトを紹介していただいた。
  http://pdigital.museothyssen.org/index.html?revista=172406895&pagina=-31832

  このカラバッジョ展では、カラヴァッジョに影響を受けた北方の画家というコーナーがあって、
そこで、展示されていたのは、大画面のために油彩習作で「羊飼いの礼拝」である。63.5 x 47 cm。エルミタージュ美術館。ルーベンスにはこういう油彩習作油彩素描のような作品がかなり多い。

 この完成作は、 アドリア海側のフェルモの教会にあって、リューベンス「羊飼いの礼拝」(1608)で、3mx2mという巨大さである。
 https://en.wikipedia.org/wiki/Adoration_of_the_Shepherds_(Rubens)

  これを、ティッセンのサイトでみたとき、エルグレコみたいだと思い、あまりルーベンスらしくないな?
本物かしら? と思ったが、当時の注文書などもあり、かなり確実性が高いもののようだ。

 この5年後にはアントワープであの典型的なルーベンスの記念碑的な代表作
「十字架降架」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Descent_from_the_Cross_(Rubens)
 を描いていたのだから、この間の変化成長は、かなり大きなものがある。

 もし、ルーベンスがローマに留まっていたら、どうなっただろうか。平凡なカラヴァッジョ派の二流画家の一人として記憶されていたかもしれない。

 

タグ:ルーベンス
posted by 山科玲児 at 11:01| Comment(0) | 日記