2016年09月20日

橋本コレクションが東博で展示(過去形)


中国絵画の個人蒐集として有名な、橋本コレクションが東博 東洋館で、この夏に展示されていたようです。 もうやっていません。マドリードで頭が占領されていて見過ごしておりました。すみません。

橋本コレクション 企画 展示

東博は、購入を考えているのかな。

まあ、あまり変な物を購入するよりは、ずっと良いと思います。

橋本コレクションについては、大阪の天王寺でみたときの感想を書いておきました。





posted by 山科玲児 at 07:37| Comment(0) | 日記

ボス展のカタログを読む その14 ドンナ メンシャ


Simon_Bening_mencha mendoza.jpg

 

プラド  カタログ のプラド美術館の学芸員 Pilar Silva Marotoおばさんの論説
Bosch and His Work 及びFernando Cheka Cremades のThe Fire and the Owlという、スペインにおけるボス作品の伝世・受容を解説した文章を読んだとき、興味深い人物が眼に入りました。
イメージに肖像画(Berlin美術館)を挙げた、

メンシャ  メンドーザ イ フォンセカ まあ、ドンナ(敬称 マダム)メンシャ
Mencia de Mendoza y Fonseca, (30 november 1508 - 4 januari 1554)
です。なんというか気の強そうな頭の良さそうなお嬢さんですね。

  この人の父はスペイン王の宮廷の最有力貴族で、ドンナ メンシャは、ブラッセルに宮殿をもっていたナッサウ=ブレダ伯爵ヘンドリック3世と結婚しました。このヘンドリック3世がボスの快楽の園の所有者だったんですから、当然、「快楽の園」も観ているはずですね。ドンナ メンシャはヘンドリック3世と同じく、同時代のホッサールトやファンオルレイなどの絵画も収集したらしいのですが、ボスやボス派の絵画も収集したらしいのです。
 1539年、ヘンドリック3世が亡くなった後、スペインへ帰って、カラブリア公爵アラゴンのフェルナンドと1541年に再婚しました。
 ブリュッセルにいたころだろうとおもいますが、アントワープの彼女の代理人の記録に、
「1539年にドンナ メンシャは、乾草車のコピーを注文した。前の同じ祭壇画が壊れたためである。」
というものが残っています。
 ドンナ メンシャの遺産として、確実に残っている絵画は、ボスの真蹟ではなく、ボス派の作品なんですが、ヴァレンシア美術館にある、この三連祭壇画です。今回のボス展にも出ておりました。



 強烈な描き方ですが、人間に対する見方描き方が明白にボスとは違います。ゲントの「十字架を担うキリスト」とも全く違う感覚ですね。両者は別人の筆でしょう。 ドンナ メンシャ自身は、あまり真蹟かどうかには拘泥しなかったように思います。

  ドンナ メンシャの墓のあるヴァレンシアの教会にあった絵ですが、自分の墓を飾る絵としてはちょっとふさわしいものかどうかと思いますね。文献でも、ドンナ メンシャが直接教会に寄付したものではなく、相続人があとで寄付したもののようです。

  ところで、この「メンシャ」という名前はスペイン固有みたいで、英語訳でもマリーとかマーガレットというような対応する名前には変えられておりません。前述のヘンドリックも「ヘンリー」になっていましたのにね。
 この「メンシャ」という名前、大村純忠の娘で日本人キリシタンに松浦メンシャという人がいました。
当時の宣教師はスペインでしょうから、こういう名前になったのかな、、とドンナ メンシャに親しみを持ったものです。

 
posted by 山科玲児 at 03:53| Comment(0) | 日記