2016年10月26日

文化大革命2の予感【消えたリンクを訂正】


中国の腐敗高官、カメラの前でざんげ…特別番組 【リンク変更】
  http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161023-118-OYT1T50079

  これは、かなりまずいな。もう文化大革命(十年動乱)を憶えている人々が少なくなっているからかもしれないが、これは文革を思い出させる。

  スターリンの粛清は、ある日いきなり同僚が消えている、夜に突然ドアが叩かれて、いなくなる。
というものだった。つまり、街頭で、紅衛兵のつるし上げなんかなかった。

  中国の文革の場合、広場で人民裁判やって死刑、さらに食われるといった、街頭でのショー
になっていた。
  現在は、街頭ではなく、TVの中で誇示されているわけで、これはちょっと不味いかも。

    習近平は「下放」経験あったんじゃないの? それとも文革でうまい汁を吸ったほうなのかな。

posted by 山科玲児 at 08:38| Comment(0) | 日記

2016年10月25日

クラーナハ展 出品リスト

クラーナハ展 出品リストが公開されました。

クラーナハ展 出品リスト  

 版画だか、素描だか油彩だかわからないし、サイズもわからないのが難点ですね。

posted by 山科玲児 at 12:50| Comment(0) | 日記

聖ルキア伝の画家

Master St Lucy  Groening2016.jpg


   今年の6月ごろ、新発見の15世紀後半の画家[聖ルキア伝の画家] の大きな三連祭壇画が
ブリュージュのグロニンゲン美術館でローン展示されることになったようです。3年ローンだとか。
         http://www.codart.nl/news/1356/
まあ、50cmぐらいの絵ならともかく、この絵、高さ176cmもあるんだぜ。
開いたら、高さ176cm 幅290cmという大きさです。幅約3mですよ。 こんな大きな絵が、教会や美術館じゃないとこ、まあ法人や富豪のとこだろうけど、にあるというのは、あんまりないことじゃないかな。グロニンゲン美術館にある三連祭壇画の中でも最大級だと思いますよ。

  この絵は、数年前にバスク地方の都市ビルバオでオークションされたというものです。しかし、スペインにはまだまだ初期ネーデルランド絵画が眠ってるんだなあ、、驚きです。マドリードでなくて、バスクのビルバオでだって? 普通ろくな物出ないと軽視するよなあ、、 
  もともとはブリュージュの真ん中のBraambergstraatにあった教会にあったものらしい。
 オークションに出たとき、スペイン政府が文化財指定しちゃったんだそうで、購入とか持ち出しとかはできないので所蔵者と長く交渉して、3年ローンということにしたそうです。
「聖ルキア伝の画家」というのは、本名はわからないけれど、まあ、複数の絵画が同じ画家の作品とグループ分けされていてそれに適当な名をつけただけですね。そのうち本名がわかるかもしれませんね。
  同じような仮の名前であった「フレマールの画家」も、今は、ほぼロベール=カンパンとされてますしね。「ムーランの画家」は、たぶんジァン=エイJean Heyらしいし、「エクスの画家」も, たぶんバルテルミー ダイク でしょう。 従来から、そういう風に使っている便宜的名称です。そのうち本名がわかるかな。


この画家の作品とされる小さめの絵(下イメージ)が、東京、上野の西洋美術館にあります。
   聖ルキア伝の画家
    聖ヒエロニムス
 これは、1971年に購入というから、相当古い時代の購入だね。1971年というと、山田智三カさんが館長で、オールドマスター収集にもがんばっていたころだと思います。 あちこち補筆があるけれど結構良い絵ですよ。今出してないけど修理中かもしれないね。 老人の絵だから安くて手に入りやすかったのかな。そういや、なかなか良いラトゥールの「聖トマス」もそうだしね。そりゃ美人の女性の絵のほうが高く売りやすいだろうしね。

St_Lucy3.jpg
posted by 山科玲児 at 08:51| Comment(0) | 日記

2016年10月24日

出土文献と伝世文献のバランス


 最近、
周―理想化された古代王朝(中公新書)
2016/9/16
佐藤 信弥 (著)
   http://www.amazon.co.jp/dp/412102396X
との関連で、宮ア市定の西周抹殺論について言及したが、
 その全く逆の、
 少数例の出土文献の盲信によって、誤った結論を出した例がある。

馬王堆 帛書  老子 乙本の発見時に 旧来の老子にあった字句の細部「無為にして為さざるなし」をさんざん攻撃した文章が1982年の「馬王堆漢墓」にある。ところが、更に古い老子竹簡が郭店楚墓からでて、それは旧来の伝世本と同じだった。これで、どうともいえなくなった。古い出土文献は尊重するべきだが、あくまで偶然残ったものなので、古いから絶対正しいというような盲信は危険だろう。
まあ、バランスが大事だよなあ。

posted by 山科玲児 at 13:43| Comment(0) | 日記

百枚の定家

百枚の定家.JPG

  
  モデル小説として、速読してたのしみました。
 明らかに実在の業界の有名人(近年  物故された方が多い)をモデルにしている登場人物だな、とありありとわかります。 あの人とかあの人とかね。ただ。もう少しひねったほうがいいのでは?と思うぐらいです。名誉毀損にはならんでしょうがね。 2,3人のモデルを合成したものもあるようですね。 あれはどこの博物館だな、あれはK先生だなとか推定しながら下世話な噂話に花を咲かせて読む本でしょう。そういや源氏物語も一条朝のころのモデル小説だったという説もあるようですね。

  著者は中国書画にはあまり知識がないようですが、本題は藤原定家の百人一首色紙 小倉色紙がテーマだから、かまわないのでしょうね。

 実は、長崎市立図書館の現代小説コーナーの「五百頁を超える小説」特集展示においてあった一冊です。 表紙とキャッチコピーにひかれて借りてきて、とばし読み的に読みました。こういう西本願寺三十六人家集のようなデザインには、私は弱いということでしょうか。ただ、表紙に刷ってある文字は定家風ですね。定家の書で、このタイプの豪華な紙に書いたものはないはずです。重ね刷りなんでしょう。

 1日でとばし読みしましたが、退屈ということもないのは、プロの小説家の筆ですね。
  ただ、小説としての内容は薄く、伏線の解決もあいまいです。しかし、美術館・骨董屋・古筆取引などの描写、小倉色紙という有名な割りには美術品としては白眼視されているアイテムをとりあげたこと、などは面白いところです。

百枚の定家
梓沢 要
新人物往来社 (1998/11)
http://www.amazon.co.jp/dp/4404026838


posted by 山科玲児 at 09:15| Comment(0) | 日記

2016年10月23日

オルメカの文字

  中米の古代文明であるオルメカ文明の文字らしいものが、メキシコのカリブ海回沿岸のヴェラクルズで発見されているようです。道路工事のときに出たそうな。
Wikipediaによると1990年代の発見だそうな。

Cascajal Block

  なんか、小さな石板で、在庫目録か荷物の送り状か護符みたいな感じです。 名詞を列挙しているみたいな感じの絵文字ですけど、、一応文字なのかな。たぶん文字一応文字、、、またも未解読文字が増えてしまいました。

  でも、マヤ文字も1960年代ぐらいは、下記の小さなライデン板なんかを珍重していたようなこともあったんだから、、今後の解読も期待していいのかな?
LEIDEN PLATE
http://research.mayavase.com/portfolio_hires.php?image=2909
   もっとも、このオランダのライデンにあるのでライデン板と呼ばれた翡翠板は、年代的には非常に古い年代を刻んでいるので、今でも珍重してもいいと思います。



posted by 山科玲児 at 19:53| Comment(0) | 日記

これはひどすぎる

Uffizi.jpg


フィレンチェのウフィッツィ美術館(イメージ)の展示環境が全く変わったようです。
    http://www.afpbb.com/articles/-/3104765 
 あまり愕然としたので、しばらく筋道立って考えることができませんでした。

  ドイツ人のアイク・シュミット(Eike Schmidt)館長 の仕業のようです。これはもはや犯罪ではないか。
 いわゆる「ホワイトキューブ」という理念ですが、それを古い宮殿型の美術館に持ち込むのは誤りです。
 予算やキャパの問題でどうしてもこうやりたいなら、ウフィッチィ新館とか分館を作ってそこは超近代的建築と設備でやればよろしい。  

 第一さあ、仮にそのボッテチェルリを、東京六本木の新国立美術館で展示したとして、ここウフィッツィで観たのとなんら環境が変わらないということでしょ。アホですか? なんのために私がわざわざフィレンチェまで行くのだと思っているのだ。このドイツ人は。
 結局、美術品がそれ自体で自立して存在していると勘違いしてんじゃないの? 周囲の環境、鑑賞者も含めた形で美術鑑賞が成立しているという現実に盲目で、あの「ウフィッツィ美術館の館長」になれるんだから、ヨーロッパの知識階級の劣化は半端ないな。メルケルから借金変わりに押しつけられたか?
   だいたい、芸術が環境と独立してんなら、ガーディナーが  ヴェネチアのサンマルコでモンテヴェルディのヴェスプロ(聖母マリアの夕べの祈り)をライブでやる意味がどこにあるんだ。ロンドンでやればいんだろ。音楽が自立してんなら。

 それに、ウフィッツィぐらいの長い歴史のある美術館になると、十九世紀以来多数の碩学が観賞した歴史というものがある。多少は違っても、ベレンソンやロンギ゙、矢代幸雄やフリートレンターが観賞した同じ場所に立っているのだという感慨が台無しだろ。こんなことやったら。 泉下の矢代氏も嘆いているだろう。 少し前、デヴィッドファウンデーションの陳列館がロンドン大学の1棟から大英博物館に移るときにも、そういう歴史性の破壊を惜しんだものだが、ウフィッツィぐらいになると半端のない歴史が積もっている。

 それとも、ワンワールド思想、グローバル化思想にかぶれて、世界中皆同じ環境にしないと気が済まない狂信者なのか? 低水準安定というか、低いところに切りそろえて皆同じにするという共産主義平準平等思想の実践なのか? 万一そうならこのシュミットは相当危ないアナーキストだということになる。

 さっと、頭をよぎったのは、、、
  ・2005年にウフィッチィに3回も行っていて、つくづく良かったと思った。無理してよかった。間に合った。
  ・ドイツ人をイタリアの伝統的美術館の責任者にするんじゃない、現代美術館ならよいだろうが。
  ・ピッティの価値が大きくあがった。もうピッティだけでいいよ。

 フィレンチェに行っても必要最小限しかウフィッチィにいくことはないでしょう。

posted by 山科玲児 at 11:35| Comment(0) | 日記

2016年10月22日

ボイマンス美術館 展 東京&大阪

pedlar Boymans.jpg

2016年09月25日に書いた
ボイマンス美術館 展は、東京と大阪で巡回してやるそうです。 リストは出ていませんが少しずつ情報がでているようです。
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/177022403.html

 ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
        公式サイト http://babel2017.jp/
2017年4月18日(火)〜7月2日(日)東京都美術館
http://www.tobikan.jp/exhibition/h29_babel.html
2017年7月18日(火)〜10月15日(日)国立国際美術館

    実は、このバベルの塔、池袋のセゾンでボイマンス美術館 展が昔開催されたとき、当方は池袋で観賞したわけで、来日は2度目です。当時は、全く混んでいませんでした。ただ、ちょっと離れていたので、細部は観にくかったな。そのあと、2001年にボイマンスに行ったときには顔を画面近くにつけるぐらいに、なめるように観察できました。そのとき、大きなポスターを買って、日本に郵送してもらった。あれは結構散財でした。

  まあ、バベルの塔については、どうせ、情報がでるでしょうが、当方の眼目は「バベルの塔以外」にあります。
  ヒエロニムス・ボスのBRCPも認める真作が2点 展示されるそうです。
    ・ヒエロニムス・ボス「放浪者」
    ・ヒエロニムス・ボス「聖クリストフォロス」
  この「放浪者」(イメージは部分)は、日本に貸し出されたヒエロニムス・ボスの作品の中では、最高のものでしょう。
  「乾草の車」(プラドとエスコリアルに1点づつある)の外側の「放浪者」と比べたら数ランク上です。
ボイマンスにあるボス作品のなかでも最高評価をつけたいと思います。
 「聖クリストフォロス」は、絵の具の剥落傷みがひどいので、大きな絵のわりには印象が悪いのですが、専門家各位の評価は悪くないようです(根拠 2001,2016のボス展カタログ, 並びに、リンフェルト「ボッス」、Mia Cinotti, Flammarion, 1967 )。
 プラドのボス展では、かなりきれいに修理されていましたが、当方は未だに、なんとなくぼやっとした絵という印象をぬぐい去れていません。

また、
パティニール 「ソドムとゴモラの破壊」22.5 cm x 30 cm
も展示されるようです。小さな絵ですが、珍しいものですね。評価はみてみないとわかりません。
渋谷でみたウイーンの「聖カタリナの殉教がある風景」にがっかりしたこともありますし。

  ただ、今回は十六世紀のネーデルランド周辺絵画がかなり展示されそうなので、期待してます。ただ版画を多数出して数を稼いでごまかすという怖れもありますがね。


 
posted by 山科玲児 at 09:14| Comment(0) | 日記

2016年10月21日

さまよえるオランダ人


 
1970年代に、観た東ドイツ映画のひとつに、モノクロのオペラ映画
「さまよえるオランダ人」がある。
監督・脚本 Joachim Herz  演出 Harald Horn
出演: Anna Prucnal,  Gerda Hannemann,  Fred Duren  | See full cast & crew ≫
Anna Prucnal 
北の海の荒れた感じ、北欧の昔の風俗の感じ、歌垣のような水夫の合唱など、雰囲気の良い印象的な作品だったと思っている。

DVDを入手したいのだが、未だに入手できていない。

部分的ながら、Youtubeでみることができるのが幸いだ。

Der fliegende Hollander DEFA Film 1964 Regie: Joachim Herz Dirigent: Rolf ...
https://www.youtube.com/watch?v=mBeHOlJdQKA
Richard Wagner - "Steuermann, las die Wacht!" - Rolf Reuter
https://www.youtube.com/watch?v=_SfVA1W_3xE

また、制作風景の特別動画もある。。本編を全部欲しいなあ。。
https://www.youtube.com/watch?v=bcpZ1dYYAJ0

posted by 山科玲児 at 09:56| Comment(0) | 日記

2016年10月20日

西周史の本がでた

周 理想化された.JPG


古い知人・後輩の佐藤氏が本を出した。

 周―理想化された古代王朝(中公新書)
2016/9/16
佐藤 信弥 (著)
   http://www.amazon.co.jp/dp/412102396X
である。amazonの順位をみると、結構売れているようなので、うれしく思っている。
これは、
    白川静 金文の世界―殷周社会史 (東洋文庫 (184))  1971/1
      http://www.amazon.co.jp/dp/4582801846
 以来、45年ぶりといってもいい、金文・出土文献をもとにした一般向けの西周史である。
 従来、西周史は文王武王太公望の殷との戦いと幽王の死による西周滅亡だけが、めだっていたように思う。そして、なぜか孔子が武王成王時代の周公旦を讃仰していたことぐらいだろうか。その間の10代約200年は、全く地味で、霧の中にかすんでいた。
  そのためか、宮ア市定は「西周は存在しない」という説をぶち上げたことがある(1955年が初出らしい)。周民族が犬戎に追われて東方に移動し殷を滅ぼして洛陽を根拠地として建国したという伝承を、西周の開国と滅亡の2つの話に分けたという説である。ゲルマン民族の大移動とときのゴート族をイメージしたのだろうか?
  この説は、当時議論されたが、さすがに主流にはならず、「騎馬民族征服説」や北朝鮮由来の「分国論」のように一世を風靡したり大騒ぎになったわけではなかった。「西周の実在性」には、金文など出土資料の裏付けがあったからだろう。

  それでも、刺激を受けた人も多かったのではないか。今思えば、顧ケツ剛(こけつごう、1893年 - 1980年)が提唱した「疑古派」の流れを汲む論だった。戦前、章太炎が「金文や甲骨文は偽物だ」と主張していたのも背景にあったのかもしれない。

 西周史は、確かな文献が少なく、古代から偽造文献まである。青銅器の銘文や木簡竹簡などの出土文献を使って覗き込むしかない。一般むけ概説書としての前期  白川「金文の世界」は、かなり固くて読みにくく、なんとか通読はしたが、放り出してしまった。

 今回の佐藤氏の好著によって、ようやく西周史のイメージ形成のためのとっかかりを得たような気がする。
 これは、佐藤氏がもともと武侠小説の大ファンであって、読みやすく書くという姿勢が最初からあったことが大きいのではないか、と思う。

 読後、以下のようなことを個人的に考えた。
 1.帝辛(紂王)が死んだ 殷周革命は、一種の宮廷革命のようなもので、本当に殷(商)が滅び都が破壊略奪されたのは、いわゆる三監の乱(王子聖の乱)のときだろう。
それでも、宋に殷の王族を封じて祭祀を保たせたということは、もともと殷王朝の傘下の豪族としての周伯が殷の実質的権力を握るという形の内乱であって、一方的な征服ではなかった。だからこそ最後まで大義名分を通す必要があったのだろう。
  ところが、白川静が指摘するように殷と周はかなり異質な民族であった、そのために支配民族 周と首都の人民貴族の間に大衝突がおきたんだろうと思う。これは、清初の「弁髪拒否の反乱」に似たものではなかったか、「滅満興漢」を叫んだ漢人と似た状態だったのかもしれない。これは「殷の遺民」が「頑民」と称されたことと関係があるだろう。ちょっとわからないのは孔子が「我は殷人」「殷の礼によって葬式埋葬をして欲しい」と言ったことである。あれほど「周」を賛美し当時よりずっと古い古代史にも通じていたらしい孔子の複雑なスタンスはわかりにくい。

 2.佐藤氏の力作をもってしても、やはり西周の康王から西周末までの歴史はみとおしが悪い。
  ただ、もう一つ記憶に残ったのは、「共和」というのが「共和制REPUBLIC」ではなく, 脂、が首都を出奔してしまったため、「共伯和」という実力者が一時的に独裁官として政治を執った時代らしいことである。「共和制」の語原である共和が、実はまったく関係なかったとは驚いた。ただ、ピューリタン革命の後の共和制だってクロンウェル独裁だったんだし、似たようなものか。

タグ:中国史 西周
posted by 山科玲児 at 08:22| Comment(2) | 日記