2016年10月19日

長崎:古代ギリシャ展 続

Thera 1974.JPG

古代ギリシャ ─ 時空を超えた旅 ─(2016年10月14日(金)〜12月11日(日)長崎県美術館 )
http://www.nagasaki-museum.jp/exhibition/archives/439
http://www.greece2016-17.jp/
  今回、サントリニことテラ島から出土した、壁画のうち、特に保存の良い
 漁師の若者の壁画がでておりました。イメージは、
  SPYRIDON MARINATOS,  THERA VI colour plates and plans, 1974, Athens
 の表紙です。

で、みるように、クレタなどエーゲ文明の壁画には復元しすぎのものが多いなかでは、これは、まれに見る保存状態です。

  2016年08月02日
  有名作とそれ以外
     http://reijiyamashina.sblo.jp/article/176324846.html
に、同様な漁師の絵で、保存の悪い例も出しておきました。

 この絵は、肉体の描写なんかは、ギリシャ ローマ風な感じがありますが、 足の描き方が、古代エジプト  ルクソールの壁画(下イメージ)と同じなんですね。
 こういう点で、古代エジプトに近い文化圏のような感じがいたしました。
 どうも、エーゲ文明というと古代ギリシャの源流という関連だけがクローズアップされがちで、実は古代ギリシャとは、あまり関係がなかったのかもしれないという考えが、あまり浮かばないのが、ルネサンス以来の欧米の考え方の穴かもしれません。

Luxor Rgypt (2).JPG
posted by 山科玲児 at 07:45| Comment(0) | 日記

2016年10月18日

聖ヤコブの盾


Shield Santiago 2001Sep Boymans Bosch (1).JPG

 2001年にロッテルダムのボイマンス美術館におけるボス展を観賞したが、そのとき気になっていた奇妙な作品を未だに少し記憶している。そのときの記録は、次のURLで公開している。

>「サンチアゴ(聖ヤコブのスペイン名)巡礼者の盾」という木製くりぬきの70cmぐらいの円形の盾があった。 その表面にボス風のやや俗悪な絵が描いてある。縁にはぐるりと文字帯になっていて、銘文が入っている。裏には何もない。ピーテルユイス?とされていたが、珍しいといえば珍しい。

  当時みたボス派の群小作品は殆ど忘れていて、おぼえているのは、これと、ダブリンの美しい「リンポに降りるキリスト」ぐらいである。ところが、奇妙なことに当時ボイマンスで出した出品リストに掲載されていなかった。無論、カラーモノクロ問わず図版もない。現在まで wikimediaはじめネット上の図版にも各種の本にも見出すことはできなかった。

 今回のプラド美術館のボス展にもでていなかった。どうも気になって当時のメモを掘り出してきたのが、上のイメージである。 もし、北ブラバント美術館のボス展で出ていたら画像も公開されたりカタログに出たりしているだろうが、私は北ブラバントには行っていない。
  2001年当時のメモによると、

      チェコのプラハの国立美術館
           http://www.ngprague.cz/en/
にあるというので、プラハの担当者にemailしてみたら、やはりあるそうで、若干の英語資料を送っていただいた。

 それによると、ポプラの木材を曲げて重ねて作った盾で、麻とチョーク(白亜)で下地をつけて油彩で描いたものだそうだ。宴会や屋敷の装飾として壁に掛ける非実用的な盾だということである。1763年と   1782年のお城の所蔵目録にはあるそうなので古い伝世のものらしい。
周囲の文字帯はスペイン語だそうだ。 絵は動物や怪物が楽器を鳴らして行進するボスの絵にありがちなデザインである。

 写真イメージは得られなかったので、再度努力してみたい。


posted by 山科玲児 at 09:50| Comment(0) | 日記

2016年10月17日

古代文字の解読

古代文字の解読IMG_7617.JPG

古代ギリシャ ─ 時空を超えた旅 ─(2016年10月14日(金)〜12月11日(日)長崎県美術館 )
http://www.nagasaki-museum.jp/exhibition/archives/439
の展示に、クレタの古代文字を刻んだ陶器や、粘土板があった。粘土板というから、板かと思ったら、なんか棒みたいなものが出ていて、板なのかなあ?と思いました。
どうも、クレタの聖刻文字と線文字Aは未だに解読できていないらしく、学問が一見進んでいるような、この二十一世紀にも、遅々として進まない分野もあるのだなあ、と呆れました。

イメージに出した本は長年愛読している

高津・関根「古代文字の解読」
http://www.amazon.co.jp/dp/400000753X
ですが、1964年初版のもので、もう50年以上たってます。この本を読むとかなり解読の見込みがありそうなのに、未だに線文字Aも聖刻文字も未解決なんですね。

一方、メキシコ・グアテマラのマヤ文字の解読はかなり進んでいるようで、
マイクル=コー「マヤ文字の解読」
http://www.amazon.co.jp/dp/442220226X/

を読むと、二十世紀末(1970-1990年代)ごろの学者達の努力によって、半分以上、三分の二ぐらいは読めているようです。これは、マヤ語が相当な変化はあったにせよ、一応、現在まで生き残っていることが大きいのではないかと思います。


線文字A,クレタ聖刻文字が、どうしようもなくなってしまったのは、なぜ??

門外漢の想像に過ぎないが、もとになる言語がわからないというのが致命的なのかもしれません。
古代文字の解読というのは「文字をどう読むか」「その意味は何か」の両方が必要なんで、「発音」と「言語」の両方がわからないとダメ。機能性文盲という用語があります。文字は発音できても意味がわからないというものです。これではどうしようもない。

  線文字Bが読めたのは、古代ギリシャ語より更に古い形の言語とはいえ、一応ギリシャ語だったからです。線文字Bは、ギリシャ語を書く文字としてはかなり使いにくいものだったようなので、ギリシャ語を喋る人々が、別の言語をしゃべる人々が使っていた文字を借用したものでしょう。

 線文字A,クレタ聖刻文字がその「別の言語」を書いているんじゃないでしょうか?? 線文字Bは「ひらがな」「カタカナ」のような音節文字だったので、英語やドイツ語のような子音だけの連続がありません。線文字Bは「カタカナ」で英語の発音を表記しているような形になっている。「カタカナ」で英語を表すとBOOKがブックになるように「ク」でKを借用して[KU]のUを読まないようにしないといけません。

 線文字A,クレタ聖刻文字を使っていた人々の言葉は、日本語のように独立した子音がほとんどない言語だったんでしょう。ちなみに日本語の場合、「ん」が独立した子音だと思ってます。

 言語が違うということは、民族が違うということなので、エーゲ文明を作った人々はギリシャ人ではなさそうです。






posted by 山科玲児 at 07:31| Comment(0) | 日記

2016年10月16日

長崎:古代ギリシャ展の掘り出し物

長崎県美術館 古代ギリシャ展ss.jpg


東京国立博物館で開催されていた、 古代ギリシャ展が長崎に巡回してきました。次は神戸に巡回するそうです。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1787#top

古代ギリシャ ─ 時空を超えた旅 ─(2016年10月14日(金)〜12月11日(日)長崎県美術館 )
http://www.nagasaki-museum.jp/exhibition/archives/439
です。共通な特設サイトは、


さっそく行ってみましたが、掘り出し物がありました。
2004年にエーゲ海のKythnos島近海で偶然みつかり引き揚げられた青銅像です。展示の終わり近くの部屋にありました。500mの深さから回収ということになっています。この深さでは潜水夫では無理ですから、深海漁の網にひっかかったとか、潜航艇を使ったとか、なんか事情があったのでしょう。

ほぼ等身の若者の像で、首などが欠けていますが、将にギリシャ古典期、あるいはそれより少し後の時代のオリジナルで、素晴らしい作品です。
 bronze man  cyklades Kythnos  ephorate antiquieties Athen
  https://gunosy.com/articles/RIWM6
これを、ガラスなし、裸で至近でみれるのですから、有り難い。ちょっと危険な気もしましたね。マナーを守りましょう。

ところが、音声ガイドにも入っていないようなので、どうも企画側があまり重要視していないようですね。
なさけないことです。有名であるかどうかしか関心がないんだろうな。

 これを機会に2000年ごろに書いた文章を、再度掘り出してきました。そう間違ったことも書いていなかったようです。
 どうも、古代ギリシャ彫刻は、ランク的には、 象牙+黄金+木材が最高ランク、次が青銅、そして欧米人がルネサンス以来讃仰してきた大理石像はその次のランクじゃないかと思いました。

 *** 旧稿 ***
ギリシャ彫刻というと、白い大理石に見事な衣の線と肉体の線を表したものをイメージします。ミロのヴィーナス:ルーブル美術館がその代表でしょう。彫刻の素晴らしさでは、大英博物館の彫像群(エルギン・マーブル)が更に上をいきます。  こちらはアテナイのパルテノン神殿から剥したものですから。パロス島などのエーゲ海の島から採掘される大理石が特に珍重されたようです。

  古代ギリシャのアポロンの聖地:デルファイの博物

の図録を見て、大理石中心の見方をふと疑いたくなりました。象牙製で黄金・銀で飾った等身大の彫像頭部が2体カラーで紹介されていたからです。博物館のサイトでも紹介されています( 2016年現在、 http://ancient-greece.org/museum/muse-delphi.html。色が青く変色していますが、どうもまともな出土品のようです。男性頭部はアポロン、女性頭部はアルテミスと考えられています。
ローマ時代(紀元後2世紀)の旅行者パウサニアスの記録では、古代ギリシャ最高の芸術家フィディアス(紀元前5世紀)がオリンポス神殿に造った高さ12m余のゼウス坐像は、木と黄金と象牙製で、変形を防ぐため頻繁に油をかけていたそうです。このゼウス像は世界七不思議のひとつとされるように、あまりにも空想的な記述に思えたので、真に受けていなかったのです。しかし、現実に黄金と象牙の等身大の彫像を見ると、どうも本当らしい。従来のギリシャの出土品では、極小さな象牙装飾品しか見ていなかったので、信じられなかったのです。

  また、アテナイのパルテノン神殿の中心にあった、同じフィデアス作の高12mのアテナ立像(B.C 438))も同じく黄金と象牙と木で造られたものでした。巨匠フィデアスの最も有名だったこの2つの作品は、いずれも大理石ではなかったらしいのです。
  しかし、象牙と黄金という組み合わせは金で彩どった大理石とよく似た色の配合だと思います。このアイボリーホワイトとゴールドという、アンピール様式(ナポレオン帝政時代)のような組み合わせが古代ギリシャ最盛期ペリクレス時代に流行したらしいと推測したくなります。
   また、南イタリアのリアーチェ沖海底から引き揚げられた等身以上の見事な青銅の戦士像2体、ギリシャのアルテミシオン沖から引き揚げられた青銅ポセイドン像(アテナイの国立博物館)を考えると、大型の青銅像も盛んに造られていたことがわかります。

  以上のことから、古代ギリシャの高級な彫刻は大理石が主流ではなかったのではないか?と考えだしました。黄金・象牙・青銅はそれ自身が財宝・資源なので、戦争や宗教弾圧では真っ先に略奪され、破壊され、溶解されたでしょう。残った大理石像の断片で、ルネサンス以降の人々が古代ギリシャを偲んだために、大理石中心のイメージができたのではないのでしょうか?
***旧稿  終わり ***

posted by 山科玲児 at 08:40| Comment(2) | 日記

2016年10月15日

菊正宗  ギンパック

菊正宗  ギンパック.JPG

このお酒、安いくせに、白ワインのように上品な味わいがあります。



  なんか騙されているようでいやだな。なんか、とんでもない副作用あるんじゃないの、、
と邪推したくなるような、驚きの製品でした。


posted by 山科玲児 at 18:35| Comment(0) | 日記

2016年10月14日

ボス展でみた ヴェネチアにある祭壇画

Bosch Crucifixion  St Julia.jpg

  昔から有名な、絵ですが、ヴェネチアにある三組の絵は、なかなか観る機会がなかったし、全貌のカラー図版もあまりなかったというのが実情でした。ヴェニスのパラッチオ=ドッカーレに行っても「展示してない」「ラボにある」の一点張りで追い払われたもんな。ただ、「彼方への上昇」四つ組 は、2001年にボイマンス美術館におけるボス展の際に出て、それ以後は割と写真がでるようになりました。まあ、あの「上昇」は、とても印象的なので結構知っている人も多いと思います。

  今は BRCPのサイトで、赤外線写真と比較するかたちで観ることができるようです。
    http://boschproject.org/bosch_in_venice.html
  これで、一番発見があったのは、一番目のTriptych of St. Uncumberの両翼で大きな寄進者肖像が絵の下にあったということでしょうね。そういわれてみたら、古い写真でもなんとなく影があるから、なんで気がつかなかったのかなあ?、とも思うのですが、まあこういうのは「後智恵」というものでしょう。
 ちなみに、この十字架にかかっている聖女がだれなのかは、未だに議論があるようですね。BRCPはSt. Uncumberといっているし、プラドのカタログに寄稿していたイタリアの研究者はSt.Wilgefortisとしています。昔は「コルシカの聖ジュリア」とか言っていたな。 「聖リベラータ」という説もあって、わけが解りません。

 今回のプラドでは、隠者の祭壇画は観ることができませんでしたが、他の二セットは実見しました。
この殉教聖女の祭壇画、実見した印象では、中央画面はボスのオリジナルのようですが、重ね塗りした両翼は別人の筆なんじゃないかな? ブリュージュの「最期の審判」を描いた画家の筆じゃないかと思います。この両者はとてもよく似ています。 また中央画面も少し周りがきれらているかもしれません。なんとなく窮屈です。

 なんで塗りつぶされたのか?という点ですが、たぶん販売しやすくするためじゃないかな。当時、ボスの絵は大変高価なものでした。金貨100枚ぐらいはしたんじゃないでしょうか。身も知らない人の肖像が描いてあるものよりも、一般的な聖人などの絵が描いてあったほうが売りやすいでしょ。たまたま、売り立てなんかで入手した関係のない人にとって、より高い絵にしたいと加工したんじゃないかと思います。実際、ヴェネチアにあるグリマーニ枢機卿由来らしい絵は、全て注文画ではなく、美術市場で買った絵だと推定されているようですし。


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2016年10月13日

長崎風ミルクセーキ 浜屋にて

浜屋 ミルクセーキ (2).JPG

長崎では、ミルクセーキはシャーベットみたいな食べ物で長いスプーンで食べます。
そのことは、過去にも書いておきました。
2012年08月26日
長崎風ミルクセーキ
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/57789430.html
2011年07月27日
長崎のミルクセーキ
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/46977637.html

ちょっと前、長崎市中心のデパート浜屋のファミリー食堂で、ミルクセーキを食べてみました(イメージ)。
この食堂は、食券制でまさにファミレス風です(下イメージ)。

浜屋食堂.JPG
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2016年10月12日

マドリードの熊とボス

madrid シール.JPG
  
 イメージはマドリードで買ったシールです。旅行鞄なんかに貼り付けたりするものです。
 最近は鞄の形が違っているせいか、あまり売っていないので結構探しました。
 マドリードの市の紋章は、イメージのシールのように、「山桃(マドゥロ)と熊」です。
  ソル広場にある彫像もそれなんですね。

madrid P SOL.JPG

 6月初めにみたプラド美術館のボス展で展覧された2点に、なんとこの「樹木に手をかける熊」の小さな絵が入っておりました。一つはマドリード、プラド美術館の「快楽の園」左翼の細部、一つは、やはりマドリードにあるラザロ=ガルディアーノ美術館の「荒野の洗礼の聖ヨハネ」の一部です。

 まさか、マドリードに来てから追加で補筆されたとも思えません。
 マドリードとボスは、割と縁があったんだな?と思いました。

early delight left detail  ururs.jpg
lazarogaldiano st juan baptist detail.jpg
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2016年10月11日

ファンデアグースの鋲

hugo van der goes 2001sep11.JPG
2016年10月03日
名画にネジをねじ込んでた
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/177116773.html
をアップして、デューラーの絵にマイナスネジを差し込むなんてことやってたことを書きました。

 実は、2001年9月11日にブリュージュの グロニンヘン美術館を訪ねたとき、
を観たとき、妙な鋲のような痕跡が多数画面にあることがわかりました。
この絵は木材を横に水平に使って7枚積み上げて基底材を作っているようにみえるんですね。
それを留めている鋲なのかな???
  そのときスケッチしてみたのが上の略画です。
  で、画像で、それを示すのがないかなあ、と思って探したんですが、ようやくみつけました。

Hugo_van_der_goes,_morte_di_maria.jpg



 この絵のコピーが同じブリュージュの町の救世主大聖堂の展示室にあります。
 このコピーは、板を縦に使っているのが、原作と違っているんですね。
 従って縦にヒビというか痛みが走っています。



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2016年10月10日

北ブラバントに展示された快楽の園

early delight sss.jpg
  今年2月から5月まで北ブラバント美術館で開催されたボス展は、プラドと並ぶ、ボス逝去500年の記念展覧会で、日本のマスコミでは、むしろ北ブラバントのほうを大きく報道していたように思う。当方は予算の関係もあり北ブラバントにはいかず、プラドにしたのだが、ラインアップを推察すると、愚かな日本のマスコミのミスリードであったようで、当方としては良かった。
 この北ブラバントの展覧会の展覧リストは出ていなかったので概略しか知ることはできないのだが、代表作「快楽の園」は貸し出されていないということは、報道されていた。

 しかし、「快楽の園」の左翼「創造・楽園」の精密な同時代のコピーは展覧されていたはずである(プラドのサイトの記録による)。
 実は、このコピーはプラドにあるもので、私も、2001年のロッテルダムでのボス展で観賞して、非常に良く出来ていると感心した記憶がある。実際、プラドのサイトで拡大してみることができるのだが、原作の写真図版と比較して欲しい。果たして差をどれだけみつけることができるだろうか。
 サイズも殆ど同じである。この2つを画像や写真で比較すると、現物をみないで画像で比べて判断することの危険を再認識せざるを得ない。

 実のところ、ロッテルダムのボイマンスで観たときは、原作から外して借りてきたのかと思ったぐらいだが、よくよく観ると、微妙に絵の肌合い、筆勢、や人物の表情、体格などが違うので、ロッテルダムでもコピーだと納得はしたものだ。ただ、これは明らかにボスの工房 あるいは非常に近い画家が作ったレプリカだろう。

 北ブラバントに行った人の観賞記で、この作品に対するコメントがないようなのは、不思議なことだと思う。

 ちなみにエスコリアルには、もう1点この左翼「創造・楽園」のコピーがある。これはフェリペ2世の寝室のすぐ脇に飾ってあって実見した。こちらはかなり小ぶり(高さ1mぐらい)で、縮小コピーである。精密度も落ちる。ただ、エスコリアルのほうの基底材は原作より10年も昔に伐採したものであり、非常に古い材木を使っている。原作よりコピーが先に制作されたなんてありえないのだから、原作の制作年代はコピーの年輪年代法による年代をもとにして更に遡ることになる。

 今回のプラド美術館のボス展では、このレプリカは展示されていなかった。エスコリアルのコピーも展示されていなかった(エスコリアルで観た)。他にもプラド美術館が所蔵しているのに展示されていないボス風の作品が2,3あるようだ。なぜ今回展示しなかったのかはわからないが、惜しいことだ。後日 論評してみたい。


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