2016年10月03日

名画にネジをねじ込んでた

Durer AdamEve Prado.JPG
 プラド美術館の、アルブレヒト=デューラーの「アダムとイブ」(イメージは修理前の写真)の修理動画をみたら、呆れたことに、名画の表面から「大きなマイナスネジ釘」をねじ込んで背後の木材を留めていたのが解った。
当然 ねじ釘の頭が絵の表面に出るのだがそれは上から絵の具を塗ってごまかしてあったのだ。
ネジは錆びているから、相当古い修理なんだろうが、ずいぶん無茶なことをやったものである。
 「アダムとイブ」各画面に12個ほどのねじ穴がある。
今回の修理ではそれはネジごととって、穴を埋め絵の具を補ったようである。
このネジで留めた後ろの木材は、絵を描いた板が反って曲がらないように押さえるためのもので、各画面の上中下に一本ずつ水平に横に裏からあててあった。今回の修理では、複雑な格子上の木材を支持のために取り付けたようだ。大きな変形をとめるためだろう。 エスコリアルの、ロヒールの大作の修理も同じようにやっていた。


 このプラド美術館の「アダムとイブ」は、デューラーのヌードとしては傑出した作品で、西洋美術の「アダムとイブ」の中では、二番目に好きな作品である。一番はボスの「快楽の園」の左翼。
  この作品は、もともとティティアーノが持っていたものらしく、デューラーがイタリア旅行したときヴェネチアで制作したものかもしれない。実は2005年に観たときはそれほど印象が強くなかったが、修理前だったからかもしれない。

フィレンチェのウフィッチでコピーを観たときのほうが印象がよかったのは不思議である。このコピーでは下に動物がいるのが違う。デューラーの協力者のハンス=バルトゥンク=グリューンの作と,
1962年以前から推定されている。

デューラーの版画のアダムとイブは、もう少し寸詰まりで、爽快な感じに乏しい。
Engaraving
http://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/19.73.1/

 その後クラーナハも描いているが、どうも気に入らない
Cranach Adam Eve
https://www.virtualuffizi.com/adam-and-eve.html

 レンブラントの版画は醜悪であり、個性はあるのだろうが、なんでこんなのを愛好するのかなあ??と疑問に思う。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rembrandt_adam_and_eve.jpg
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2016年10月02日

秋の台北國立故宮博物院



台北國立故宮博物院の秋の展覧で、これはと思うのは


ですかねえ。これは教科書的なものでパトロンか親族に描き与えたもののようですが、
呉鎮の達者な草書と気の利いた墨竹のサンプルを観賞できる絶好のものです。
二玄社で複製制作してましたがちょっと肌合いが気に入らなかったな。。
呉鎮の墨竹画というのは世界には多いのですが、酷い偽物がやたらに多く、まあ海外にあるのでは、フリーアの風竹図(有正書局の狄平子旧蔵だと思います)ぐらいかな。。

そういう意味では、この墨竹は基準作といっていいでしょう。元末というと東洋では新しい気もしますが、日本では鎌倉、西洋では14世紀なんで、まともな確実な画家の絵なんてろいくに残っていないのが普通です。
日本の博物館と違って册をバラバラにして1葉ずつ展示しているのはありがたいことです。

歴代名画というか鳥瞰的な展示は、

モンゴル皇室 収集書画展示
https://www.npm.gov.tw/zh-TW/Article.aspx?sNo=04007405

をあてているようです。実際、現代まで伝世した名画書蹟は、伝世の糸を辿っていくと元時代までしかたどれない、というのが多いんですね。宋時代まで辿るのはなかなか難しいし信頼がおけないことが多いのです。

そういう点で、元時代のコレクションの状態をしっかり固めておくことが大事だと思います。



posted by 山科玲児 at 20:23| Comment(0) | 日記

繭山の嘉靖萬暦展


嘉靖萬暦展ss.jpg

2016年09月26日に、東美特別展のことを書きましたが、

東美のブースで萬暦などを中心としたセールをするので、
京橋の繭山龍泉堂本店では、
嘉靖萬暦展 という展示会を開催します。
  10月18日〜23日  11時〜18時

これは、必ずしも展示即売というではなく、前回の同様な催しでも、借りてきたものも結構あったそうなので、買いたいという人は、繭山龍泉堂へ別途ご相談、というスタンスみたいですね。「あれは、うちのものではないので、、」と言われることもあるということでしょう。

立派な図録(イメージ)ができています。

 この図録をみて印象的なのは、その青花の色合いや図柄の感じが台北國立故宮博物院が、昔、刊行した故宮蔵瓷という豪華図録の明時代官窯のカラー図版に良く似た肌合いを感じさせることです。陶磁器の実物をみているわけではないので、図録だけで判断していることをお断りしておきます。

 当時の台北の図録は、官窯ばかりでしたから、明時代の官窯に対して、台北の目利きたちと同じ見方で、この「嘉靖萬暦」という図録は編集されているということでしょう。そしてこの展示会自身もそういう鑑識眼で選ばれたものが展示されていると推察できます。

 これは、かなり珍しいことだと思います。

 解説も充実していて、戦前での萬暦赤絵の愛好と高価な値段などにも言及されていましたが、大きなものは8千円〜一万1千円という値段だったようです。この当時の価格を現在の通貨価値に換算すると、三〜四千万円というところでしょうか。
今度、代表取締役に就任した川島氏の優れた文章だと思いました。


posted by 山科玲児 at 08:39| Comment(0) | 日記

2016年10月01日

芸術新潮10月号 ボス展記事にちなんで

Brugge last  judgement grisaille.jpg

芸術新潮10月号に
「ヒエロニムス・ボス没後500年突如湧き立つ真贋論争!」 文 前橋重二
という記事がありました。
BRCPは、伝称ボス作品のうち従来疑問視されてきた3つを真跡とし、従来真跡あつかいされることが多かったプラドの3つ「愚者の石の切除」「聖アントニウスの誘惑」「七つの大罪」をはずした。
そのため、BRCPが主導する北ブラバント美術館での展覧会にプラドは真跡でないとされた「愚者の石の切除」などを貸すことを断った。という記事でした。
 論争があるのが悪いことのように書かれていますが、私はむしろ論争があったほうがよいと喜んでいます。
  なんか、BRCPとプラドの争いのように書かれていますが、本当のところはもっと複雑です。まず、プラド美術館の学芸員だけでなく、ペンシルベニア大学のLarry Silver教授、ウイーン アルベルティーナのコレニー氏などもBRCPのボス総カタログには批判的です。それにBRCPといっても複数の学者のプロジェクトというだけで実際判断するのは人ですから先入観もあり、プロジェクトというだけで、なんか権威のある機関のように思いこむのは間違いです。
 また、実のところ、ウイーンの「最後の審判」について、貸し出しどころか情報開示が少ないという件での学者間の対立のほうが大きいと思いますね。

 まず、真跡に格上げされた三点については、当方もまた違和感を感じるところです。
ブリュージュの「最後の審判」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bosch_laatste_oordeel_drieluik.jpg
はクリーニングを経て、相当美しい作品となりました。昔、グロニング美術館で観たときには真っ黒でなにもみえないような感じでしたからね。絵葉書買って、あ、こんな絵だったっけ? という感じでした。確かに当時も外側の筆勢のあるグリザイユ(イメージ)は高く評価されていましたが、なにせぼやっとしてみにくい。現在はかなり見やすくなったと思います。オリジナリティもあると思いますが、右翼の地獄の閑散とした感じはとてもボスの作品とは思えません。ただ、この祭壇画は昔から外側のグリザイユが真跡あつかいされていたわけで、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bosch_laatste_oordeel_drieluik_(exterior).jpg
  外側がボス、内側が他人というのも非常に不思議でした。普通は有名画家が内側描いて、扉の外側は助手にまかせるというようなことが多かったはず。 プラド ボス展のカタログを読むと、ボスと10年も同居していた高額納税者の甥Paulus Wijnants(1470/75 -1543/46)という人がいたらしいので、 その人との合作かもしれないと思っています。フェリペ ゲバラがいっている「ボスより繊細精密な絵を描く、我慢強い弟子」てのはこの人じゃないかな。ただゲバラは後述する「七つの大罪」がこの「ボスの生徒」作だといっているので、決めつけるわけにはいきません。別の甥で画家のJan van Akenもいます。
は、もともと断片なんですが、赤外線でみる下絵がボスに似ているということで評価されたんです。 痛みや剥落がひどかったらしく上の絵の具層は後世のものが多いということですから、鑑賞の意味真蹟にする意味があるのか?という感じもします。まあ、似たような悪口をいわれたエスコリアルのロヒールの大作もけっこう蘇ってますから、これにも救う神があるかもしれません。 
 メトロポリタンの「三賢王礼拝」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Adoration_of_the_Magi_Hieronymus_Bosch_autograph_ca._1470%E2%80%9375_(NY).jpg
は2001年ロッテルダムでみたときから、ボスの先祖の絵かな?と思ったぐらい異質なものだったので、いまさらね。まるで14世紀末15世紀初めのランブール兄弟の絵画のようにみえます。
 この絵にそっくりで金箔がないものがロッテルダムのボイマンスにあって、以前来日したときに池袋のセゾンでみたことがあります。これは、装飾写本挿し絵に近い古拙な近景とわりとイタリア的な遠景の組み合わせがおかしいといわれてきたものです。まさか、メトロポリタンに媚びてやったけでもないでしょうが、、

 逆に、外した三点のうち、「愚者の石の切除」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cutting_the_Stone_(Bosch).jpg
と「聖アントニウスの誘惑」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Temptation_of_St_Anthony_(Bosch).jpg
は、なんで外したのかわからない、
   見解解釈の相違というところでしょう。芸術新潮の文では言及されてませんが、ゲントの「十字架を運ぶキリスト」の位置づけは全く放置ですが、「触らぬ神にたたりなし」なんですかね。ミュンヘンの「最期の審判 断片」も無茶に古い基底材をどうみるか、、

 「七つの大罪」
は1560年ごろのフェリペ ゲバラのコメントでも弟子の作品とされてました。これはテーブルといわ
れてきましたがどうも普通の4つ足テーブルの天板じゃなく、エスコリアルにいたホセ  シグエンサ神父の記述では「一種の本箱」だそうです。ひょっとしたら、エスコリアルの図書室の中央に何個か、テーブルとしても使えそうな直方体の大きな本箱がありますが、ああいうものの天坂や蓋だった可能性が高そうです。
 人間の描写が、かなり他のボス画とは違っていて生々しい俗っぽさがあるように思います。これはブリュージュの「最後の審判」とも違っているように感じるところです。
  これについては、外してもいいかもしれない、


posted by 山科玲児 at 08:33| Comment(0) | 日記