2016年10月01日

芸術新潮10月号 ボス展記事にちなんで

Brugge last  judgement grisaille.jpg

芸術新潮10月号に
「ヒエロニムス・ボス没後500年突如湧き立つ真贋論争!」 文 前橋重二
という記事がありました。
BRCPは、伝称ボス作品のうち従来疑問視されてきた3つを真跡とし、従来真跡あつかいされることが多かったプラドの3つ「愚者の石の切除」「聖アントニウスの誘惑」「七つの大罪」をはずした。
そのため、BRCPが主導する北ブラバント美術館での展覧会にプラドは真跡でないとされた「愚者の石の切除」などを貸すことを断った。という記事でした。
 論争があるのが悪いことのように書かれていますが、私はむしろ論争があったほうがよいと喜んでいます。
  なんか、BRCPとプラドの争いのように書かれていますが、本当のところはもっと複雑です。まず、プラド美術館の学芸員だけでなく、ペンシルベニア大学のLarry Silver教授、ウイーン アルベルティーナのコレニー氏などもBRCPのボス総カタログには批判的です。それにBRCPといっても複数の学者のプロジェクトというだけで実際判断するのは人ですから先入観もあり、プロジェクトというだけで、なんか権威のある機関のように思いこむのは間違いです。
 また、実のところ、ウイーンの「最後の審判」について、貸し出しどころか情報開示が少ないという件での学者間の対立のほうが大きいと思いますね。

 まず、真跡に格上げされた三点については、当方もまた違和感を感じるところです。
ブリュージュの「最後の審判」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bosch_laatste_oordeel_drieluik.jpg
はクリーニングを経て、相当美しい作品となりました。昔、グロニング美術館で観たときには真っ黒でなにもみえないような感じでしたからね。絵葉書買って、あ、こんな絵だったっけ? という感じでした。確かに当時も外側の筆勢のあるグリザイユ(イメージ)は高く評価されていましたが、なにせぼやっとしてみにくい。現在はかなり見やすくなったと思います。オリジナリティもあると思いますが、右翼の地獄の閑散とした感じはとてもボスの作品とは思えません。ただ、この祭壇画は昔から外側のグリザイユが真跡あつかいされていたわけで、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bosch_laatste_oordeel_drieluik_(exterior).jpg
  外側がボス、内側が他人というのも非常に不思議でした。普通は有名画家が内側描いて、扉の外側は助手にまかせるというようなことが多かったはず。 プラド ボス展のカタログを読むと、ボスと10年も同居していた高額納税者の甥Paulus Wijnants(1470/75 -1543/46)という人がいたらしいので、 その人との合作かもしれないと思っています。フェリペ ゲバラがいっている「ボスより繊細精密な絵を描く、我慢強い弟子」てのはこの人じゃないかな。ただゲバラは後述する「七つの大罪」がこの「ボスの生徒」作だといっているので、決めつけるわけにはいきません。別の甥で画家のJan van Akenもいます。
は、もともと断片なんですが、赤外線でみる下絵がボスに似ているということで評価されたんです。 痛みや剥落がひどかったらしく上の絵の具層は後世のものが多いということですから、鑑賞の意味真蹟にする意味があるのか?という感じもします。まあ、似たような悪口をいわれたエスコリアルのロヒールの大作もけっこう蘇ってますから、これにも救う神があるかもしれません。 
 メトロポリタンの「三賢王礼拝」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Adoration_of_the_Magi_Hieronymus_Bosch_autograph_ca._1470%E2%80%9375_(NY).jpg
は2001年ロッテルダムでみたときから、ボスの先祖の絵かな?と思ったぐらい異質なものだったので、いまさらね。まるで14世紀末15世紀初めのランブール兄弟の絵画のようにみえます。
 この絵にそっくりで金箔がないものがロッテルダムのボイマンスにあって、以前来日したときに池袋のセゾンでみたことがあります。これは、装飾写本挿し絵に近い古拙な近景とわりとイタリア的な遠景の組み合わせがおかしいといわれてきたものです。まさか、メトロポリタンに媚びてやったけでもないでしょうが、、

 逆に、外した三点のうち、「愚者の石の切除」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cutting_the_Stone_(Bosch).jpg
と「聖アントニウスの誘惑」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Temptation_of_St_Anthony_(Bosch).jpg
は、なんで外したのかわからない、
   見解解釈の相違というところでしょう。芸術新潮の文では言及されてませんが、ゲントの「十字架を運ぶキリスト」の位置づけは全く放置ですが、「触らぬ神にたたりなし」なんですかね。ミュンヘンの「最期の審判 断片」も無茶に古い基底材をどうみるか、、

 「七つの大罪」
は1560年ごろのフェリペ ゲバラのコメントでも弟子の作品とされてました。これはテーブルといわ
れてきましたがどうも普通の4つ足テーブルの天板じゃなく、エスコリアルにいたホセ  シグエンサ神父の記述では「一種の本箱」だそうです。ひょっとしたら、エスコリアルの図書室の中央に何個か、テーブルとしても使えそうな直方体の大きな本箱がありますが、ああいうものの天坂や蓋だった可能性が高そうです。
 人間の描写が、かなり他のボス画とは違っていて生々しい俗っぽさがあるように思います。これはブリュージュの「最後の審判」とも違っているように感じるところです。
  これについては、外してもいいかもしれない、


posted by 山科玲児 at 08:33| Comment(0) | 日記