2016年10月06日

ボス展のカタログを読む その18 お金持ちの同居人

Bosch Prado 2016.JPG

 ヒエロニムス=ボスが市の名士になったのは、名士の娘 アレイト(Aleyt Goyaerts van den Meerveen)と結婚したから、ということは、昔からいわれています。
  カタログのプラド美術館の学芸員 Pilar Silva Marotoおばさんの論説
Bosch and His Work  で、「ボスの家族は6世代にあたる画家一族で、ボスは4代目」ということがあったのは、前 注意しておきましたが、親族のこと、同居人のことなど、興味深いことが書いてありました。

  まず、妻アレイトの甥Paulus Wijnants(1470/75 -1543/46)という人が、1492年頃〜1502年頃まで約10年間、ボス夫妻と同居しています。しかもこの人がどういう職業だったのか記録がないんですね。まあ、無名の人の記録がないのは不思議ではないのですが、単なる居候じゃないんですよ。ときにはボスより多くの税金を払っていた高額所得者です。戦時臨時税のときですが、ボスは3ギルダー金貨(=60ストイバー銀貨)を支払い、Paulus Wijnantsは30ストイバー銀貨を払っています。1ギルダーは今の金貨価格換算なら1万6千円ですが、当時の物価との兼ね合いがありますので即断できません。とにかくかなりの金額です。Paulus Wijnantsはアレイトの親族の土地を相続した不在地主だったのかもしれませんし、当時の税金は固定資産税の部分が多かったでしょうから、そういうことだったのかもしれません。しかし、そういう金持ちなら10年も同居せずに、ス・ヘルトーヘンボスの他の住居に住めたでしょう。それが10年も同居してます。なぜなのか? Pilar Silva Marotoが引用するMosmansは「ボスの助手の画家だったのではないか」という推測を書いているそうです。
  この1492年頃〜1502年頃てのはボスの制作活動でも最盛期と思われる時代です。その時期の同居人? 私は、ボスの作品といわれる作品のなかには、このPaulus Wijnantsの作品がかなりあるような気がします。
 このPaulus Wijnants氏は1502年にス・ヘルトーヘンボスの他の住居を購入して転居してます。これはElizabeth Cuypersとの結婚が機会だったのかもしれません。ボスの住居はボス逝去後、未亡人アレイトが住んでいたようです。その後、ボスの家を相続して移転してきたのは、このPaulus Wijnants氏なんですね。
 また、ボスの本家、ファン=アーケン家の家屋は長男のホーセン=ファン=アーケンが相続していて、この人も画家でした。この人の息子であるJan van Akenもやはり画家兼彫刻家でした。このJan van Aken氏は、ボスやPaulus Wijnantsほど収入がなかったようです。1502−3年にJan van Aken氏は⒛ストイバー銀貨を税に払ってますが、ボスは99ストイバー払っている。1512−13年にボスとPaulus Wijnantは14ギルダー(280ストイバー)も払っていますが、Jan van Akenは38ストイバーです。

  ただ、Jan van Aken氏はボスと極めて近いところにあった画家でしたから、彼の作品も伝ボスの作品に紛れ込んでいそうですね。Frederic Elsigはブリュージュにあるヨナ祭壇画、ブリュッセル近郊アンデレヒトにある三賢王礼拝の祭壇画をJanの作品と推測しているそうです。


posted by 山科玲児 at 10:05| Comment(0) | 日記