2016年10月20日

西周史の本がでた

周 理想化された.JPG


古い知人・後輩の佐藤氏が本を出した。

 周―理想化された古代王朝(中公新書)
2016/9/16
佐藤 信弥 (著)
   http://www.amazon.co.jp/dp/412102396X
である。amazonの順位をみると、結構売れているようなので、うれしく思っている。
これは、
    白川静 金文の世界―殷周社会史 (東洋文庫 (184))  1971/1
      http://www.amazon.co.jp/dp/4582801846
 以来、45年ぶりといってもいい、金文・出土文献をもとにした一般向けの西周史である。
 従来、西周史は文王武王太公望の殷との戦いと幽王の死による西周滅亡だけが、めだっていたように思う。そして、なぜか孔子が武王成王時代の周公旦を讃仰していたことぐらいだろうか。その間の10代約200年は、全く地味で、霧の中にかすんでいた。
  そのためか、宮ア市定は「西周は存在しない」という説をぶち上げたことがある(1955年が初出らしい)。周民族が犬戎に追われて東方に移動し殷を滅ぼして洛陽を根拠地として建国したという伝承を、西周の開国と滅亡の2つの話に分けたという説である。ゲルマン民族の大移動とときのゴート族をイメージしたのだろうか?
  この説は、当時議論されたが、さすがに主流にはならず、「騎馬民族征服説」や北朝鮮由来の「分国論」のように一世を風靡したり大騒ぎになったわけではなかった。「西周の実在性」には、金文など出土資料の裏付けがあったからだろう。

  それでも、刺激を受けた人も多かったのではないか。今思えば、顧ケツ剛(こけつごう、1893年 - 1980年)が提唱した「疑古派」の流れを汲む論だった。戦前、章太炎が「金文や甲骨文は偽物だ」と主張していたのも背景にあったのかもしれない。

 西周史は、確かな文献が少なく、古代から偽造文献まである。青銅器の銘文や木簡竹簡などの出土文献を使って覗き込むしかない。一般むけ概説書としての前期  白川「金文の世界」は、かなり固くて読みにくく、なんとか通読はしたが、放り出してしまった。

 今回の佐藤氏の好著によって、ようやく西周史のイメージ形成のためのとっかかりを得たような気がする。
 これは、佐藤氏がもともと武侠小説の大ファンであって、読みやすく書くという姿勢が最初からあったことが大きいのではないか、と思う。

 読後、以下のようなことを個人的に考えた。
 1.帝辛(紂王)が死んだ 殷周革命は、一種の宮廷革命のようなもので、本当に殷(商)が滅び都が破壊略奪されたのは、いわゆる三監の乱(王子聖の乱)のときだろう。
それでも、宋に殷の王族を封じて祭祀を保たせたということは、もともと殷王朝の傘下の豪族としての周伯が殷の実質的権力を握るという形の内乱であって、一方的な征服ではなかった。だからこそ最後まで大義名分を通す必要があったのだろう。
  ところが、白川静が指摘するように殷と周はかなり異質な民族であった、そのために支配民族 周と首都の人民貴族の間に大衝突がおきたんだろうと思う。これは、清初の「弁髪拒否の反乱」に似たものではなかったか、「滅満興漢」を叫んだ漢人と似た状態だったのかもしれない。これは「殷の遺民」が「頑民」と称されたことと関係があるだろう。ちょっとわからないのは孔子が「我は殷人」「殷の礼によって葬式埋葬をして欲しい」と言ったことである。あれほど「周」を賛美し当時よりずっと古い古代史にも通じていたらしい孔子の複雑なスタンスはわかりにくい。

 2.佐藤氏の力作をもってしても、やはり西周の康王から西周末までの歴史はみとおしが悪い。
  ただ、もう一つ記憶に残ったのは、「共和」というのが「共和制REPUBLIC」ではなく, 脂、が首都を出奔してしまったため、「共伯和」という実力者が一時的に独裁官として政治を執った時代らしいことである。「共和制」の語原である共和が、実はまったく関係なかったとは驚いた。ただ、ピューリタン革命の後の共和制だってクロンウェル独裁だったんだし、似たようなものか。

タグ:中国史 西周
posted by 山科玲児 at 08:22| Comment(2) | 日記