2016年10月23日

オルメカの文字

  中米の古代文明であるオルメカ文明の文字らしいものが、メキシコのカリブ海回沿岸のヴェラクルズで発見されているようです。道路工事のときに出たそうな。
Wikipediaによると1990年代の発見だそうな。

Cascajal Block

  なんか、小さな石板で、在庫目録か荷物の送り状か護符みたいな感じです。 名詞を列挙しているみたいな感じの絵文字ですけど、、一応文字なのかな。たぶん文字一応文字、、、またも未解読文字が増えてしまいました。

  でも、マヤ文字も1960年代ぐらいは、下記の小さなライデン板なんかを珍重していたようなこともあったんだから、、今後の解読も期待していいのかな?
LEIDEN PLATE
http://research.mayavase.com/portfolio_hires.php?image=2909
   もっとも、このオランダのライデンにあるのでライデン板と呼ばれた翡翠板は、年代的には非常に古い年代を刻んでいるので、今でも珍重してもいいと思います。



posted by 山科玲児 at 19:53| Comment(0) | 日記

これはひどすぎる

Uffizi.jpg


フィレンチェのウフィッツィ美術館(イメージ)の展示環境が全く変わったようです。
    http://www.afpbb.com/articles/-/3104765 
 あまり愕然としたので、しばらく筋道立って考えることができませんでした。

  ドイツ人のアイク・シュミット(Eike Schmidt)館長 の仕業のようです。これはもはや犯罪ではないか。
 いわゆる「ホワイトキューブ」という理念ですが、それを古い宮殿型の美術館に持ち込むのは誤りです。
 予算やキャパの問題でどうしてもこうやりたいなら、ウフィッチィ新館とか分館を作ってそこは超近代的建築と設備でやればよろしい。  

 第一さあ、仮にそのボッテチェルリを、東京六本木の新国立美術館で展示したとして、ここウフィッツィで観たのとなんら環境が変わらないということでしょ。アホですか? なんのために私がわざわざフィレンチェまで行くのだと思っているのだ。このドイツ人は。
 結局、美術品がそれ自体で自立して存在していると勘違いしてんじゃないの? 周囲の環境、鑑賞者も含めた形で美術鑑賞が成立しているという現実に盲目で、あの「ウフィッツィ美術館の館長」になれるんだから、ヨーロッパの知識階級の劣化は半端ないな。メルケルから借金変わりに押しつけられたか?
   だいたい、芸術が環境と独立してんなら、ガーディナーが  ヴェネチアのサンマルコでモンテヴェルディのヴェスプロ(聖母マリアの夕べの祈り)をライブでやる意味がどこにあるんだ。ロンドンでやればいんだろ。音楽が自立してんなら。

 それに、ウフィッツィぐらいの長い歴史のある美術館になると、十九世紀以来多数の碩学が観賞した歴史というものがある。多少は違っても、ベレンソンやロンギ゙、矢代幸雄やフリートレンターが観賞した同じ場所に立っているのだという感慨が台無しだろ。こんなことやったら。 泉下の矢代氏も嘆いているだろう。 少し前、デヴィッドファウンデーションの陳列館がロンドン大学の1棟から大英博物館に移るときにも、そういう歴史性の破壊を惜しんだものだが、ウフィッツィぐらいになると半端のない歴史が積もっている。

 それとも、ワンワールド思想、グローバル化思想にかぶれて、世界中皆同じ環境にしないと気が済まない狂信者なのか? 低水準安定というか、低いところに切りそろえて皆同じにするという共産主義平準平等思想の実践なのか? 万一そうならこのシュミットは相当危ないアナーキストだということになる。

 さっと、頭をよぎったのは、、、
  ・2005年にウフィッチィに3回も行っていて、つくづく良かったと思った。無理してよかった。間に合った。
  ・ドイツ人をイタリアの伝統的美術館の責任者にするんじゃない、現代美術館ならよいだろうが。
  ・ピッティの価値が大きくあがった。もうピッティだけでいいよ。

 フィレンチェに行っても必要最小限しかウフィッチィにいくことはないでしょう。

posted by 山科玲児 at 11:35| Comment(0) | 日記