2017年02月28日

蘇州片


蘇州で明時代から複製絵画や贋作が伝統的に生産されてきたというのは、よく知られている。
陳舜臣の短編小説「名品絶塵」は、「景徳鎮からの贈り物―中国工匠伝」に収録されたものだが、
蘇州の模写画家を描いて、この短編集で最高の出来の名作だと思った。中島敦の「名人伝」を思わせるような崇高さを感じさせる工匠が、あの利己的な中国にいるのだろうか、フィクションも過ぎるのではないか、と思ったこともあるが、歴史の中で、突発的に天才的な頂点があの大陸の工芸品には時々生まれたのは事実であるから、やはりそういうこともあったのだろう。なければあんな素晴らしい作品ができるわけがない、と思うものである。
蘇州で多量生産された粗悪な絵画の贋作については、「蘇州片」という用語が骨董古美術商業界では古くから使われており、楊仁ガイ、「国宝ジョウ浮録」にも記録がある。

蘇州片について、大和文華館学芸員の板倉氏が書いている記事があった。
蘇州片と「倭寇図巻」「抗倭図巻」
板倉 聖哲
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/25/kiyo0025-10.pdf
 タイトルに偽りありで倭寇図巻についてはあまり書いてないが、「蘇州片」については面白い読み物である。
「蘇州片」については、
http://www.npm.gov.tw/exh99/aesthetics9907/jp2.html
には、かなり入っているような感じがする。
タグ:中国絵画
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玄宗皇帝の書

石台孝経 玄宗.JPG

  唐の玄宗皇帝の書で確実なものは、西安にある巨大な石碑:石台孝経の隷書ならびに 大きな行草の跋語(イメージ)であろう。隷書はともかく、行草は、大字でもあり玄宗皇帝の書として確実なものであるのに、全く書道史では重視されない。
  拓本も結構流布しているだろうに、そういう状態である。唐時代の行草で有名人の書であることが確実なものはあまり多くなく、模写本でも珍重されるし、甚だしくは、偽物でも麗々しく出版されたりしているのに、これはどういうことだろうか。


  まあ結局、この書を好きでない人が多いんだろうな。当方もあまり好きではない。ただ、なんか王鐸みたいな感じもあるから、賞翫する人がいてもおかしくないのにね。この肉太の感じは、日本  江戸初期の後水尾帝の書なんかに通じるところもあり、いわゆる宸翰様の一部に影響があるかもしれない。

 これをみてわかるのは、
*「歴史的価値」:玄宗皇帝の真筆を同時代天宝四年ごろに宮廷で石に彫ったという超確実な資料。
と、
*「芸術的価値」:鑑賞したり習ったりしたい人が多く、賞賛される
ということは、必ずしも併存しないということだ。

 清時代の碑学派の人々、康有為だかなんだか忘れたが、「北魏の碑は全て良い」というようなことを言っていたが、そういう風に一律に賞賛することは、問題が多いだろう。

 この石台孝経は巨大な四角柱で四面に彫ったものだが、ネット上で四角柱をみせる写真が、なんとスペイン人のブログにあった。

 下のイメージは戦前にとられた写真で、戦前発行の書道資料集にあった。


玄宗孝経.jpg
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2017年02月27日

別人か同じ人か

阮元像 (2).JPG阮元像 (1).jpg


2012年10月22日
清代学者像伝 の弊害
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/59426360.html
で、肖像画が本人と似てないという問題を提起しましたが、この阮元の肖像も別人にみえましたので,阮元のWikipediaの肖像を変えてました。左が三十代 44−5歳ごろの肖像画、右は清代学者像伝の肖像。年齢の差かなあ。。

実のところ、次のURLのように、東京国立博物館の広報/研究員のブログですら、この肖像画集 清代学者像伝からとっていることがあるので、かなり悪い影響を与えていると思います。なんとか変えないとね。





タグ:阮元
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台北故宮の越州石氏本 楽毅論 


同じ名前で展示品を取り替えてずっとやってる書道関係の展覧会なんだが、今年 春頃展示されたものの冒頭に
この拓本がある。

2012年11月02日の
台北故宮にも越州石氏本があった
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/59736641.html
でも、指摘していたが、この台北國立故宮博物院の
楽毅論 拓本は。東京国立博物館の李宗翰 旧蔵本(下リンク)と石の細かいキズなどが尽く一致するので、同じ石からとったものだろう。翁方綱すら入手できなかった稀覯本なのに、2冊あるんだな。と感慨深い。
 この故宮本は、大収集家  畢隴(清明上河図ももっていた) の収集品だったようだ。
  
東博の拓本   楽毅論
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2017年02月26日

倪サン 絵画の文献

雲林堂飲食制度集ss.jpg

2017年02月22日に、
    Wikipediaの、元末明初の画家: 倪サン(1301年〜 1374年)の項目を書き直しましたことをかきました。
そのとき、 参照した文献のことをコメントしましたが、こういう目録は研究の糸口になりますから、一応あげてみますね。
絵画とは関係ないですが、倪サンの料理書というのがあって面白いので紹介してみます。
雲林堂飲食制度集、中国商業出版社、1984年、北京(イメージ)
この中ででている焼鵞ってのを改良して、清時代に随園食單にあげ、それを倪サンの故郷の
 無錫 状元楼で「倪庭鶏」というブランドにして出しているそうです。「雲林鶏」ともいわれているようですね。


 文人画粹編 中国篇 第3巻 [[黄公望]][[倪サン]] [[王蒙]] [[呉鎮]] [[中央公論社]]、1985年
  新藤武弘, 山水画とは何か, 福武書店 ,1989
 ジェームズ=ケーヒル, 江山四季, 明治書院,1980
 世界美術小辞典, 東洋編中国絵画, 芸術新潮掲載
  陳 舜臣, 中国画人伝, 1984 (誤りも多い本ですが、明清の画家の紹介本は少ないし、とにかく読みやすく面白い)
  雲林遺事: 明 顧元慶 net閲覧、早稲田大学図書館

 張丑 清河書画[舟方] 緑字号第十一
 國立故宮博物院, 伝移模写, 2007, 台北。
 双銀、倪サン設色水竹居図、文物 1979年 第二期、文物出版社、北京

  鄭拙盧、倪サン、中国画家叢書、上海,  1982
 「中国歴代絵画・故宮博物院蔵画集 W」人民美術出版社、1983年、北京
 藝苑テツ英 上海人民美術出版社、 51,52、1996、上海 
 國立故宮博物院,  故宮蔵画精選, 1981, 香港リーダーズダイジェスト社
  James Cahill, Chinese Painting SKIRA, Geneve, 1960の2nd edition 1977,
 Lawrence Sickman, Eight dynasties of Chinese Paintings, Cleveland Museum of Arts, 1980
 Sherman Lee, Chinese Landscape Painting, ICON Editions
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バロネス

王妃アリエノールダキテーヌ.JPG

昨日のクローツ家のファミリーストーリーで、女男爵という言葉を出したが、
BARONESS
である。
 これを男爵夫人と訳してしまうと、既婚者みたいなのでおかしいので、こういう言葉になった。
 これは西洋中世以来の習慣で、爵位(領地 徴税権)が女性にも継承されるので、男爵に女性相続人しかいない場合は女男爵になるのである。中世では「相続女」という身も蓋もない言い方をしていたが、実質は変わりない。
 有名な例では12世紀(中世温暖期)のアキテーヌ女公爵の アリエノール(本の表紙イメージの左の王冠を被った人)がいる。
この絵のもとの壁画はシノンのこれ、、

フランス王ルイ7世と結婚したがそのあと離婚したら広大なアキテーヌの支配権は、ルイから離れてしまう。つまり結婚しても財産は一緒にならないのだ。だから妻を軟禁するとかいうのが起こるわけである。
 BARONESSには、男爵と結婚して男爵夫人になった人と、男爵の相続人で男爵位を継承した人の二種がある。
 十九世紀末フランスでは「あの平民は嘘を書きました。侯爵は侯爵同士でしか交際しないのだから」というほど流動性がなくなっていたこともあるようだが、それ以前や他の地域ではそんなことはないようである。

posted by 山科玲児 at 09:56| Comment(0) | 日記

2017年02月25日

今日は休み

今日は更新しません。
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2017年02月24日

クローツ家の米国移住

abraham van b.jpg

  この絵の解説に付属したクローツ家の米国移住の話があまりに興味深かったので、抜粋翻訳してみました。()内は当方の注釈です。

  全文は英語で読んでくださいね。ルスが舞台俳優としてドイツで活躍し、結婚披露はミュンヘンの舞台でやったという話、ニューヨークのクローツ邸には指揮者ショルティも来たという話なども書いてあります。


  第2次大戦が終わってまもなく、ヒューゴー クローツLeopold Hugo Paul Klotz(1909 - 1993)と新花嫁 前ライデル女男爵ルスRuth Baroness von Riedel はニューヨークへ新居を探す旅にでました。ヒューゴーはメクレンブルク(当時はソ連占領地)にネオゴシックの邸宅をもつベルリンの名家の唯一のあととり息子です。当時のドイツの政治的状況から逃げるために、ヒューゴーの家族はベルリンのティーガルテン近くの別宅にあった美術コレクションを梱包しPONTRESINA(スイス  サンモリッツ付近の村 リゾート地)に移送させていました。
  中略
  ヒューゴーはウオールストリートで株式ブローカーとして働くのに通勤しないといけないので、最初マンハッタンの近くで家をさがしました。
 ニューヨークの山側郊外にあるCatskillsのそば MonroeにあるBonniebrook Farmにある美しいがあまり実用的でない古い屋敷をみつけました。そこをヒューゴーの両親がベルリンから運んだ宝物で満たしたのです。
  両親もまたドイツを離れHotel Pierre(五番街のそばの高級ホテル)に住みました。安全上、高価なレンブラントの「エウロパの略奪」はメトロポリタン美術館に長期寄託されておりました。ヒューゴーの死後、ポールゲッティ美術館に売却されました。
 当時、クラナーハの聖バルバラは、ドイツの値段が付けられない宝物と同様に行方不明でした。ヒューゴーとルスが偶然、ニューヨーク警察署長マンフレッド=シュライバーManfred Shreiberとともにランチをとるまでこのクラナーハの行方はミステリーでした。会話が行方不明の美術品のことになったとき、シュライバー署長は、その絵は、ヒットラーの銀行家(クリスティーズの記録ではゲーリングらしい)が岩塩抗周辺に隠した、よくわからない美術品群のなかにあるかもしれない、と示唆しました。
ルスはそれを取り戻すことを決心し、研究調査を開始し、ついに回収することができました。ヒューゴーはこの絵を妻に与えて「ルスのクラナーハ」と呼びました。

つっこみどころ満載です。
??いきなりニューヨークにいってドイツ人がウオールストリートで株式ブローカーになれる??
??スイスへ運んだのはなぜ??
??ニューヨーク警察署長がなんで知ってるんだろう??

posted by 山科玲児 at 06:57| Comment(0) | 日記

正反対

DER SPIEGELNo62017Feb04.JPG


かなり遅れた話題になりましたが、

図書館の海外雑誌コーナーで、

ドイツの雑誌シュピーゲルの表紙をみて、うんざりしましたので、表紙の写真をケータイで撮りました(イメージ)
DER SPIEGEL 2017 feb04
トランプ大統領の風刺画らしいのですが、

パリでのテロに関わった  仏蘭西雑誌 シャルリーエブドのマホメット風刺画より ひどい出来ですね。

  まず、自由の女神を斬首しているトランプというのが、おかしいというか正反対です。トランプは言いたい放題言ってるわけで、くだらない「言葉狩り」をやめよう、「メリークリスマスといえる社会にしよう」とやってるわけでしょう。これは、言論の自由を回復しようという主張なのだから、まさに「自由の女神」の使徒といっていいでしょう。斬首どころか「礼拝者」ですね。

 「言葉狩り」で「言論の自由」を弾圧しているのはマスコミのほうです。無制限な自由は、公共の福祉のための制限を受けるわけですが、マスコミの福祉のための制限/弾圧だもんな。


  


 
posted by 山科玲児 at 06:38| Comment(11) | 日記

2017年02月23日

トランプとストックホルム暴動


トランプ大統領が「スウェーデンで昨夜なにが起こっているかみろ」と演説する
スウェーデンのストックホルムで移民の 放火 暴動が起こる

なんか、不気味ですねえ。予言的自己成就っぽいんですけど。



posted by 山科玲児 at 08:20| Comment(0) | 日記