2017年04月15日

戦争・大災害と文化

 東日本大震災と福島原発事故の大惨事があったあと、独自性の高いボーカロイドのクラシックカバー演奏が急に失速し激減したのをよく覚えている。

 やはり、文化は平和と潤沢のなかで生成されるものだと思った。例え、戦争を描く小説でも現実の執筆は塹壕やトーチカの中で書かれたわけではない。ヘミングウェイにしてもスペイン内戦小説をキューバで執筆していたのだ。例外はプロパガンタ書というべき神皇正統記を戦争中に書いた北畠親房卿、藤田嗣治の戦争画ぐらいではないか。藤田の場合も戦場にいって描いたわけではない。戦争が文化文明を発達させるのなら、30年戦争をやったドイツは30年戦争後最高の文明国文化の国になったはずである。
事実は、荒廃し欧州の後進国になって呻吟した。

戦争の影が深くなっている現時点で、たまに、「文明は戦争によって発展する」とか「文明の高いほうが勝利する」とかいうようなプロパガンタを言う学者もいるだろうから、あえて言っておきます。

未確認原爆投下指令―フェイル・セイフ (創元SF文庫」にもそういう学者がでてましたので、そういう謬論は、論駁しておきたい。

 


posted by 山科玲児 at 08:56| Comment(0) | 日記