2017年12月22日

鶴下絵和歌書巻の由来

鶴下絵光悦筆三十六歌仙和歌書巻.JPG


九州国立博物館の特別展
特別展『王羲之と日本の書』
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s50.html
は楽しみにしている。


そこで展示される
 鶴下絵光悦筆三十六歌仙和歌書巻 (イメージ)
は、京都国立博物館の自慢のもので、ミュージアムショップのレターセットなどにも使われる人気のある美術品である。今回のチラシにも、大きく印刷されていた。

実はこの作品、世に出たのは新しい。どうも1960年代らしい。
 これが世に出た事情は、

芸術新潮
1967年9月号  p98〜101
谷川徹三「国が買おうとしている宗達--荒川豊蔵氏蔵の宗達下絵光悦書「鶴図和歌巻」」
に詳しい。

  当時は陶芸作家の荒川豊蔵氏の所蔵であり、文化庁が購入を予定していたようである。
谷川徹三の聴き書きによると
「名古屋近在のさる旧家の倉からでたものであること、その旧家の人々はそういうものがあるということは知っていたが、開けてもみなかったらしいとのこと」

ということだそうだ。

posted by 山科玲児 at 09:38| Comment(0) | 2017年日記

ニュールンベルクのストーブ パルジファル 【追加あり】

nurnbergstove1882Parsival.jpg

ニュールンベルクのストーブ のことは打ち止めにしたはずなんだが、
ちょっと気がついたおかしなことがあって、再度、書く事にした。

オーガストがバイエルン王ルートヴィヒ2世の館にストーブに隠れたままま運び込まれたとき
「耳にした音楽は離れた部屋でワーグナーが奏でているパルジファルの主題だった」
と書いてある。

  実は、これは少しおかしいのだ。パルジファルの初演は1882年7月26日、バイロイトである。
   この ニュールンベルクのストーブが、BIMBIという児童小説集に収録されてロンドンで刊行されたのは同じ1882年である。そりゃ五ヶ月ほど余裕があるが、当時作者のウイーダはフィレンチェ住まいだったはず。
      7月26日以降に書き始めて完成し、ロンドンへ原稿を送って印刷されるまでを考えるとかなり厳しい。現代のように、原稿をファイル転送して即時に校正するという時代ではないのだ。航空便だってない時代である。八十日間世界一周(1873)の時代なのだ。 しかも、この本は9つの小説が収録された小説集で300P近くある。他の作品は書きためたものだったにしても、どうなんだろうか? また、こういう本はクリスマスプレゼント用をあてこんだ出版であった可能性があるから、12月出版でもいいかもしれないが、そういう出版なら新作ではなく安全パイをねらうのではないか? しかも9作中巻頭がニュールンベルクのストーブなんだから、万一  原稿が落ちたら、とりかえしがつかないだろう。
  また、この本は当時十三歳だったイタリアの王子 ヴィットーリオ エマヌエレに献呈されている。こういう公的なものがからむのだから、あまり綱渡りはやらないのではなかろうか?
   ひょっとしたら、初版は違っていて、後の版で加筆したのかと思ったが、1882年の版がカリフォルニア大バークリー校にあり、そのイメージを利用できた。上のイメージのように、明らかに パルジファルと書いてある。
  色々考えたが、原稿はとっくにできていて、雑誌や個人的に発表されていたんだが、イタリア王子に献呈する児童小説集を編纂するときに、手を入れて、当時上流社会で評判だったルートヴィヒ2世とワーグナーのパルジファルの事項を入れたのではなかろうか??

【追加】パルジファルの作曲自体がイタリアで行われ、完成はシチリアのパレルモでだったそうだ。そうすると、上流のサロンにも出入りしていたウィーダがフィレンチェなどでワグナーと会って、作曲中のパルジファルのメロディを聴いたという可能性もあるかもしれない。


posted by 山科玲児 at 08:02| Comment(0) | 2017年日記