2018年01月31日

北イタリアのオルガン

北イタリアのオルガンNorth Italy Organ Leonhardt.JPG



故  グスタフ・レオンハルトのCDで、
北イタリアのオルガンの名器を演奏したCD、これ長く品切れだったんですが、最近、
どうも再プレスしたのか、入手できるようになったようです。
当方はHMVが長ーく「取り寄せ中」になっていて、待たされていたんですが、ようやく入手できました。

北イタリアのオルガン 
https://books.rakuten.co.jp/rb/3892216/
 このサイトでは、曲目のラインナップが全部あげてあります。

 この日本語版では、1977年に植田義子氏が、自分の豊富な経験談を交えて興味深い解説を書いています。海外版の廉価版が再発されたとしても、この日本プレスのほうを推薦したいと思います。

  修理はあるとはいえ、オリジナル楽器のオルガンによるレオンハルトの演奏ですしね。



posted by 山科玲児 at 11:28| Comment(0) | 日記

レバノン人が書いた マニの生涯


アラブが見た十字軍
    アラブが見た十字軍 アミン・マアルーフ  著 ,    牟田口 義郎  翻訳 ,    新川 雅子  翻訳
        http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086150/
という、卓抜な史談(歴史小説)を書いた、フランスにいてフランス語で著作をしているレバノン人
アミン・マアルーフによる小説 マニの生涯 というのの翻訳本があるそうだ。

光の庭―小説 マニの生涯』 戸田聡訳、連合出版
Les Jardins de lumière, Jean-Claude Lattès, 1991

   フランス語の原書は、1991年の刊行なので、ケルン羊皮紙写本CMCの翻訳発表によって刺激を受けた小説なんだろうと思う。

 あまり面白くなかったのか、宣伝が悪いのか、翻訳がよくなかったのかは分からないが、あまり評判にもならず絶版になっているようである。アミン・マアルーフはフランスアカデミー会員にもなっているようだから、フランス語の文章が下手ということはないと思うのだが。。


  ただ、同じ著者の小説:サマルカンド年代記は、アラブが見た十字軍 ほどは面白くなかったし、なんか映画化を意識しているような感じがあって、1度しか読まなかった。

posted by 山科玲児 at 08:09| Comment(0) | 日記

2018年01月30日

マニ教

マニ教 世界図040_size0[1].jpg



2010年ごろマニ教の宇宙図の中国版(イメージ)が日本でみつかったというニュースが流れていた。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2600R_W0A920C1CR8000/
なんか須弥山図みたいだから、そういうものとして伝世されてきたんだろうな。

マニ教については、
山本裕美子、 マニ教とゾロアスター教、世界史ブックレット  山川出版社、1998
を昔買って概要は知っているつもりだった。


最近、
という本をひろい読んでみたが、
 教祖マーニーのACE3世紀のイラン人としての生涯は、なかなか興味深いものがあった。
  マーニーの父親が、かなりアレなのが印象的だった。

 ゾロアスター教の改革派のような気がしていたマーニーは、 実はマルキオンの影響を受けたグノーシス派のようである。
    20世紀末ぐらいに、かなり大きな考古学的文献的発見があったようで、特にケルンで再発見されたマッチ箱大のギリシャ語の羊皮紙写本CMC(Codex Manichaicus Coloniensis)が、マーニーの前半生の伝記をかなり詳しく書き残しているらしい。

ここで写本の写真を全部観ることができる. 私は読めませんが。。。
http://www.uni-koeln.de/phil-fak/ifa/NRWakademie/papyrologie/Manikodex/bildermani.html

  さらに、驚いたのは、アラビアンナイト研究では、必ずでてくる10世紀バクダートの書籍商
イブン ナディームが書いた
解説付き書籍目録:

に マニ教文献や記述があるらしいことである。

posted by 山科玲児 at 10:48| Comment(0) | 日記

2018年01月29日

三河内焼の動画


三河内  松山作.jpg


  長崎の波佐見に近い三河内では、平戸御窯(平戸焼)の伝統をひいた精緻な染め付けや透かし彫りの陶磁器を生産しています。イメージは松山窯の底銘の一つです。普通は染め付けで銘を入れますが、これは、エナメルの上絵です。

 三河内焼制作現場のプレゼン動画がありましたので、紹介します。
 透かし彫りの現場なんかとても珍しいと思います。

三河内焼セレクション


posted by 山科玲児 at 08:27| Comment(0) | 日記

台詞版のカルメン

  オペラ:カルメンについて、ドイツの解説書の日本語訳本を読み返していた。
  そしたら、もともとは「オペラ・コミック」であり、レシタティーボはなく、皆、台詞になっている、ミュージカルやモーツアルトの魔笛のようなジングシュピール、であったと、書いてあった。前にも読んだはずだったが、すっかり忘れていた。

  カルメンのレシタティーボは、ビゼーの死後、友人で同僚のエルネスト・ギローがウイーンからの注文で補作したもので、当初はなかった。

  一般に親しまれている、レシタティーボつきのオペラ「カルメン」はビゼー+ギロー合作であり、ウイーンでドイツ語訳で上演されたのが最初だという。そのウイーン公演は大成功で、この合作レシタティーボ版が各地で上演され、哲学者フリードリッヒ・ニーチェは二十回以上観たそうだ。

  最近は、オリジナルの台詞版のほうも、よく上演されるという。

  ただ、ウイーンからの注文はビゼーの生前にあったもので、ビゼーはレシタティーボをつけるつもりだったらしい。だからビゼーがレシタティーボつきを嫌がったわけではない。 しかし実際に作曲はしていない。あくまでもギローの作曲である。




posted by 山科玲児 at 07:44| Comment(0) | 日記

2018年01月28日

闘牛とヨーロッパ

Carmen Rosi.jpg


  長崎は寒いので、 血湧き肉躍る、故フランチェスコ=ロージ監督のオペラ映画カルメンを視聴してみました。


何度みても感心するのは、冒頭の序曲の前と序曲にかぶせた闘牛シーンです。
 これは、動物愛護団体がまっかになって怒りそうな血まみれの闘牛シーンで実にショッキングです。だからこそYoutubeにはその部分だけはないのでしょう。当然、歌手・俳優であるルジェッロ・ライモンディができるはずはなく、本職の闘牛士らしい サンティアゴ ロペスSantiago Lopezが代行して演じております。なんかこのシーンだけ不自然に闘牛士の首から上がみえないのはそのせいでしょう。

  しかし、こういう闘牛のクローズアップの撮影には、カメラマンも闘牛士たちの近くに行って決死の覚悟で撮影しているとしか思えません。現在ほどハイテクじゃない時代ですからね。
  
    しかし、この闘牛を観るとき、つくづく思うのは、古代ローマ以来のヨーロッパの原点のようなものがここにあるということです。残酷さや奇矯さも含めてヨーロッパなので、そういうものを切除してしまったらヨーロッパそのものが消滅してしまうでしょう。
 マドリードを再訪したとき、あるスペイン人に話したことですが、

  スペインから闘牛がなくなったとき、ヨーロッパは無くなる。

 ルーマニア生まれでパリで活躍した哲学者 シオランも「学芸の女神アテナは武装しているではないか」と西欧人に警鐘を鳴らしていましたが、それと並行するような思いを抱いたものです。



posted by 山科玲児 at 20:04| Comment(0) | 日記

銅板に描いた油絵

Jan Brueghel Air Louvre.jpg


に書いてあった
銅板に描いた油絵
の問題は、以前から気になっていましたので、少し調べてみました。
どうも、
ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜
http://www.tobikan.jp/exhibition/2017_bruegel.html

で銅板の絵画がでていたからのようです。

  当方が、実際に観たものは、ヤン・ブリューゲルの作品、その周辺の作品ばかりでした。
  ヤン・ファン・ケッセル(ヤンブリューゲルの孫)の銅板に描いた「カエル」の動物画のことを森洋子さんが藝術新潮に書いていました(Ref1)。これが、最初にこの「銅板に描いた油絵」を知った機会でした。
 まあ、20世紀後半では(あるいは今でも???)西洋絵画はキャンバスに描くものだと確信してました。美術展で売ってる額絵の豪華版で布に印刷したものがありました。もっともひどい誤解はポプラ板に描いたモナリザを布に印刷して高く売っていた、という笑い話すらあります。板絵という概念は今でも周知されてるのかなあ、、と思うぐらいですから、まして銅板に描くなんて、、新鮮でした。

 銅板を含めた金属板に油彩するというのは、なんか装飾品や家具や武器などに例がありそうな気もしますが、当方が気がついた古い例は、

 ロヒール ファンデアワイデンの七つの秘蹟の祭壇画(アントワープ王立美術館)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Seven_Sacraments_Rogier.jpg

で、一部の人物は錫箔の上に描いて貼り付けてある例です。



この件は、羊皮紙とかいうのもあって、未確認、確か「錫箔」と聞いたはずでしたが、、、




本格的な使用では、未見ですが、イタリアの例があるようで、

ブロンチーノ 肖像 錫板油彩
https://www.wga.hu/html/b/bronzino/1/ferdinan.html
ブロンチーノ 幸福のアレゴリー 銅板油彩
が古いようです。

2015年10月初めに
「風景画の誕生」展 渋谷BUNKAMURA にみにいったときに。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien/index.html
> そして、ヤン=ブリューゲル父子による銅板に油彩で描いた美しいパネルがあって、これはミラノのアンブロジアーナで同類を観て以来の良い経験でした。この銅板油彩というのは、なかなか良い方法だとおもうのに、なんでキャンバスや板が使われ続けたのかな?と思ったものです。

というメモを書きました。このとき観た銅板油彩の2点は結構大きい、、そうはいっても40x60cmぐらい、、だったので、銅板にしては大きいなあ、、、と思ったものですが、
実は、ルーブルの「空気のアレゴリー」(イメージ)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jan_Brueghel_(I)_-_Air_(Optics)_-_WGA3548.jpg
も銅板だったようです。

  海外の美術館を訪ねるとき、基底材なんかの細かいところまでみないからなあ。ミラノのアンブロジアーナを訪ねたときに、小型のものが多かったんですが、ヤン・ブリューゲルの銅板油彩作品がどっさり並んでいたんで、そのときは銅板ということを意識したんですが、そのうち忘れていたのかなあ(Ref2)
  ただね、17世紀後半以降、銅板絵画ってまるでなくなってしまいました。やはり銅板が高価だったということかな?現在でも、鉄の値段と銅の値段を比較すると、銅は10倍ぐらい高いものですから。

Ref1 森洋子、ブリューゲル一族再会、 芸術新潮 1980年12月号 通巻372号
Ref2 The Pinacoteca Ambrosiana. Electra, 2002 Reprint(1997 1st print)
posted by 山科玲児 at 11:53| Comment(0) | 日記

2018年01月27日

ストスコフの静物画

Frescobaldi Moulin  Stoskopff.JPG


先日

  Yoann Moulin - Cento partite sopra Passacagli
     https://www.youtube.com/watch?v=qiDverVuLKk
のCDを注文した、、と書きました。

そのCDの表紙がイメージのとおり、17世紀ストスコフ(読み方は異論があるかもしれません)という画家の静物画からとっております。
CD表紙はもとの絵の一部で原画は
フランス東部 ストラスブールのノートルダム美術館にある


です。

Corbeilles de verre

Sébastien Stoskopff (1597-1657)

Strasbourg, 1644

Huile sur toile
52 x 63 cm
Signé et daté
Inv. MBA 1281



セバスチャン・ストスコフは、ストラスブール生まれでパリ、ヴェニスなど各地にいっておりますが、故郷でパトロンをみつけたようで、20年以上この町で暮らして、ここで逝去しています。
そのせいか、ストラスブールに何点も絵が残っているようですが、この作品が一番良いようですね。


この ストスコフ、私が初めて知ったのは、実は相当古く、故:澁澤龍彦先生の「幻想の彼方へ」(美術出版社 1976)収録の「遠近法・静物画・鏡 トロンプ・ルイユについて」というエッセイです。初出は「みずえ 昭和47年4月」。
私が自分の眼で眺めて、最も心を動かされた トロンプ・ルイユ風静物画の傑作と思われる作品は、セバスティアン・シュトスコップフの「コップのはいった籠とパイ」(ストラスブール美術館)であった。
と紹介されていたのを読み、モノクロ図版も観たのが最初です。

その絵は、

グラスの入った籠とパイ( テーマで見る世界の名画 全十巻で採用された題名に従います)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sebastian_Stoskopff_001.jpg

です。これは、

 テーマで見る世界の名画 全十巻
の静物画の巻にも収録されています。

2点ともストラスブールにあるようですが、
カラーイメージで観る限りは、こちらよりは、前者のほうが優れているようにみえます。
どっちも実見していないので、なんともいえませんが、
後者はパイの肉の描写がおいしそうにみえないのが残念なところです。

テーマで見る世界の名画 で、より優れた写真・色合わせをした図版が出版されるでしょうから、また判断が変わるかもしれません。




posted by 山科玲児 at 09:10| Comment(0) | 日記

年号と元寇

昨日の記事で、

>まあ、文弘  あたりがいいんじゃないの、

なんて、書いてしまったが、

なんと元寇が

永の役  安の役でした

合わせたら「文弘」

年号選ぶのって、ほんと難しいんだなあ。

posted by 山科玲児 at 08:14| Comment(0) | 日記

2018年01月26日

元号


  チラ見した動画で、竹田恒泰氏が、次の年号になりそうな候補をあげていた、過去500年に候補にあがって採用されていなかったものから、MTSHなどの頭文字略号と重複せず無闇に煩瑣な漢字でもないものから選んだそうだ。

  安延  文長  永明  延化  建安  弘永 文承 安長 弘徳 文弘  安化 永光  建和

  チラ見して、あれおかしいな、と思ったものだ。
   チャイナの歴代王朝で使った年号が入っているじゃないの??  竹田さんは、中国史にはあまり詳しくないんだなあ。三国志に関心のある人なら知らないものはない年号の「建安」が入っている。「永明」も古写経では有名だしね。
   おまけに、この年号「建安」は、曹操が主催した時代で、その最後にケン帝は曹丕(魏の文帝)に譲位し漢王朝が滅亡した。皇室にとっては極めて不吉な年号であろう。

  次に  南北朝時代  南斉の「永明」。これは南斉の武帝の年号だが、武帝の政治自体は良かったとはいえ、後継者選びに失敗し、そのあとの南斉はメチャメチャになり、次に遠い親戚の蕭衍が梁を建国して一応太平になったんだから、あまり感心しないなあ。

   この2つはすぐわかったが、念のため東方年表  をもってきて調べてみたら。
「建和」も既に使っていた。
建和  後漢  桓帝初期3年ほど使用、 五胡十六国の南涼で1年ほど使った
これも、前の「建安」ほど悪くはないけど、あまり感心しない。

   まあ、文弘  あたりがいいんじゃないの、文化文政時代は一応繁栄したんだし。ただ、明治の少し前「文久」は暗殺年といわれたほど血なまぐさい時期だったけど、それほど有名じゃないしね。

   安なんとかというのは、安政時代の評判が悪すぎて(大地震・大獄などなど)しばらくは使えないだろう。
   寛の字は使えないのかな?寛平なんて評判良いしね、


posted by 山科玲児 at 08:12| Comment(0) | 日記