2018年01月25日

乾56年の臨書

臨書.JPG


蘇州生まれの教員であり、文人・書家として名のある人:
芑孫(1755 -1817),暢甫, 鐵夫
乾56年に法帖を臨書したものです。

新歩虚詞 の臨書で、欠字を珠で書いています。

この人の書って、東京国立博物館の高島コレクションにもありますね。
意外に高価なものなのかなあ。。。



posted by 山科玲児 at 12:35| Comment(0) | 2018年日記

シャーロック・ホームズのドイル自筆原稿

The Returm pf Sherlock  Holmes.JPG

シャーロック・ホームズものの1短編
「金縁の鼻眼鏡」について、
Oxford Umiversity Pressが1993年ごろにだした詳細注釈付き本(イメージ)
でチェックしていたら、妙なことに気がついた。
この The Return of Sherlock Holmes収録の多くの作品の原稿が米国で売買されていた記録が残っており、多くの原稿は米国にあるようなのだ。その値段まで書いてあった。

  表紙に絵がついている有名な佳作「六つのナポレオン」の原稿はカリフォルニアのハンチントン ライブラリーにある。
  この「金縁の鼻眼鏡」の原稿は1932年にサザビーズで八十八ポンドで売られ、1934年のサザビーズにまた出て120ポンド、1967年にまたサザビーズにでて900ポンド、ニューヨークで転売されて七千五百ドル、今はテキサス州オースティンのテキサス大学にある。
   さらに面白いのは、[第二の血痕]の原稿は、ドイルがまだ現役作家であった当時 1922年にニューヨークでオークションにかけられていて170ドルで落札されていることだ。日本で、自筆原稿が作家の生前に売買されたということがあったかなあ。。
    ドイル自身、あまりホームズ本を書きたくなかったらしいという皮肉な伝記もあったので、あまり原稿など大切にしなかったのではなかろうか。しまった自筆原稿を回収して高く売ればよかった、ぐらいに思っていたかもしれない。

この詳細注釈本は、翻訳が河出書房新社からでていた。近くの図書館にもあるようだ。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309610405/
まあ、英語だから、日本語訳を参照しなくても問題はないだろう。

posted by 山科玲児 at 09:07| Comment(0) | 2018年日記

2018年01月24日

モンス デジデリオの動画


MonsDesiderio frontcover.JPG


  モンス・デジデリオという変わった風景画家がいる。
  
  テーマで見る世界の名画 全十巻
http://gakugei.shueisha.co.jp/artgallery/
の風景画の巻には収録されていなかったので、がっっかりしたものだ。

  主な作品を紹介した動画があるので、推薦したい。


画集でも、なかなかこれだけ網羅してみることはできないだろう。日本でも画集は一冊(トレヴィル)があり、フランスで一冊(イメージ)刊行されている。ただ、21世紀になって、フランス語イタリア御での出版があるようだが、中身はみていません。

  この名前、Monsu Desiderio となっているが、合作の際に使ったペンネーム、あるいは、ある作品群に対する蒐集家収蔵家側が記録した俗称・総称のようである。 フランソワ・ノームとディディエ・バラという二人が合作したもののようであり、とくにノームの個性が強いものが多いようである。ノーム(Metz, 1593 circa 〜Napoli, 1624以降消息不明),という17世紀にイタリアで活躍した フランス・ロレーヌ地方出身の人である。実はディディエ・バラも同郷だ。

 当時、こういう画家は多かったらしく、多数の版画で有名なジャック・カロも同じような生涯をおくっている。またジョルジュ・ドラトゥールもまたロレーヌ出身でパリなどで活躍していたようだ。

 日本での紹介は,  マルセル・ブリヨン「幻想芸術」  グスタフ・ルネ・ホッケの「迷宮としての世界」の翻訳書あたりが早いんだろうが、往年のマンガ家  水野英子氏が「モンス・デジデリオが好き」とコメントしていたことを、よく覚えている。

下イメージはルネホッケで紹介された夢のような建築

monsu desiderio  suzanne  napoli priv.jpg


posted by 山科玲児 at 09:53| Comment(0) | 2018年日記

2018年01月23日

高雄で奥様女中


 ペルゴレージのインテルメッツオ「奥様女中」(1733)は当時イタリア・フランスを席巻した
大ベストセラーの 喜劇オペラで、しかも現在でもその活き活きとした生命力を失っていない。
私が、初めてみたのは二期会の「室内オペラ」公演だったと思う。
CDではレナータ・スコット+セスト・ブルスカンティーニという古典的な定評のある往年の名盤もある。


今日、気づいたのだが、なんと台湾の高雄で台南藝術大学主催で台湾の歌手・演出でやった公演があるようである。

La Serva Padrona
管家女僕 義大利原文版
2015/12/22於高雄市音樂館
https://www.youtube.com/watch?v=DeJ9iE7mLpo

いやあ、なんか不思議な感じですね。
演出がもろに大正ロマンみたいな雰囲気もある。
歌手は正統的だしまあまあだと思います。とくにウンベルトの丁一雷がいいかな。

このイタリアの演出とはなんと違うことか。。まあ、違うところに台南の独自性があるんだろうな。
Francesca Salvatorelli, Lapedona, Marche, Italy, 2014 Aug 10
https://www.youtube.com/watch?v=Xzh0Ea9Ww8w



posted by 山科玲児 at 08:37| Comment(0) | 2018年日記

2018年01月22日

ルネサンスと古代ローマ

Stabiae Primavera.jpg

    ルネサンスは古代ギリシャ・ローマの文芸美術の再生という意味での言葉であるが、実際にルネサンス時代に制作された美術品は、再生とはいえない、西欧社会 独自の発展というべきものが多かったと、20世紀後半の学者は力説しておりました。なんかこれは、マルクス主義の発展段階説の影響かもしれないなあ。古代⇒中世⇒近代で発展しないといけないのだから、再生とか復古ではこまるんじゃないかな。


  まあ、実際のところ、音楽などは内的発展っぽいように感じます。 古代音楽の再生なんて一番難しいよなあ。。こういうのは、復古という旗印のもとでの革新であって、日本の歴史でも、中国の歴史でも、多く行われてきたことである 特に異常とするに足りません。

   一方、じゃ全く再生はなかったのだろうか という疑問が当然湧きます。

   ラオコーン彫像の発見と公開がミケランジェロなど当時の多くの美術家に大きな影響を与えたり、ラファエロのグロテスク模様による装飾が、当時発見された皇帝ネロの黄金級の装飾とされた壁画かモザイクの模様を模範としたという話などは、有名ですね。

   そういう古代ギリシャ  ローマ尊崇があったとすると、古代ローマ絵画の模倣などが全くなかったのか、ということは、ないのではないか、いくら古代ギリシャ ローマの巨匠たちの絵画が全滅 消滅していたとはいえ、ポンペイなどの無名人の壁画断片などが15世紀であっても偶然発掘されて珍重されるということは、あったのではないかと思ってます。

  ボッテチェルリのような絵画様式は、
  スタビア出土のフローラ・春 38×32cm(イメージ)
    https://it.wikipedia.org/wiki/Flora_(affresco)
    のようなものが種本になっていたのかなと思います。
   このフレスコ画自身は18世紀の1759年にドイツ人の Karl Jakob Weberが発見したものですから、ボッテチェルリに影響したはずはないので、他の類似品があったのかなあ、と想像してます。


   また、もうひとつあるのは、絵画の細部を記載した古代の文献記録をもとにして、消滅してしまった巨匠の絵画を復元制作してみようという試みです。こういう文献記録は、一種の文学の形式 カテゴリーであり「エクフラシス」という名前がついてました。
  こういう復元は、ボッテチェルリもやっています。
  アッベレースの絵をサモサタのルキアノス(120年乃至125年頃 - 180年以後)が描写した文章(エクフラシスの形式)が残っています。 ボッテチェルリがそれをもとに描いた作品がウフィッティ美術館にあります。
  誹謗 la calomnie d'apelle
    https://en.wikipedia.org/wiki/Calumny_of_Apelles_(Botticelli)

  また、ティティアーノがやったのは、  
   フィロストラトス Philostratusが書いた 『エイコーネス』というエクフラシスで、「アモル達」という絵を文章で描いているものが、残ってました。それをもとにした

「ヴィーナスの祝祭」というものを制作しています。

 古代ローマの再生というのも、まったくないというわけではないのかな。。


posted by 山科玲児 at 11:07| Comment(0) | 2018年日記

台湾で出版

真実の満州史.jpg


宮脇淳子 氏の


の台湾版が出てるみたいですね。


タイトルが少し違っていて、
這才是がついてます。これは「これこそが」というような意味のようです。そして「の」だけがひらがななのがなんかヘン。。でも台湾なんかで、たまに、ひらがな混じりの看板をみますから、一種のファッション・デザインなのかもしれません。


まあ、商業出版の場合は、本のタイトルは出版社がつけることが多く、それは日本でも同じですから、
いいのかな。

この宮脇さん、満文老トウやモンゴル語 文献などの研究からみているので、独自の視点があると思います。
なんか著者の「真実の中国史」も翻訳出版されているみたいですね

こっちは、中国近代史で、
・アヘン戦争を重要視せず、日清戦争(1984)を転回点にすること、
・孫文の神格化を破壊すること、
が特色のようです。まあ、そうとう美化した「宋家の三姉妹」をみても、孫文はヒモ男にしかみえなかったからな。どこが偉いのかさっぱりわからない。

  中華民国の国父は一応、孫文ですから、台湾で出版できるというのは、台湾の言論の自由を感じるところです。


  あと、「中国」という言葉自体が近代に創作した概念・言葉だということは、
中国とはインドだった? という記事で当方も書いておきました。

   まあ、便利な用語で、習慣になっているから「中国」はしょっちゅう使っているわけで、いまさら震旦にするのも不便だから、注意して使うぐらいしかないなあ。チャイナを多く使うのが吉かもしれません。



posted by 山科玲児 at 08:24| Comment(0) | 2018年日記

2018年01月21日

招福の栗饅頭


田中旭栄堂  招福 (1).JPG  田中旭栄堂  招福 (2).JPG

 長崎の和菓子屋:栗饅頭で有名な田中旭榮堂 (田中旭栄堂)にまた行ってみたら、
  招福パッケージセットがありました。
 あまりかわいかったので、運気がよくなりますようにという願いをこめて買いました。
  このパッケージ、観る人みなが、かわいいといってくれるので、捨てないで飾ろうかな。。
  中身はイメージのようなセットです。
  田中旭榮堂 (食べログ)  今は店舗が同じ場所で立て直し完了しており、とても綺麗な店になってます。
    https://tabelog.com/nagasaki/A4201/A420101/42002053/
posted by 山科玲児 at 10:27| Comment(0) | 2018年日記

フレスコバルディのパッサカリアの演奏   続



昨日、フレスコバルディのパッサカリアの演奏という記事をアップしましたが
オルガンによる演奏の動画をみつけました。

Guy Whatley playing Cento Partite by Girolamo Frescobaldi - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=n7Fzolqv8m8

これは、北東イタリアのヴェネチアからやや東北によったところにある
16世紀の見事な古いオルガン(1532)
:::  http://www.christopherstembridge.org/courses/Valvasone2014.pdf
に写真があります。
を使った演奏のようです。

どうも、オルガンで演奏するのが一番合うようですね。
チェンバロによる演奏にはかなり無理があるようです。
そういう意味では、Yoann Moulinによる演奏は名人芸だと思いました。
   Yoann Moulin - Cento partite sopra Passacagli
     https://www.youtube.com/watch?v=qiDverVuLKk

posted by 山科玲児 at 08:46| Comment(0) | 2018年日記

2018年01月20日

フレスコバルディのパッサカリアの演奏



フレスコバルディのパッサカリアによる100のパルティータの素晴らしい演奏をみつけました。
   Yoann Moulin - Cento partite sopra Passacagli
     https://www.youtube.com/watch?v=qiDverVuLKk
と言う件は、

で紹介しました。

    あの大家  アレッサンドリーニの演奏ですら、この曲の良さを引き出しておりません。速すぎるテンポのせいかメロディが魅力的に響かず、騒がしく、あまり綺麗にきこえません。
    https://www.youtube.com/watch?v=HPtt6Nc8sEw

 そういう点では、Yoann Moulinの演奏は現在ではベストです。

   どうも、この曲の場合、楽器の調律の問題もあるのかもしれません。普通のバロック音楽用の調律などでは、音の混合が汚くなってしまい、上手く響かないのかもしれない。
  意外に平均律に近いほうが良いかも。。調律には他にもピタゴラス音階とかいろいろありますけれど、、
  というのも、ピアノやクラヴィコードで弾いた例があって、それなりにまあまあ綺麗だからです。
   ピアノの演奏(Claudio Colombo) https://www.youtube.com/watch?v=pLnRZ1xTt70
   クラヴィコードの演奏 (不破友芝) https://www.youtube.com/watch?v=vY4obI2unz0


posted by 山科玲児 at 08:14| Comment(0) | 2018年日記

2018年01月19日

消えたカラバッジオ の評価


カラヴァッジョを検索していたら、偶然ひっかかった話題::

ジョナサン・ハー 著  , 田中 靖 訳 、消えたカラヴァッジョ 2007/12/12  岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b264570.html
というノンフィクション本があるそうだ。

1987年にダブリンのイエズス会で発見され、ダブリン国立ギャラリーにある絵画をテーマにしている。
https://www.nationalgallery.ie/taking-christ-michelangelo-merisi-da-caravaggio

これに関連して2011年に日本のTVプロダクションが関係者に取材した番組があり、NHK  BSで報道されたらしい。
その、
TV取材のプロダクションからの証言ですが、
http://www.tvu.co.jp/program/gokujo_caravaggio/

>[消えたカラヴァッジオ」の作者は、一度もアイルランドに来たこともなく、アイルランドにいた関係者にまったく取材をしないでこの本を(ほぼ想像で)書いていたのだ。

作者とTV関係者  どちらの証言が正しいのかはわからないが、なんかどっちも信頼できないかも、、

ただ、ジョナサン・ハーは、ダヴィンチコードの商業的大成功のあとを追いたい人じゃないか?という疑念がでてきた。

カラヴァッジョ  ファンの人たちには、この本は、どういう評価をされているのか知りたいところではある。



posted by 山科玲児 at 10:41| Comment(2) | 2018年日記