2018年01月01日

行基図


日本行基図.jpg


   古事記を読んで、最初にできた「おのころ島」がどこなんだろうと思ったことから、はじまって、
  古代中世の日本人が、日本列島全体のイメージをどういう地図や絵を使ってもっていたのか? という疑問を感じた。
 それの手がかりになるのが「行基図」という古地図のようである。なんとなく中国の魚鱗図冊に似た描き方の地図である。奈良時代の行基菩薩に付会されているのだが、平安京中心の地図だし、どうももっと新しい時代;平安時代以降の成立らしい。   古書で図版があったはずなのだが、どうも探し出せなかったのでネットから拝借した。

伊万里焼の地図皿なんかも、こういう様式である。
勿論、領地ごと、地方ごとでは、所有権や徴税の問題から細かい地図や文書が作られてきたのだろうが、
日本全体の地図という点では、それほど必要を感じなかったのか
江戸時代初め、1645年(正保元年)に幕府は諸大名に対して地図の作成を命じて、そのときの地図がわりと正確である。
それ以前は「行基図」イメージだったのかなあ。
 そして、江戸中期の長久保 赤水(ながくぼ せきすい)(1717年-1801年)は より正確な地図作成を行った。
   まあ、日常生活では、家の周囲、通勤経路、仕事場の周囲、主要な交通機関経路図などがあればよく、山の向こうに何があるかすら無関心でも、生活はできる。
  日本全体の地図がおおざっぱなのは、そういうことなのかな?


posted by 山科玲児 at 10:42| Comment(0) | 2018年日記

謹賀新年



貫之集上 三十六人家集.JPG



新年は、やはり華やかな大和絵をあげたいと思います。
西本願寺三十六人家集  貫之集上  巻頭


posted by 山科玲児 at 06:29| Comment(0) | 2018年日記