2018年01月22日

ルネサンスと古代ローマ

Stabiae Primavera.jpg

    ルネサンスは古代ギリシャ・ローマの文芸美術の再生という意味での言葉であるが、実際にルネサンス時代に制作された美術品は、再生とはいえない、西欧社会 独自の発展というべきものが多かったと、20世紀後半の学者は力説しておりました。なんかこれは、マルクス主義の発展段階説の影響かもしれないなあ。古代⇒中世⇒近代で発展しないといけないのだから、再生とか復古ではこまるんじゃないかな。


  まあ、実際のところ、音楽などは内的発展っぽいように感じます。 古代音楽の再生なんて一番難しいよなあ。。こういうのは、復古という旗印のもとでの革新であって、日本の歴史でも、中国の歴史でも、多く行われてきたことである 特に異常とするに足りません。

   一方、じゃ全く再生はなかったのだろうか という疑問が当然湧きます。

   ラオコーン彫像の発見と公開がミケランジェロなど当時の多くの美術家に大きな影響を与えたり、ラファエロのグロテスク模様による装飾が、当時発見された皇帝ネロの黄金級の装飾とされた壁画かモザイクの模様を模範としたという話などは、有名ですね。

   そういう古代ギリシャ  ローマ尊崇があったとすると、古代ローマ絵画の模倣などが全くなかったのか、ということは、ないのではないか、いくら古代ギリシャ ローマの巨匠たちの絵画が全滅 消滅していたとはいえ、ポンペイなどの無名人の壁画断片などが15世紀であっても偶然発掘されて珍重されるということは、あったのではないかと思ってます。

  ボッテチェルリのような絵画様式は、
  スタビア出土のフローラ・春 38×32cm(イメージ)
    https://it.wikipedia.org/wiki/Flora_(affresco)
    のようなものが種本になっていたのかなと思います。
   このフレスコ画自身は18世紀の1759年にドイツ人の Karl Jakob Weberが発見したものですから、ボッテチェルリに影響したはずはないので、他の類似品があったのかなあ、と想像してます。


   また、もうひとつあるのは、絵画の細部を記載した古代の文献記録をもとにして、消滅してしまった巨匠の絵画を復元制作してみようという試みです。こういう文献記録は、一種の文学の形式 カテゴリーであり「エクフラシス」という名前がついてました。
  こういう復元は、ボッテチェルリもやっています。
  アッベレースの絵をサモサタのルキアノス(120年乃至125年頃 - 180年以後)が描写した文章(エクフラシスの形式)が残っています。 ボッテチェルリがそれをもとに描いた作品がウフィッティ美術館にあります。
  誹謗 la calomnie d'apelle
    https://en.wikipedia.org/wiki/Calumny_of_Apelles_(Botticelli)

  また、ティティアーノがやったのは、  
   フィロストラトス Philostratusが書いた 『エイコーネス』というエクフラシスで、「アモル達」という絵を文章で描いているものが、残ってました。それをもとにした

「ヴィーナスの祝祭」というものを制作しています。

 古代ローマの再生というのも、まったくないというわけではないのかな。。


posted by 山科玲児 at 11:07| Comment(0) | 2018年日記

台湾で出版

真実の満州史.jpg


宮脇淳子 氏の


の台湾版が出てるみたいですね。


タイトルが少し違っていて、
這才是がついてます。これは「これこそが」というような意味のようです。そして「の」だけがひらがななのがなんかヘン。。でも台湾なんかで、たまに、ひらがな混じりの看板をみますから、一種のファッション・デザインなのかもしれません。


まあ、商業出版の場合は、本のタイトルは出版社がつけることが多く、それは日本でも同じですから、
いいのかな。

この宮脇さん、満文老トウやモンゴル語 文献などの研究からみているので、独自の視点があると思います。
なんか著者の「真実の中国史」も翻訳出版されているみたいですね

こっちは、中国近代史で、
・アヘン戦争を重要視せず、日清戦争(1984)を転回点にすること、
・孫文の神格化を破壊すること、
が特色のようです。まあ、そうとう美化した「宋家の三姉妹」をみても、孫文はヒモ男にしかみえなかったからな。どこが偉いのかさっぱりわからない。

  中華民国の国父は一応、孫文ですから、台湾で出版できるというのは、台湾の言論の自由を感じるところです。


  あと、「中国」という言葉自体が近代に創作した概念・言葉だということは、
中国とはインドだった? という記事で当方も書いておきました。

   まあ、便利な用語で、習慣になっているから「中国」はしょっちゅう使っているわけで、いまさら震旦にするのも不便だから、注意して使うぐらいしかないなあ。チャイナを多く使うのが吉かもしれません。



posted by 山科玲児 at 08:24| Comment(0) | 2018年日記