2018年08月15日

敗戦の日に読む昭和天皇独白録

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昭和天皇独白録  文藝春秋社,  1991年3月10日
を読んでます。
現在出版されてるのは、
昭和天皇独白録 (文春文庫) 文庫   1995/7/1
です。

この本で、一番気になり、とても違和感があるのが、
【三国同盟  昭和15年】
  【昭和21年3−4月に聴き取り】
 >同盟論者の趣旨は、ソ連を抱き込んだ、日独伊ソの同盟を以て英米に対抗し以て日本の対米発言権を有力ならしめんとするにあるが、一方独乙(ドイツ) のほうからすれば、以て米国の対独参戦を牽制防止せんとするにあったのである。
  この「ソ連を抱き込んだ、日独伊ソ」ってところですね。そもそも、何年も前に「日独伊」「防共協定」をやっていたはずですからね。共産主義のソ連と同盟するって、、おまけに、そのあと
>1941年6月22日3時15分、ドイツ軍は作戦名「バルバロッサ」の下にソ連を奇襲
でしょ。
   昭和帝の耳に入った「同盟論者の趣旨」が こういうものだったということは、当時の日本の指導層の大きな部分が、全く世界情勢・情報に疎い、めくら同然であったのか、共産主義者が入り込んでいて、日本を敗戦革命しようとしていたかということですかね。北一輝の綱領も天皇をいただいた共産革命であって、まあシアヌーク殿下をいただいたクメール・ルージュ政府のようなものでしたから、軍内部にもそういう勢力はあったんでしょうね。
 そのあと、結局、三国同盟やったわけですから、このような「同盟論者」が主導権をとったということでしょう。

また、

日米戦争は油で始まり油で終わったようなものであるが、

と書いてあるのですが、
  じゃあ、なんで ハワイの真珠湾なのか、当時既に大油田が開発されていたオランダ植民地 スマトラや東カリマンタンを侵略して石油を確保することをやるのが先決でしょう。普通考えて。
 しかも、当時インドネシアを植民地にしていたオランダは、ドイツに本国が占領されていた状態でしたからね。
  ほんとに、どうしてでしょうね。
  参謀本部の作戦は真珠湾ではなく、ミクロネシア・フィリッピンラインでくいとめるというもので、真珠湾攻撃は山本五十六の独断だったそうですが、まったく不可解なことです。 真珠湾攻撃のとき、ハワイの石油燃料備蓄基地は手もつけてない。破壊も接収もしていないというのも、本当におかしなことです。
  真珠湾は、戦術的には勝利だが戦略的には敗北だといわれるのも、もっともなことだと思いました。


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posted by 山科玲児 at 11:52| Comment(0) | 日記

フレマール修道院はなかったのか?

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  初期ネーデルランド絵画の本を覗くと、たまに、
  このフレマールという名前の由来について、、

  フランクフルトの3枚(イメージ)が、リエージュ近郊のフレマールの修道院に由来すると口承されていたことから、フレマールの画家 と仮称されていた (実はそのような修道院は存在していなかった!)
Source: 週刊朝日百科 世界の美術 49,1979年3月4日 

と、得意そうに書いていることがあります。
  これは、どうも、
Martin Davies, Rogier van der Weyden, 1972,London
に書いてあるとこらから出たんじゃないかなあ、、と思っているんですが、
偉い先生の本だからといって軽信して 得意になるのは、考え物かもしれません。

というのも、ベルギーのご当地の人は別の伝承を伝えているからです。Jacques Lassaigne, の記述を紹介してみますね。
>1849年、アーヘンで購入されたこの3枚は、リエージュ近郊のフレマール城(シャトー・フレマール)由来のものという伝承をもっていた。その後、誤解の結果「フレマール修道院」由来ということになってしまった。ところがそういう修道院は存在していなかった。一方、フレマールには「エルサレムの聖ヨハネ騎士団(いわゆるマルタ騎士団)」の病院兼教会施設があったのは事実である。
Source: LASSAIGNE, Jacques.  Flemish Painting: The Century of Van Eyck.
               Published by Skira, Geneva, 1957

   つまり勝手に誤解して修道院といい、誤解から出た架空の「フレマール修道院 Abbey Flemalle」が存在しなかったことがわかると、根も葉もない伝承だと非難したわけです。

  研究史というのは、いろんな誤りはあるのだから、慎重にとりあつかいたいものです。
  ちなみに聖ヨハネ騎士団の施設というのは、修道騎士だから修道院といえないわけでもないし、病院でもあり、また軍事施設でもあるから城でもある。ちょっと分類しにくいものですから、誤解が生じやすかったのかもしれません。
フランクフルト  市立 美術館のサイト
posted by 山科玲児 at 06:57| Comment(0) | 日記