2018年09月30日

愛書家

The Library Lang Crain Walter Swain.JPG

  ブログ イタリアの泉 でヴェネチアのアルド(アルドス)版の話を読んだので、西洋の愛書家のことを思い出した。ただ、愛書家は、貴重な本そのものを尊重するあまりに、無内容の本や読まない本や読めない外国語の本を豪華な装幀でまつりあげるのに熱心で、肝心の、快適な深い読書をおろそかにするという本末転倒に陥る場合がある。私もその傾向がないではないので、常々自戒するところである。

 例えば、ある豪華な古書展で、アテナイオス「食卓の賢人たち」のラテン語訳(原本はギリシャ語)の17世紀ぐらいの豪華な装幀の古書があった。当時はアテナイオスの日本語訳は抄訳すらなく、虚栄心と収集欲から思わず手をのばしそうになったが、ラテン語では満足に読めないから、自制心をとりもどして、手をひいたものだ。17世紀始めのヴァランチン・アンドレーエがドイツ語で書いたオカルト小説「化学の結婚 Chymische Hochzeit」も,薄いペーパーブックを入手したがドイツ語を半年で諦めた当方には読めず放棄してしまった苦い例があるしね。

 イメージは、英国の愛書家・作家(特に童話)・編集者であったアンドリュー・ラングが書いたThe Library の扉絵版画(Source Ref)

  この本にもアルド(アルドス)版やエルゼビル版への愛好が語られているが、そりゃ読みたい本が良版であれば、そういうのも良いだろうが、読みたくもない本が珍本だからといって収集する気にはなれない。ルイ・ベルトランの散文詩集 夜のガスパール(1842)にも「愛書家」という詩があって、詩の前の引用句に「エルゼビル本に心がときめくが、やはり欲しいのはアンリ・エチエンヌ本」(意訳 Ref2)というのがある。なんか、有名な版元を珍重することが優先されて、肝心の「何が読みたいのか」が蒸発してしまっているのではないか?と思わせるところがある。

アンドリュー・ラングが書いた書斎(The Library)には、生田耕作氏の優れた翻訳があるようだ。この本、実は前もっていたのだがなにかのおりになくしてしまった。ただ、英語の原本をもっていたのであえて買うこともないともってはいない。

この翻訳本をもとにした書評だろうが、松岡正剛の千夜千冊というサイトがある。

第347夜アンドルー・ラング「書斎」 白水社 1982 [訳]生田耕作 2001年8月1日

これを読むと間違いがあまりに多い。生田氏の翻訳がひどいとはおもいたくないので、松岡氏の早とちりであろう。
例えば、
✕>椅子は、なんといってもトリュブナー商会のものがよく、
〇>最近 愛書家のSir William Stirling Maxwellは素敵な椅子を開発した。

✕>モリエールやコルネイユは手編みヴェネチア・レース装なのだ
〇>モリエールやコルネイユは手編みヴェネチア・レース模様の金箔押し皮装

実は、なんでこんな詮索をしたかというと
リチャード・ド・ベリーの「フィロビブロン」(「愛書」)に対して、

>、当時の書籍宇宙がフランスにこそ開花していることをつぶさに報告して、自分で涎をたらしたものだった。
  
という見当違いなことを言っていたから、他もおかしいかもしれないと、The Libraryを取り出してみたのである。松岡氏が「フィロビブロン」を読んでいないのは明らかであろう。「フィロビブロン」の邦訳は1973年に出ていて、1989年には講談社学術文庫で再刊しているので(教会)ラテン語だから読めないという言い訳はできないはずである。あまりいいかげんな書評はしないで欲しいものだ。

Source Ref:   Andrew Lang, The Library, Macmillan, London, 1881

Ref2    Gaspard de la Nuit, CH. BOSSE Libraire, Paris 1920
posted by 山科玲児 at 08:20| Comment(0) | 日記

2018年09月29日

1セステルティウス


イタリアの科学ジャーナリストの筆になる
古代ローマ人の24時間
よみがえる帝都ローマの民衆生活
アルベルト・アンジェラ 著
関口 英子 訳
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309225319/
という本がある。テルマエ ロマネ便乗出版っぽいものだが、とても面白い。

  とくに、高層アパート:インスラの中にはいっていくところなどは、かってなかった記述じゃなかろうか、、

  ただ、前にも書いた貨幣の問題、セステルティウスの価値の問題については、著者は1セステルティウス=2ユーロとみているが、ちょっと安すぎるのではないかと思う。パン1KGが120円というのはただ同然だ。イタリアのパンは安めだといってもこういう値段はありなんだろうか。高級ワイン1Lが480円というのはどうなんですかねえ。オリーブ油1Lが720円というのは、まあローマならそんなものか、とおもうが、、
  大都市ローマの庶民の3人家族の1日の食費が6セステルティというのからしても、最低4ユーロぐらいじゃなかろうか
 もちろん、地方都市や田舎では、塩や衣料、医療をのぞけばほとんど貨幣を使わないで生活している人々も多かったとは思うが、首都ローマではそうもいかないだろう。
  また、金持ちがとりまき/庇護民クリエンテースに配る1日のお手当が、ネロ帝のころ、6.25〜10セステルティだったとしたら、1500円〜2400円ぐらい、これはちょっと少ないのではないか。

 ホームレスを日当で雇って動員する現代日本のデモでも、日当5000円、逮捕される危険があるところに配置されれば、もっと高いという伝聞がある。

  やはり1セステルティス=5ユーロぐらいが妥当では。

  この本には、古代ローマの記録 碑文やパピルス?では、セステルティではなく  貨幣単位ではアスが多いと書いてある。歴史書では、大抵セステルティ なので、  どちらの貨幣単位がより一般的だったのか?  ちょっと再考慮の必要がありそうだ。

  それにしても 高層アパート  インスラの高さと不潔さには驚いた。フェリーニのサティリコンに出た建物も、インスラみたいだったね。


posted by 山科玲児 at 07:33| Comment(2) | 日記

2018年09月28日

現代イタリアと古代ローマのスープ

アピーキウス  古代ローマの料理書 ss.jpg


カエサルの食卓――古代ローマ料理再現

という、古代ローマ料理を再現してつくってみるというネット記事がありました。
黒沢ゆうり という方のウェブマガジンへの寄稿です。

その第2回 時を超えるスープの味は
で、現代イタリアで、体調を崩したとき、イタリア人がつくってくれた濃いスープが、古
アピーキウス  古代ローマの料理書(イメージ) にでてくるものと、そっくりというお話
で、非常に興味深いと思いました。

posted by 山科玲児 at 07:54| Comment(4) | 日記

2018年09月27日

日本製フライパン

フライパン.JPG

藤田金属がやってる
フライパン物語
というサイトで国産フライパンがリーズナブルな価格でオーダーメイドできるようです。

イメージの当方が使っているフライパンなんか、何十年も使ってますから、良いフライパンなら、価格は大して関係ないですね。

博多のロフトなんかでも、中国製フライパンがはばきかせてましたから、こういうのがいいんじゃないかなあ、と思ってます。

posted by 山科玲児 at 10:21| Comment(0) | 日記

【訂正】古代ローマの通貨と物価




昨日、
2018年09月26日
古代ローマの通貨と物価
>同じような指標として、古代ローマで、パトローネスがクリエンテス(保護者)に食事に招待する替わりに与えるお手当が、ネロ帝の勅令または布告または法律として、一日10セステルティだった、という話が、『古代ローマの饗宴』(ref)にのっていた。これは、なかなか面白い。かなり良い基準になりそうだ。そうすると10セステルティというのは5000円〜1万円ぐらいと解釈して、そうはずれはないのではないと思う、

と書いたが、もとの『古代ローマの饗宴』(ref)の文章 に問題があるようだ。

>セスティルス銅貨10枚分に相当する100グアドランティの金を渡せばよいという決定がなされた。
これは単行本版の287P  「饗宴詩人マルティアリス」の章にある。圧縮した文庫版も同じ文章なので、翻訳のミスではないだろう。

ウイキペディアの記述が信頼がおけるかどうかの検証はしていないが、一応、英語版フランス語板も参照比較した結果、ネロ帝の当時は1セスティルス=16クァドランティだったらしいのだ(Ref2 も参照したら同じだったので、確実性がより上がった)。そうすると100グアドランティは6.25セスティルスになる。実は共和制時代は1セスティルス=10クァドランティで、紀元前23年にオクタビアヌス(アウグスツス)が皇帝として通貨制度の改革を行って1セスティルス=16クァドランティにしたらしい。ネロ帝の法令の原文自体参照してないので、10セステルティと6.25セステルティのどちらが正しいのかはわからない。

>10セステルティというのは5000円〜1万円ぐらいと解釈して、そうはずれはないのではないと思う、
というのはおおまかな見積もりなので、そうはずれてはいないと思うが、40%ぐらいの誤差があるかもしれない。

REF エウジェニア・サルツァ・プリーナ・リコッティ 『古代ローマの饗宴』 武谷なおみ訳、単行本版、平凡社、1991年

Ref2 長谷川 岳男と樋脇 博敏, 古代ローマを知る事典, 東京堂出版 2004/9/1
posted by 山科玲児 at 07:02| Comment(0) | 日記

2018年09月26日

韓国は「一時差し押さえ免除」法を制定せよ

韓国の読売新聞社のようなスタンスの、朝鮮日報のコラムに、
【コラム】器が小さい日本の文化庁-Chosun online 朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/09/21/2018092101779.html
があった。

 これに対しては、韓国が「一時差し押さえ免除」法を制定すれことが最低限の条件でしょう。さっさと制定すればいいじゃないですか。韓国国会は一院制だから、時間もかからないでしょ。
 コラムニストは、日本や他国に文句いうひまがあったら、まず韓国国会議員に呼びかけるべきです。

これについては、
2018年06月22日
大高麗展と「一時差し押さえ免除」法
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/183606406.html
に書きました。
posted by 山科玲児 at 12:41| Comment(0) | 日記

古代ローマの通貨と物価

イタリア リラ.JPG


リコッティ 『古代ローマの饗宴』(ref)を読んでいて、ちょっと計算したくなったのは、当時の10セステルティは、2018年の現代日本では、いくら、何円にあたるのだろう??という問題である。
何億セステルティといたって、ハイパーインフレなら、紙切れで、ラーメンも食えないということになるしね。
まあ、紙幣じゃなく、黄銅貨なら地金価値があるから、そういうことにはならないだろうが。 20世紀のイタリアの500リラや1000リラ(イメージ)は、ホントに使いでがなかったのを憶えている。

昭和前期の1円(銀貨 または紙幣)がどれくらいの価値があったのか?当時の古美術品の落札価格を評価するために必要なので計算してみたことがある。巡査や小学校教員の初任給(月40−50円)などを基準にして、だいたい4000円〜5000円ぐらいと考えるとそうおかしくない。しかも、昭和初期の金融恐慌から日米戦争勃発直前(馬場 インフレ)までは、デフレ状態で、物価がむしろ下がり気味で、ある意味安定していたので、計算には便利だった。

同じような指標として、古代ローマで、パトローネスがクリエンテス(保護者)に食事に招待する替わりに与えるお手当が、ネロ帝の勅令または布告または法律として、一日10セステルティだった、という話が、『古代ローマの饗宴』(ref)にのっていた。これは、なかなか面白い。かなり良い基準になりそうだ。そうすると10セステルティというのは5000円〜1万円ぐらいと解釈して、そうはずれはないのではないと思う、まあ、現代日本の特権階級である朝日新聞社の幹部やNHK幹部、テレビ局の方々は5000円以上のカツカレーライスがあたりまえで、「みのもんた」の特注カレーにいたっては「3万円」を誇っていたんだから、それじゃ、とても生活できないよ、というかもしれない。 しかし、それ以外の日本国民の物価感では、まあ妥当なのではないか。

アウレウス(金貨)=デナリウス(銀貨)25枚=セステルティウス(黄銅貨) 100枚
だから、
ヨハネ黙示録にでてくるデナリ銀貨の価値は2-3万円ぐらい、


で紹介された、金貨は、4世紀じゃインフレすすんでいるだろうから、20〜30万円ぐらいかな。
この価値は江戸時代の小判の価値とほぼ同じなのが興味深いですね。

上質のガルム(魚醤)が6リットルで1000セステルティだというと、100mlの小瓶に分けると約17セステルティ 1万円前後、、ううむこれは高いね、現在の最高級のトリュフ  オイルの値段とあまり変わらない。

REF エウジェニア・サルツァ・プリーナ・リコッティ 『古代ローマの饗宴』 武谷なおみ訳、単行本版、平凡社、1991年


posted by 山科玲児 at 08:58| Comment(0) | 日記

2018年09月25日

出島ワーフのエスプレッソ

サルターレ ESPRESSO.JPG



 出島ワーフのサルターレでまたエスプレッソ飲みました。

>「WBC認定、シモネリ・アウレリア2T3」というイタリア製の200万円ぐらいする機械
> http://www.daiichifl.com/products/list.php?category_id=610
と前書きましたが、
値段は同じくらいなんですが、 LA CIMBALIという別のメーカーのマシンだったようです()
サルターレ
ほぼ無休 11:00〜23:00
ランチメニュー 11:00〜17:00
http://attic-coffee.com/saltare
https://tabelog.com/nagasaki/A4201/A420101/42007390/

posted by 山科玲児 at 10:02| Comment(0) | 日記

仏頭観賞は日本的ではない

Chinese Scuptures CTLoo sss.jpg


最近のサザビーズのオークションで
龍門石窟から盗難の疑いある仏頭彫刻が米国でオークション出品、競売前に取り消し―中国メディア
レコードチャイナ
https://www.recordchina.co.jp/b645111-s10-c30-d0046.html
というニュースがありました。
これは、ニューヨークでの、
Junkunc: Chinese Buddhist Sculpture
 12 September 2018 | 10:00 AM EDT | New York
であろうと思います。
参考資料
The Untold Story of Stephen Junkunc III, One of the Great Chinese Art Collectors
https://www.sothebys.com/en/articles/the-untold-story-of-stephen-junkunc-iii-one-of-the-great-chinese-art-collectors

イメージは、1940年、C.T.Looのニューヨークでの展示販売目録写真で、この石仏とは直接関係ありませんが、石仏仏頭の例としてあげました。

サザビーズのオークションにでる予定だったものは、もともと1955年にパリの通運公司のオークションに出たもので、シカゴの Junkunc氏が購入したものだそうです。この、通運公司は国民党の幹部・パトロンだった張静江が設立したものです。なんかなあ、中国人しか関係してないですねえ。

  こういう石仏の首を観るたびに思うのは、日本的鑑賞対象ではない、ということです。奈良の仏像で破壊などで首だけになったものは、興福寺の仏頭のように堂の下に埋蔵され隠されたり、秋篠寺の伎芸天のように丁寧に胴・四肢が補作されたりしています。首だけで展示するというのは日本人のセンス・伝統ではない。

私が2000年3月に書いた短文を補筆して、下に書くことにします。

石仏の首を鑑賞するのは、東洋の趣味ではなく西洋のギリシャローマ彫刻愛好の模倣ではないでしょうか?
中国の古美術として、図版のような石仏の頭がしばしば美術館に展示されています。石窟寺院の高浮き彫りや丸彫仏像から、無理に切りとってきたものが多いので、素直に鑑賞できかねます。自然崩壊でできた断片もあるでしょうが少数でしょう。天龍山、龍門などの写真に首なしの仏像の列、えぐりとられた痕跡をみると、どうせ盗むなら全部盗めといいたくなります。
これらを商人として売買して、破壊に荷担したC.T.Looでさえ、思うところがあったらしく、ref.の序文に書いてます。「このカタログを造るにあたり、中国彫刻の収集はもう終わりであり、最後のカタログだと感じている。不幸にして、中国の都市に近い仏教遺跡は破壊され断片は盗られてしまったことを記さねばならない。偶然にこの商売に入った私もたぶん荷担していた。.....400年間にわたる美術が、わずか40年間の不幸な状況のために、有名な仏教聖地が破壊され尽くしたのである。私はこのような国の宝物が破壊される原因をつくった一人であることを恥じる。言い訳できることは、公開の市場で他の商人から買ったということだけだ。」(抄出・拙訳)

 私が不思議に思うのは、石の仏像の頭部だけを鑑賞するような習慣が日本や中国にあったのだろうか?ということです。長物志・骨董些記などの伝統的な鑑賞書にはでてきません。玩古図などの伝統的な骨董鑑賞風景にもでてきません。なかったのではないでしょうか?一方、西洋にはありました。ギリシャ・ローマ彫刻の断片を居間や庭園に飾る鑑賞方法です。また、胸像という形式もありました。狩猟の獲物の首の剥製をトロフィーといって居間に飾るという習慣もあります。
 この習慣・鑑賞法を中国古美術観賞に、持ち込んだのではないか?と推測しています。つまり大正昭和時代の財閥の人々や学者たちが、西洋かぶれ、鹿鳴館趣味を発揮したのが、この仏頭収集ではなかったか、と考えております。

ref. C.T.Loo, An Exhibition of Chinese Stone Sculptures, 1940, New York

posted by 山科玲児 at 08:08| Comment(0) | 日記

2018年09月24日

夢二と中国近代絵画


 2000年ごろだったか、ある長年中国通いやって商売していた方に、
「豊 子ト(ほう しがい、1898-1975)が、竹久夢二(1884-1934)の影響を強く受けた」という話をしたら、
「へえ、竹久夢二が影響を受けたなんて素晴らしい画家だったんだな。
と言ったので、
「違いますよ、逆です。豊 子トがマネしたんです。」
と言ったら、黙ってしまった。

どうもね、中国−>日本 という影響の流れしか頭になくて、その逆が考えられなくなっている。
この種の固定観念・先入観がある人って、意外に多いのかな、と思ったものである。

上のイメージをみるように、左は豊氏が上海の雑誌「宇宙風 1936/6/16 」に出したマンガ(ref1)、右が夢二が出版したマンガ イラスト集 春夏秋冬(1910) 都会の巻(1911)からの抜粋(Ref2)である。豊氏は日本留学したとき愛好したらしく、自分でも夢二の作品に学んだと書き残しているので、確かなことだろう。

 このような日本の近代絵画(菱田春草とか横山大観とか)ーー>中国の画家による模倣・パクリというのは、意外に多いものらしい。

 これについては
  古原宏伸  盗作の論理  国画改良運動始末、1989
 が多数の例をあげて論じていた。

Ref1 宇宙風 1936/6/16  原刊本  もうかなり酸化して脆くなっている
Ref2 三彩、増刊「竹久夢二」、242号、昭和44年3月、三彩社


posted by 山科玲児 at 10:33| Comment(0) | 日記