2018年11月30日

群碧楼蔵書 展



  台北  中央研究院歴史言語研究所展示館では、
  群碧楼蔵書 展 が開催されております(2018/10/03 - 2018/12/30)。

  年末までです。
  まあ、このサイトみれば、宋元版などの書影を観ることができます。
  このなかでの 李群玉 集なんかは、古くから影印がでてましたねえ。珍しいものですが、読んでも面白くないものでした。

  この、群碧楼蔵書ってのはケ邦述 という蔵書家の本なんですが、別にこの人やその遺族から直接買ったりしたわけではないようですね。本(ref)によると、1930年ごろに逝去したあと、遺族が3万2千元で蔵書を売ったそうです。蘇州集宝斎、北京の景文閣、東来閣、文殿閣に売ったそうです。  売った先の商人などから買ったのではないかと思います。
  この蔵書家は南京で生まれた人で、借金した本買うので有名で、借金王だったみたいですね。

Ref. 鄭偉章・李万健、中国著名蔵書家伝略、書目文献出版社、北京、1986
posted by 山科玲児 at 11:41| Comment(0) | 日記

ドゴールと植民地



インドシナフランス植民地の話を調べたくて
フランス植民地主義の歴史
を、少し読んだんですが、
  驚いたのが、シャルル・ドゴールが、本当に「自由フランス」を旗揚げしたのは、コンゴのブラザヴィルだったんですね。
  アフリカ植民地の総督の中で、ヴィシー政府ではなく、ドゴールを支持した人がいて、それをあしがかりにしたということです。
  なんか、ロンドンで英国政府のもとで亡命政府をつくって、フランス国内のレジスタンスを煽っていた人で、米英の傀儡として李承晩みたいにパリに凱旋した人なんかなあ。。と思ってたら、
どうも、少なくともこの時点では、アフリカ植民地のフランス人たちを支持基盤にしていたようです。
posted by 山科玲児 at 10:19| Comment(0) | 日記

インドシナのフランス人

Khmer 東博.JPG

 ゴーンやルノーのせいで日本でのフランスの印象が悪くなってますし、 日本がフランスと戦ってフランス植民地だったヴェトナムやカンボジアを占領独立させたので、フランス人が恨んでいるようなことを言う人がいます、しかし日本正規軍とフランスは数日しか戦っていないようですね。それが、

20181118日 日本はフランスと戦争したのか?

 で、とりあげた、ヤルタ会談の後、ドイツが敗北寸前になったころの、昭和20194539日−12日の

明号作戦

です。
  ハノイを中心とした駐在フランス軍は、ヴィシー政権に忠実だったので、実は枢軸側だったんですね。それで日本軍とも協調していたし、ヴェトナム駐留のフランス軍やフランス人は友軍あつかいで、従来どおりのフランス人統治を許していた。間接占領だったようです。
  だからこそ、ハノイのフランス極東学院との文物交換事業などもやってました(イメージのクメールの彫像はそのときの交換品  東京国立博物館)。藤田嗣治も文化交流事業でヴェトナムへ行ったりしていました。
 軋轢・干渉は当然あったでしょうが、インドネシアみたいに負けたオランダ人を収容所にいれて、刑務所の政治犯だる独立運動家たちを解放して独立運動させるということはやっていないようです。1943年の大東亜会議にもヴェトナム代表はいません。 フランス ヴィシー政府は枢軸国だからヴェトナム人民には我慢しろということになったのかな。

 まあ、対独協力者フランス人が第二次大戦後、いろいろ酷い目にあったりしたので、当時のハノイのフランス人たちもできるだけかくすようにしたんだろうね。あるいは日本と戦ったということにしたのかもしれません。 シャネルみたいに、うまく立ち回った人もいましたが、殺されたり、さらし者にされたり、裁判にかけられたりしましたからね。

   ノルマンディー作戦成功以後、ヴェトナム駐在フランス軍がドゴール側、連合国側につきましたので、駐在日本軍と戦争になってしまったのでしょうね。まあ、駐在日本軍としては「裏切られた」というおもいになったのは無理もない。
  ヴェトナム駐在日本軍のなかで、ヴェトナム独立支援をやった人は、いたようですが、表だってはやれなかったでしょう。敗戦間際以降、ヴェトナムに残ってヴェトミンの支援をした日本軍兵士は700人以上いたようです。


posted by 山科玲児 at 09:33| Comment(0) | 日記

2018年11月29日

馬車を嫌った日本文明

重慶 四川  画像專 (1).JPG重慶 四川  画像專 (2).JPG





に、書いてあったので、再度認識したんですが、、


日本では平安時代から江戸末期まで
「馬車がなかった」
日本で馬車が初めて走ったのは、幕末に西洋人が使ったか、明治初期の鹿鳴館時代なんですね。


馬には乗ったし、荷物を運ばせたんだが、馬車はない。一方、牛車(ギッシャ)はあったので、技術的にできないわけじゃない。また、遣唐使以来ずっと文明を学んだ中国では、紀元前から馬車を使ってました。上のイメージは1.2世紀の四川の画像レンガです。1956年刊行ですから、写真著作権は消滅してます。だいたい馬車なんか、古代メソポタミアからあった「チャリオット」がもとですから、ユーラシアでは、文明の始めから広く使われていたものなのにね。つまり、タブーみたいな生理的嫌悪感のようなものがあったのかな。馬車を嫌ったというのが正しいのかな。

馬車がなかった理由については、理由がよくわかりません。想像しかできないんですが、ひょっとしたら馬の去勢をやらなかったことと関係があるかもしれませんね。これは宦官・纏足などを日本で採用しなかったこととも関係しているんじゃないかなあ?と思ってます。

Source REF. 重慶市博物館編、重慶市博物館蔵  四川漢画像專選集 文物出版社, 1956, 北京
posted by 山科玲児 at 08:49| Comment(0) | 日記

2018年11月28日

フランスの銀行

ゴーン逮捕のあと、パリ  シャンゼリゼで暴動が起きるなど、
フランス国内の企業や社会インフラの問題について、警鐘が鳴らされているようだ。

ゴーンの先妻の記事を出した 文春の記事だが、、

「あなたの口座を閉鎖します」40年パリに暮らす私が遭遇した“落とし穴”

これは、外国人への差別とかそういうことではなさそうだ。
どうも、これは昔の社会主義国であったような事件にみえる。硬直した官僚制が銀行や民間企業にまでしみ通っている。もっともフランスもアレヴァ、ルノー、エアーフランスなど実質国営企業が多いためかししれないが、、

ヨーロッパが日本と同じだと思わない方がいい、ということを思い知らされる。



posted by 山科玲児 at 09:38| Comment(0) | 日記

金沢文庫 印

金沢文庫_Kanezawa_bunko.jpg

東方書店の宣伝紙:東方の最新号454号 2018DECに
優れた書誌学者:高橋智 氏の 文化財としての漢籍 という記事があった。
  神田神保町  山本書店を経て出た、 宋刊唐柳先生文集  零冊2冊 は文化庁へ入った
らしい。 購入価格  約2億円

 この記事のなかで、「金沢文庫」の印記(イメージは静嘉堂文庫所蔵の荘子)に「日本の典籍文化を学ぶ者にとっては、宋時代のものというよりも、むしろこの印記があることのほうにインパクトを覚えるといっても過言でない。」と書かれている。

  この「金沢文庫」は 「カネサワブンコ」と読むようだ。昔は、加賀の金沢にあるものとばかり思っていたことがある。駅の名前にもなってる「金沢文庫」は、湘南 鎌倉近郊にある。

  高橋氏は、この本も 鎌倉時代:北条実時のころの収集品だろうと書いているが、そもそもこの「金沢文庫」印 何時 押されたものなんだろうか??  北条実時が本を収集し、その本が金沢文庫に残っていることが事実だったとしても、北条実時が「金沢文庫印」を押したとは限らないだろう。また、応永年間に上杉氏が復興したときに収集した本という可能性もある。

  実は、昭和5年に、金沢文庫所蔵本を保存していた称名寺塔頭の光明院で 関靖氏が調査したとき、何千巻もある本の中で、、「金沢文庫」の墨印がある本は,たった9部だけだったという。

その一方、文庫外に流出し、海外にさえある本には、、「金沢文庫」の印が多い。それも、鎌倉時代どころか南北朝以後室町時代に開版された「大般若波羅密多経」に朱印で、「金沢文庫」印が押したものが多いそうである。
一体、これはどういうことだろうか?

  確実なところでは、明治18年に岡谷繁治氏が称名寺に寄進した印があって、これは称名寺から経巻を持ち出すときに記念スタンプ代わりに使用したものだという。これは朱印だったそうだ。

  古い時代、家康が持ち出したときなどにも、同様のことがあったのではないか?そうなると、もともとそういう用途、寺から持ち出すときに押印されるものだったとしたら、鎌倉時代よりずっと後の印章だということになるのかもしれない。

REF 、関靖、金沢文庫印の話、書エン、1巻8号、三省堂、東京、1937




  
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2018年11月27日

米友仁


書きました
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アテネの学堂

Rafaello_SanzioEuclid.jpg


 ラファエロの本、読んでいたとき、アテネの学堂 で、「誰を」描いているのかということについて、現在でも、結構  異論があるということに気がついた。上のイメージの、コンパスもってる男は、私はアルキメデスだとばかり思っていたんだが、今はユークリッド(エウクレイデス)が有力らしい。
 ラファエロのほんの少し後の世代のヴァザーリも、版画で見ていたらしく、「福音記者 マタイ」がいるとか、妙なことを書いてたみたいだから、現在わからなくてもしょうがないのかもしれない。

 ただ、この絵には、同時代の有名人の肖像がかなり入っているという説がむかしからあり、有名人捜しをする愉しみもある。パルナッソスとかの他の絵と比べて、著しく個性的な顔が多いからでもある。
 このユークリッド?もブラマンテの肖像とされていて、これはかなり根拠があるという。このアテネの学堂の中心にいるプラトンはレオナルドの肖像だそうだが、アリストテレスは誰がモデルなのかわからないのが、残念だ。このレオナルド肖像説は下イメージの有名な自画像との類似によるところが大きいのだろうが、なんとこの「自画像」にも疑義があるらしい。他人の肖像である可能性が議論されているそうだ。これが「自画像」とされたのは19世紀からということである。そうなると、アテネの学堂のプラトンもレオナルドがモデルなのかどうか疑わしくなる。
 いずれにせよ、こういう風に、自分で疑い考えることが大事なんだが、すべてを疑えば生活できなくなるので、まあ思い切りで放任依頼委任することも、また大事だと思う。。


Leonardo_da_Vinci_presumed autoportrait

posted by 山科玲児 at 09:08| Comment(0) | 日記

2018年11月26日

ブルームバーグのミスリード


ウクライナ艦船にロシアが砲撃、クリミア半島近くの黒海−緊張高まる
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181126-81878750-bloom_st-bus_all

ケルチ海峡は、狭いとこで幅3kmだ、てことを言わないのがミスリードですね。

領海は20kmです。幅3kmの海峡にウクライナ海軍が船団!を入れるって、無理がありすぎませんか?
関門海峡より広いんですが、津軽海峡の1/3もない幅です。

posted by 山科玲児 at 11:19| Comment(0) | 日記

モネの庭 CM

モネの睡蓮で有名なジヴェルニーの家を観光する人もいるようですが、フランス観光局・エアーフランスなどの協賛による 観光CM動画
があるようです。なんか行った気になれるCM動画ですね。

【恋するフランス】ジヴェルニー モネの家
https://youtu.be/rRSRl2cl-Js
posted by 山科玲児 at 09:25| Comment(0) | 日記