2019年02月14日

顔真卿展のそれ以外


  今回は、天気に恵まれて、雪での飛行機の欠航・遅延がなかったので、とてもありがたかった。

【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925
の 他の話題を断片的に列挙しますね。
事前に以下のようにコメントしたことについて事後にコメントしておきます
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185282404.html
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185291103.html

 朝にさらっと観た黄絹蘭亭ですが、

黄絹蘭亭  台北故宮
https://theme.npm.edu.tw/exh102/calligraphy10210/ja/photo02.html

台北で観たときよりずっと字が大きいように感じました。なんで台北で小さいと思ったのかなあ。 まあ、古さはありますねえ。これについてこの後についてる長大な跋尾が全部この際公開されています。こんなに長く台北で公開されたことはないかもしれません。末尾にはなんと内藤湖南の跋があります。そういやもとは大阪の斉藤氏にあったものです。でもね、王世貞以降はなんか古くないような真新しいような感じがします。まあ、保存がいいだけでしょう。きのせいきのせい。。

  書道博物館の顔真卿の建中告身ですが、蔡襄の跋は、紙質が全然違うんですねえ。。。この建中告身の箱は乾驫のもので、ものすごく凝ってるんですが、右に箱が展示されてました。しかし、考えてみると、台北故宮なんかの名画名跡のすごい箱ってあまりみたことがないなあ、、全部あるはずなんですけどねえ。重慶にいくとき捨てたのかなあ。。

  懐素の草書千字文  これも前後の部分を鑑賞できたのは初めてだったかもしれません。瞠目するのは、徽宗皇帝の「内府図書之印」を押してる紙が怖ろしく上質な輝く白の紙であることです。これ澄心堂紙じゃないかな。

顔真卿の争座位帖の拓本は、書道博物館がもってる数本のもののうち一番古いものを借りてきてます。これを大きく開いたのはなかなか珍しい機会かもしれません。書道博物館では1開だけだからなあ。東京国立博物館にも高島コレクションの古拓もあるし三井にもあるんですが、古さでは、やはりこれかなあ。。董其昌という変な隷書の題がありますが、これはどこまで信頼できるかはぎもん。まあ、東博のもこちらもかなり補墨がありますがそれはどれもそうです。

顔真卿の少し先輩の李北海の李思訓碑の拓本が香港の中文大学から来てます。呉榮光の旧蔵本で、とても豪華絢爛な装幀が施されています。でも、中身の質は、三井から借りた 項墨林本のほうが生彩があると思いました。

臨川の四寶って、実は「孟法師碑」以外は、たいしたものじゃないんじゃないか?と前々から感じてましたが、やはりね。善才寺碑【ぜんさいじひ】(宋拓孤本)なんか珍しいだけで書法として面白いとこないもんな。啓法寺碑も、みて面白いのかなあ?と疑問でした。なかなか観ることできないものだから有り難かったんですけどね。

京都の藤井有リン館からの黄山谷の「李白憶旧遊詩巻」は黄山谷の草書としてはやはり世界一だと思います。
大阪市立の安倍コレクション::李白仙詩巻 は紙がみごとなどで、斜めからみたら多少模様がみえました。


posted by 山科玲児 at 08:34| Comment(0) | 日記

九成宮醴泉銘の画像

東博9九成宮犬養本P1000309.JPG

九成宮醴泉銘のことをいろいろ書いたが画像がないのにきがついた。
上のイメージは当方が14年ほど前に撮影した犬養本のイメージ
下記で、リンクを貼ったのは東博自身のサイト内と 海内第一本は大阪市立のサイトなので安全である。まあ、リンクが切れてしまうかもしれないが、それはしょうがない。

28           九成宮醴泉銘 ―海内第一本―  [端方旧蔵本] 三井記念美術館      
29           九成宮醴泉銘 ―天下第一本― [顧文彬本]    三井記念美術館      
30           九成宮醴泉銘 ―官拓本― [李鴻裔本]  三井記念美術館      
31           九成宮醴泉銘 中村不折本 台東区立書道博物館      
32           九成宮醴泉銘 ―犬養本―          個人蔵か?     
33           九成宮醴泉銘 ―汪氏孝経堂本―        香港中文大学文物館(北山堂寄贈)

天下第一本は、なぜか写真がほとんどない。官拓本― [李鴻裔本]は原色複製されているし、最近は大陸でもパクリ?出版されているようである。この官拓本― [李鴻裔本]は、二玄社からカラー影印されているが、有名な海内第一本より古いという議論もあるようで、当方としては喜んでいる。

  台北國立故宮博物院は、拓本は北京に残してきたのだろうか? 拓本部門は、かなり弱体で、九成宮醴泉銘はこの程度のものしか所蔵していない。
これは、ちょっとひどいと思う。

  北京故宮には例の有名な李キ旧蔵本を初め、朱氏寄贈の宋拓をはじめ、けっこうあるようである。昭和15年(1940)春に北京故宮博物院を訪ねた池田醇一氏も拓本は結構観賞していた。重慶のほうへ疎開したときは、拓本は皆おきざりにしていて、日本軍と日本軍の傀儡政権がちゃんと管理保存していたからだろう。この日本軍管理のものが現在の北京にそのまま移っているようだ。
2016年03月03日に書いた第3の故宮博物院 
にも記録しておいた。

そういう事情だから、三井の九成宮醴泉銘コレクションは、まず世界一、二を争うものだといっていいだろう。

posted by 山科玲児 at 06:17| Comment(2) | 日記

2019年02月13日

九成宮醴泉銘を比較する【訂正あり】

【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925

 は、五馬図巻の出現、黄絹蘭亭・懐素草書千字文・懐素自叙帖などの台北からの借りだしなど、顔真卿以外のもののほうが、意外にも面白かった展覧であるが、地味ながら、よかったのは九成宮醴泉銘の古拓本が六点も並んでいたことだ。さすがに配慮があって全く同じ頁が並んでいた。これは一見馬鹿馬鹿しくみえ、他の文字 他の箇所を観たいというように感じた人もいたかもしれないが、各拓本の良否・特色を比較するためには同じところを開けないと、どうしようもないのである。
 なんで九成宮醴泉銘でそういう問題がでるのかというと、現在、山西省にあ陜西省にある九成宮醴泉銘の石・石版自体があまりにもボロボロになってしまっていて、しかも後世の彫り直しまであり、唐時代の現状をほとんど伝えていないという問題がある。それで、まだあまり文字が壊れていない古い時代の質の良い拓本を鑑賞するほかないのであるが、では、どの拓本が一番良いのか、本来の文字の形に近いのか?という問題は、現状の石面をみても全くわからず、拓本同士を比較するしかないのである。そうはいっても、宋拓と称されるような九成宮醴泉銘の古拓は怖ろしく高価で希少なものなので、写真印刷術がない時代では、複数の拓本を実物で比較するなんてのは、大富豪の蒐集家か宮廷か、蒐集家たちのサークルで自慢しあう会かでしかできなかった。おまけに、例によって忠実な偽物というのもあって、ますます混乱する。もっとも偽物の拓本のなかでも泰刻というの清時代無錫の秦氏本(ref)は、もとになった拓本が素晴らしいので、下手な清時代の本物の拓本より評価されたりもする。この秦氏本は京都国立博物館にあるようだ。羅振玉は明拓と書いているが勘違いだろう。
  現在はモノクロ・カラー影印もありある程度は拓本相互の比較ができるようになったが、それでも現物が六種類も揃う、しかも香港のものまで並べて比較することができるのは希有の機会であろう。

左端の番号は出品リストの番号である
28           九成宮醴泉銘 ―海内第一本―  [端方旧蔵本] 三井記念美術館      
29           九成宮醴泉銘 ―天下第一本― [顧文彬本]    三井記念美術館      
30           九成宮醴泉銘 ―官拓本― [李鴻裔本]  三井記念美術館      
31           九成宮醴泉銘 中村不折本 台東区立書道博物館      
32           九成宮醴泉銘 ―犬養本―          個人蔵か?     
33           九成宮醴泉銘 ―汪氏孝経堂本―       香港中文大学文物館(北山堂寄贈)

  実際に比較して観てみると、特異なのは29番 天下第一本― [顧文彬本] である。これは、昔、三井文庫で鑑賞したときも強い印象を受けていて、メモも残してあった。なんというか線質が違うのだ。よく観るとあとで墨をいれてごまかして加工した文字が各所にあり「秘書」の「書」など、そうとう問題があるが、いぢっていない補修していないところには、これは最古の拓か、ほんとの北宋拓かと思わせるような蒼古ななごりが残っている。この太めの点画は北京故宮博物院にある有名な李キ旧蔵本を思わせるところもある。ただ、拓したときの紙の厚みや拓の技法などでもかなり印象は変わるかもしれない。

  従来、当方が愛好してカラー影印も持っているのは    30番 ―官拓本― [李鴻裔本] である。これは中庸をえたもので欠点がなく、なかなか好ましい。ただ、官拓本という名前をつけた根拠はよくわからない。日本で昔から有名なのは 28番 ―海内第一本―  [端方旧蔵本]だが、当方は昔、三井文庫で観たときの印象が悪く、あまり評価していなかった。今回観たら、まあまあ悪くないと思っている。香港から、はるばる出張してきた33番 汪氏孝経堂本― は、他より大型の本に豪華に装幀されているが、虫食いがめだつのが惜しい。質的には端方旧蔵本などに近いもので、特に図抜けているわけではないように思う。32番の犬養本は金で押した印影があるのが面白い。質的にはまあまあかな。不折本は少し傷みがひどいかもしれない。

ちなみにかなりボロボロになったころの拓本は下記動画の2分39秒ごろで観ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=XO94osMVU64

  ref. 須和源一 、九成宮醴泉銘の模刻について、書エン 第二巻七号、昭和13年7月 
posted by 山科玲児 at 09:36| Comment(0) | 日記

「祭姪文稿」観賞 作戦

2019feb11朝.jpg


  まあ。今回は呆れたので、朝から並んで「祭姪文稿」を一目ちゃんと観ようとする人のための作戦を考えてみた。というより、帰りの乗り物のなかでメモに書いていたのだから、よほど腹に据えかねたんだろう。
 まあ、個人的な発案なので、うまくいくかはわからないが、そんなに外してはいないと思う。
  夜間開館の〆切近くを利用して上手く観るという裏技もあるようだが、ここでは、私がやらざるをえなかった朝から並ぶオーソドックスな方法でいく。

 @ チケットは事前に買っておくこと。スマホなどの電子チケットはダメ。入り口で、万一確認に手間取ったりしたら、取り返しがつかない。ちゃんと紙のものを買うことです。友の会/メンバーズカードなどで入る人はまた別ですが。。

 A 私みたいに東京まで旅する人もいるでしょうが、荷物は最小限に。基本はすべてホテルにおき身軽でいくことです。ロッカーに預ける必要があったときは、涙を呑んで上野駅などのロッカーを使うべきで、身軽で並んでください。ロッカー料金を惜しんではいけません。万一、荷物をもって並んでしまったときの極意はあとで書きますが、旅行鞄などの大きなものでは通用しないかもしれません。。万一雪のときはビニール傘を調達してください。歩いているとき雪はどうでもいいが、じっと待って上から雪では命が危なくなります。ホカロンなども必須です。

 B さて、東京国立博物館の正面に到達しました(イメージは2月11日午前8時30分ごろ) 2月11日の場合は左がチケットをもってる人の列でした。当然、こちらに並ぶのですが、ひょっとしたら並ぶ位置の変更があるかもしれないので、よく確認してください。間違えると完全にアウトです。無駄骨です。勝負終了です。

 C9:30まで我慢します。開場後の係員の理不尽な指示にも我慢です。

 D平成館の前で傘をおかないといけませんが、ここは素早くしないといけません。列からとりのこされます。そういう意味では雪や雨のときは、折りたたみ傘もっていったほうがよいかも、とも感じてます。

 E平成館に入ったあと、「ロッカーが右にあります」と悪魔のささやきがありますが、耳を貸さないように。右のロッカーを使っている間に列ができて、貴方ははじきだされてしまいます。ロッカーは会場に入ってエスカレーターを上がった正面にあります。 本来はその時間も惜しいので身軽でくるべきですが、やむをえないときは、会場内ロッカーを使ってください。一番に近い早い客ですから当然ロッカーはがら空きです。

 F「祭姪稿」は第一会場の一番奥にあります。途中で魅力のある展示物があっても一切無視、他の人と一緒に奧へ急いでください。さあ、ようやく「祭姪文稿」に到達しました。

  まあ、私は「祭姪文稿」は主眼じゃなかったので、あまり惜しいとは思わなかったんですが、これが目的だったら泣いてしまったかもしれません。ご注意を。

顔真卿展の混み方については、公式Twitterがあります。
https://twitter.com/ganshinkei2019



posted by 山科玲児 at 08:11| Comment(0) | 日記

2019年02月12日

ほんとに顔真卿展?



【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」
https://ganshinkei.jp/

そもそも顔真卿メインというより、唐代中心の中国書道史展で、顔真卿の碑など意外に少ない。顔真卿中心なら大唐中興頌の全套  復元とかいうような、巨碑の全套が並ぶはずです。

大きな全套があって、カメラ撮影してくださいねえーとなってたのが唐  玄宗皇帝の起泰山銘で、顔真卿の碑ではなかったことが、それを如実にしめしております。その点、顔真卿好きには物足りなかったかもしれないなあ?

ただ、そのために、どっちかというと顔真卿ファンではない私などにはかえって好都合でした。九成宮、懐素、黄絹蘭亭など、ひろいものが多く、面白い展覧会でした。というより、五馬図巻を観に行ったようなものだしね。


posted by 山科玲児 at 20:59| Comment(0) | 日記

五馬図巻は、しばらく非公開か?


中国書画の複製事業で、東京国立博物館などとも人脈のある二玄社のツイート
で、このようなものがありました。かなり可能性が高い推測だと思います。。
posted by 山科玲児 at 19:42| Comment(0) | 日記

顔真卿展の列

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【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」
https://ganshinkei.jp/

  多少混んでるという話はあったので、まあ、一部の列はほっといて、五馬図巻だけみりゃいいや?と思ってたら、驚いたことに会場に入る列が長くできてました。2019/02/10日11時半ごろのことです。。
 なんだこれは、、マスコミのあおり畏るべし。
  まあ、このときは20分ぐらい待って入場できました。
  だいたい観賞できたんですが、なぜか混んでいて観るのが難しいもの::黄絹蘭亭など、、がありました。やたらに宣伝してる祭姪稿は、台北故宮で何度か観てるんでどうでもいい、1秒でも挨拶したらいいかな、という方針なんですが、他のは困る。。翌日朝 9:30-10:00まで観賞し、10:00に羽田へむかうことにいたしました。30分の勝負なので30分の中で並ぶわけにはいけません。


  まあ、それで、8:30分ごろに行ったら、雪が降ってきたので、じっとまってると雪だるまになってしまうから、途中でビニール傘をかいました。東京国立博物館にいったら、既に何人かいました(イメージ)。まあ、これはフェルメール展でもそうでしたから、そういうものかな、です。
 で、なんとか待って入場できたんですが、
  まあ、祭姪稿は、後ろからちらと観ただけ、というか台北で3度ぐらい楽々で観てるんで、いまさら、、、という感じです。でもよく考えたら、本文はともかく跋尾は台北では拡げてなかったことが多いから、跋尾を観ようとおもったら、戻らないでくださいと追い払われそうになりました。まあ、いいかな、これは。

  で、そのとき、黄絹蘭亭とか観ましたが、なんか不思議だったのは、昔台北で黄絹蘭亭を観たとき、なんか小さな字だなあ、という変な印象があったのですが、今回みたら、むしろ大きくて、あの記憶は何だったのか?? と反省した次第です。その後、チェックすべきところをチェックし、最後は五馬図巻を10:00まで観て脱出。

すると、平成館の前に長い列(イメージ)がでていて、これもビックリでした。。。

顔真卿展の混み方については、公式Twitterがあります。今日は休館だからUPはなし。
https://twitter.com/ganshinkei2019
出品リストは、こっちです。これは会場で配っているのと同じもの。


posted by 山科玲児 at 11:13| Comment(0) | 日記

五馬図巻 実見

五馬図巻コロタイプ.jpg五馬図巻 t (1).jpg


北宋の画家:李公麟(1049 - 1106年)の唯一の真作と古くから喧伝されてきた

が日中戦争時に焼失したとも噂され、70年以上も行方不明だった五馬図巻が再出現したことは、既に書いた。

http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185271202.html

 http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185313692.html


今回、

【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」

に赴き、実物を観賞することができた。

 北宋時代の希有な白描画で、しかも李公麟の真蹟である可能性が最も高い作品であるという点では、確信を深めたが、やはり色々考えるところがあった。

第一図が最も優れていて、第五馬が別筆であること、は、古くからいわれたことである。乾隆帝の御題もそういうふうにみているようだ。

実際、最後の馬の絵と前の絵とは別紙で紙の継ぎに古い印はない。

ところが、紙の質は、同じようにみえる。これはどういうことなのだろうか???

これは推測にしか過ぎないが、「広い余紙」を切って再利用して模作補作したのではなかろうか??

当時の書画には大きな余紙(空白の部分)を残して制作したものが多い。この五馬図巻の黄山谷跋のあとの余紙もある。現在では、たいていは再利用されて切り縮められてしまっているが、かろうじて長く残っている例(南宋 高宗の徽宗文集序)もあるし、寒食詩巻のように、時間も場所も違ったであろう黄山谷の跋が同質の紙だったりする例もある。


第二の問題は、赤い淡彩は、補筆か?オリジナルか?という問題である。確かなことは第四馬の胴の紙の破損を埋めた淡彩は補彩であるということであろう。また、十七世紀にこの巻を所有していた蒐集家  商丘宋らく1643-1713の記述では微設色としているので十七世紀にはこの色はあったのだろう。そうすると、少なくともボストンの歴代帝王図のような二十世紀に大規模に補筆したというようなものではない、といえる。また奇妙なことに最後の補作とされる第5馬には淡彩はない。あるいは、馬の身体に多少青が使ってあるようにはみえました。

 この絵具は水銀朱なのだろうか?どうももっと安いベンガラのような感じがするのだが、褪色もあるので、なんともいえない。

 この種の色の問題については海外のチャイナのサイトではモノクロ画像に勝手に色をつけたものがあって、混乱するので注意したい。五馬の順序もムチャクチャなものすらあって呆れる。


第三に、黄山谷の題記の墨がやけに黒くて、ほとんど剥落がみえないようにみえることである、これは多少の違和感があった、ひょっとしたら薄れた題記に補墨があるのかもしれない。一方  紹興辛亥のころの曾ウの跋は非常に自然である。この跋のあとに

元時代の、柯九思の墨印が残っていることには注目した。古い巻子本複製は、

この跋が省略されていて、かなり短くなっていたのでわからなかったのだ。


第四に、そもそもこれはもともと「五馬」だったのか?ということである。宋末ぐらいまでの記録では「天馬図」であり、数の4紙という記述もあり、どうもはっきりしない。

「五馬図」になるのは明時代ぐらいからである。


第五に、人間が大きくて馬が小さい、ということだ。これは、子供つれがみていて、子供だったかその親だったが言っていたことなんで、私の考えじゃない、気がつかなかったのは不明の至りである。確かに、人間が大きくて馬が小さくて、これじゃ子馬・ポニーである。そりゃ昔の馬はサラブレッドほど大きくなかっただろうし、漢時代以前の馬はかなり小さかったという記録はあるようだが、宋時代なんだから、十分大きい馬のはずである。これはまあ、絵を描くときの流儀というか約束事のようで、現実とはちょっと違っても良いということなんだろう。


Ref.  五馬図巻  モノクロコロタイプ  巻子本

https://reijibook.exblog.jp/22709353/


   高野絵莉香 黄山谷跋、李公麟筆「五馬図巻」の伝来について、史觀(171)  , pp.22 - 43 , 2014-09-25

http://jairo.nii.ac.jp/0069/00036283




posted by 山科玲児 at 08:34| Comment(0) | 日記

2019年02月10日

休み

旅行のため火曜日再開予定
posted by 山科玲児 at 04:00| Comment(0) | 日記

2019年02月09日

香港ドルの発行元

香港ドルは、現在はほぼ人民元と似たような対ドルレートだし、少し前までは、似たような動きをしていた。なんか先週は違ったな。

色々な意味で、中華人民共和国の金融とも深い関係があると思うが、

発行元は、英国系のHSBC(香港上海銀行 アヘン戦争のジャーディン・マティスン商会の流れ)とスタンダード・チャータード銀行(東インド会社の支流?を母体とするらしい)、そして、大陸の半官半民銀行:中国銀行だという。英領だったころは、前の2つだったんだろう。

中国マネーの動きと、香港ドルの発行元が英国系グローバル資本であるということと
なにか関係があるのかもしれないなあ。。


posted by 山科玲児 at 11:48| Comment(0) | 日記