2019年02月12日

ほんとに顔真卿展?



【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」
https://ganshinkei.jp/

そもそも顔真卿メインというより、唐代中心の中国書道史展で、顔真卿の碑など意外に少ない。顔真卿中心なら大唐中興頌の全套  復元とかいうような、巨碑の全套が並ぶはずです。

大きな全套があって、カメラ撮影してくださいねえーとなってたのが唐  玄宗皇帝の起泰山銘で、顔真卿の碑ではなかったことが、それを如実にしめしております。その点、顔真卿好きには物足りなかったかもしれないなあ?

ただ、そのために、どっちかというと顔真卿ファンではない私などにはかえって好都合でした。九成宮、懐素、黄絹蘭亭など、ひろいものが多く、面白い展覧会でした。というより、五馬図巻を観に行ったようなものだしね。


posted by 山科玲児 at 20:59| Comment(0) | 日記

五馬図巻は、しばらく非公開か?


中国書画の複製事業で、東京国立博物館などとも人脈のある二玄社のツイート
で、このようなものがありました。かなり可能性が高い推測だと思います。。
posted by 山科玲児 at 19:42| Comment(0) | 日記

顔真卿展の列

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【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」
https://ganshinkei.jp/

  多少混んでるという話はあったので、まあ、一部の列はほっといて、五馬図巻だけみりゃいいや?と思ってたら、驚いたことに会場に入る列が長くできてました。2019/02/10日11時半ごろのことです。。
 なんだこれは、、マスコミのあおり畏るべし。
  まあ、このときは20分ぐらい待って入場できました。
  だいたい観賞できたんですが、なぜか混んでいて観るのが難しいもの::黄絹蘭亭など、、がありました。やたらに宣伝してる祭姪稿は、台北故宮で何度か観てるんでどうでもいい、1秒でも挨拶したらいいかな、という方針なんですが、他のは困る。。翌日朝 9:30-10:00まで観賞し、10:00に羽田へむかうことにいたしました。30分の勝負なので30分の中で並ぶわけにはいけません。


  まあ、それで、8:30分ごろに行ったら、雪が降ってきたので、じっとまってると雪だるまになってしまうから、途中でビニール傘をかいました。東京国立博物館にいったら、既に何人かいました(イメージ)。まあ、これはフェルメール展でもそうでしたから、そういうものかな、です。
 で、なんとか待って入場できたんですが、
  まあ、祭姪稿は、後ろからちらと観ただけ、というか台北で3度ぐらい楽々で観てるんで、いまさら、、、という感じです。でもよく考えたら、本文はともかく跋尾は台北では拡げてなかったことが多いから、跋尾を観ようとおもったら、戻らないでくださいと追い払われそうになりました。まあ、いいかな、これは。

  で、そのとき、黄絹蘭亭とか観ましたが、なんか不思議だったのは、昔台北で黄絹蘭亭を観たとき、なんか小さな字だなあ、という変な印象があったのですが、今回みたら、むしろ大きくて、あの記憶は何だったのか?? と反省した次第です。その後、チェックすべきところをチェックし、最後は五馬図巻を10:00まで観て脱出。

すると、平成館の前に長い列(イメージ)がでていて、これもビックリでした。。。

顔真卿展の混み方については、公式Twitterがあります。今日は休館だからUPはなし。
https://twitter.com/ganshinkei2019
出品リストは、こっちです。これは会場で配っているのと同じもの。


posted by 山科玲児 at 11:13| Comment(0) | 日記

五馬図巻 実見

五馬図巻コロタイプ.jpg五馬図巻 t (1).jpg


北宋の画家:李公麟(1049 - 1106年)の唯一の真作と古くから喧伝されてきた

が日中戦争時に焼失したとも噂され、70年以上も行方不明だった五馬図巻が再出現したことは、既に書いた。

http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185271202.html

 http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185313692.html


今回、

【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」

に赴き、実物を観賞することができた。

 北宋時代の希有な白描画で、しかも李公麟の真蹟である可能性が最も高い作品であるという点では、確信を深めたが、やはり色々考えるところがあった。

第一図が最も優れていて、第五馬が別筆であること、は、古くからいわれたことである。乾隆帝の御題もそういうふうにみているようだ。

実際、最後の馬の絵と前の絵とは別紙で紙の継ぎに古い印はない。

ところが、紙の質は、同じようにみえる。これはどういうことなのだろうか???

これは推測にしか過ぎないが、「広い余紙」を切って再利用して模作補作したのではなかろうか??

当時の書画には大きな余紙(空白の部分)を残して制作したものが多い。この五馬図巻の黄山谷跋のあとの余紙もある。現在では、たいていは再利用されて切り縮められてしまっているが、かろうじて長く残っている例(南宋 高宗の徽宗文集序)もあるし、寒食詩巻のように、時間も場所も違ったであろう黄山谷の跋が同質の紙だったりする例もある。


第二の問題は、赤い淡彩は、補筆か?オリジナルか?という問題である。確かなことは第四馬の胴の紙の破損を埋めた淡彩は補彩であるということであろう。また、十七世紀にこの巻を所有していた蒐集家  商丘宋らく1643-1713の記述では微設色としているので十七世紀にはこの色はあったのだろう。そうすると、少なくともボストンの歴代帝王図のような二十世紀に大規模に補筆したというようなものではない、といえる。また奇妙なことに最後の補作とされる第5馬には淡彩はない。あるいは、馬の身体に多少青が使ってあるようにはみえました。

 この絵具は水銀朱なのだろうか?どうももっと安いベンガラのような感じがするのだが、褪色もあるので、なんともいえない。

 この種の色の問題については海外のチャイナのサイトではモノクロ画像に勝手に色をつけたものがあって、混乱するので注意したい。五馬の順序もムチャクチャなものすらあって呆れる。


第三に、黄山谷の題記の墨がやけに黒くて、ほとんど剥落がみえないようにみえることである、これは多少の違和感があった、ひょっとしたら薄れた題記に補墨があるのかもしれない。一方  紹興辛亥のころの曾ウの跋は非常に自然である。この跋のあとに

元時代の、柯九思の墨印が残っていることには注目した。古い巻子本複製は、

この跋が省略されていて、かなり短くなっていたのでわからなかったのだ。


第四に、そもそもこれはもともと「五馬」だったのか?ということである。宋末ぐらいまでの記録では「天馬図」であり、数の4紙という記述もあり、どうもはっきりしない。

「五馬図」になるのは明時代ぐらいからである。


第五に、人間が大きくて馬が小さい、ということだ。これは、子供つれがみていて、子供だったかその親だったが言っていたことなんで、私の考えじゃない、気がつかなかったのは不明の至りである。確かに、人間が大きくて馬が小さくて、これじゃ子馬・ポニーである。そりゃ昔の馬はサラブレッドほど大きくなかっただろうし、漢時代以前の馬はかなり小さかったという記録はあるようだが、宋時代なんだから、十分大きい馬のはずである。これはまあ、絵を描くときの流儀というか約束事のようで、現実とはちょっと違っても良いということなんだろう。


Ref.  五馬図巻  モノクロコロタイプ  巻子本

https://reijibook.exblog.jp/22709353/


   高野絵莉香 黄山谷跋、李公麟筆「五馬図巻」の伝来について、史觀(171)  , pp.22 - 43 , 2014-09-25

http://jairo.nii.ac.jp/0069/00036283




posted by 山科玲児 at 08:34| Comment(0) | 日記