2019年04月11日

中国の墨


墨精ss.jpg


筆をとりあげたので、筆墨硯紙の順で書いてみようかと思う。

「墨は黙仙なり、有より出でて無に入る」という言葉もあるように、使うことによって減っていき最後にはなくなってしまうものである。しかしながら、蘇軾の「墨人をする」という絶妙な形容のように、所有する墨をあまり使わないで逝去してしまう文人画人は古来多かっただろう。

墨の場合、同じ型と同じ製法を続けていけば、再生を繰り返す芸術、エヴィータをロングランするロンドンの劇場のような機能ももつことができる。しかしながら、下記のような大災厄があって、中国の場合、80年ほど断絶してしまった。20世紀末ぐらいから、ようやく「復古」によってなんとか回復しつつある、というのが現実である。 そういうことで、総じて日本の墨のほうが良いようだが、日本と中国では墨の製造法自体から違う。良質な唐墨がなくて困っていた時代が長かった。結局、日本で良い墨をさがすほかなく、当方も古梅園の胡麻油煙墨を愛用している。大画家兼大贋作者:張大千も日本の墨などを愛用していたそうである。ただし、21世紀になってからの中国の墨には、高く評価できるものもある。


 唐墨は、藤原時代末期の夜鶴庭訓抄にも「唐墨が良い」と言われて以来ブランドを誇っていたが、清末以後カーボンブラックの乱用で劣化した。
その悲惨な事情は墨の大コレクター 葉恭綽(1881-1966)が書いた「墨談」
http://reijiyamashina.sakura.ne.jp/inkyee.htm
で明らかである。
  葉恭綽がこれを書いたのは1950年代香港あたりではなかったかと思うが、その後、更に破滅的になったのが文化大革命時期である。文化大革命直後には、泥の塊のような、もはや墨といえないようなものを生産する惨状になった。
  こういう事情からすると、丁度100年前、1918年生産の古墨でも、質が良くない物だらけということになってしまうのは無理はない。つまり、現在市場にある中国古墨はそうとう古いものでも粗悪品が多いのである。また、1990年代ごろには、実に巧妙な清朝古墨の贋作が多数日本で流通していた。とても手をだせない、と思ったものだ。

 イメージのものは、・大有の「墨精」墨1対だが、75mmx11mmx9mmという、細く小さい角柱である。よく磨かれた表面・剥落したらしい珠のあとの穴、などをみると、時代はわからないが、まあ良いほうだと思う。試墨してみてもまずまずよい。詳細な画像は
にあげておいた。

 総じて日本の墨のほうが良いようだが、日本と中国では墨の製造法自体から違う。良質な唐墨がなくて困っていた時代が1世紀近くも続いていたが、最近では、かなり良い製品があるようだ。
 この2008年製造の純油煙墨::朱子家訓 墨(下イメージ)は、使っていて確かに良いと思う。形は平凡だし、裏の文章にはさして関心はないが、墨の質は良いと思う。

知人がやっている中国文房具販売のサイト  徽州曹素功 藝粟斎
   http://sousokou.shop-pro.jp/?pid=12873177
で売ってるので、推薦しておきたい。同じ名前、似たデザインの「朱子家訓」墨は、例によって多数あるようだが、全く中身が違うようだ。なんでもこの墨、古墨と偽ってオークションに出たこともあると聞いた。 

朱子家訓 墨 (1).JPG
タグ: 文房四宝
posted by 山科玲児 at 07:44| Comment(0) | 日記