2019年04月12日

羅紋硯P1070501 (1).jpg羅紋硯P1070501.JPG


  墨とは違って硯は、ここ1世紀、終始 中国製品 メイドインチャイナが日本製より優れていて、圧倒的であり、勝負にならなかった。
 1970年代ごろから一般向けに安く売られていたいわゆる「羅紋硯」ですら、日本のそれなりに名のある硯よりよかったと思う。
 この「羅紋硯」実は「玉山硯」というべきものだ。江西省玉山県で原石が生産され、加工は、安徽省でやっていたらしい。 古来から有名な安徽省産の歙州硯に似ているので、それと間違わせて買わせるという高等戦術だろうか? 「羅紋硯」という名前で多量販売したものである。いくらなんでもこういう安価で歙州硯買えるわけないんですけどね。この玉山硯、そこそこ硯としての性能がよいこと、大きな材料も含め豊富に採石できること、で日本むけに多量に制作輸出されたのではないか?と推測している。似たような類似品に山東省産の駝基島硯というものもあるようである。

  墨と明暗が分かれたのはどうしてかというと、いったい、原料が得られれば、中身じゃなくて外形を整えればよいという製品だからではないかと思う。そういえば墨も中身がひどくても外観はそう悪くないものがあったものだ。陶磁器についても、この時代には技術が大きく落ちていた。

 では、本家の歙州硯とはどんなものなんだろう。
 上にイメージしたのは、何十年も使っている細羅紋の歙州硯の表面拡大である。透明な石に細かい結晶がみっちりいっぱい入っている、あるいは結晶のまわりを透明なものが埋めているという上品な石である。これは歙州硯でも一番地味な部類で、他の硯では大きな波模様が入ったり、黄銅鉱の金色の星が散在したりする華麗な石も多い。

   歙州硯の硯鉱山は1980年代ごろ再発見されて、一時、かなり輸入されたものだが、小さいものでも相当高価なものだった。 これは、当時 古硯ということで買ったものだが、漆が全面にかかっていた。側面にかけるのならわかるが、なぜか墨をするところにまでかかっていたので、なんか墨がよくすれないなあ、と不思議に思っていた。一種の砥石で墨をするところを磨いて漆成分をとったら突然うまくすれるようになって呆れた。当時、中国から古硯を輸入販売していた業者には、光沢やみかけがよくなるからということで漆をかける人が多かったし、ひどい人には硯自体を改刻して形を変えてしまった人すらいた。今はもう閉店しているある業者は改刻の腕を自慢したというから、ひどい話である。ひょっとしたら、この硯も多少形が変わっているかもしれない。歙州硯と並んで有名なのは広東省原産の端渓石で夏目漱石の小説にもでてくる。端渓の硯
のほうが、ずっとディープなファンが多いようである。

  もう一つ、当時から問題だったのは硯の時代性である。いつ制作された硯なのか?ということである。戦前からかなりあてずっぽうのような時代鑑定が横行し、むやみに宋硯と称したものが多かったものだが、様々な発掘や年代のわかる難破船から回収された硯との比較から、昔の誇大な年代判定はほとんど嘘だと考えられる。ちょっと古いが、この手の資料を集成した本が。雄山閣 ヴィジュアル書道全集 第十巻、文房具(平成5年)である。

  一方、ずっと昔、奈良平安時代、小野道風なんかが使った硯はなにかというと、たいていは陶器を使っていたようである。中国でも古代は陶器が多いが石も使っていたことは、発掘資料で照明されている。例えば楽浪郡から出土したものでは、石板を木にはめこんだようなものだったようだ。東京国立博物館に復元模型が展示されていた。陶器の硯の場合、当然墨をする面は釉薬をかけてはいけないのだが、昔奈良で買った古代硯を倣ったような陶硯はその面まで釉薬があって、全く役にたたなかった。なんかわかってないなあ、、と思ったものである。これは、捨ててしまったと記憶している。


タグ: 文房四宝
posted by 山科玲児 at 08:43| Comment(0) | 日記