2019年04月13日

昭和蘭亭会 詩箋

 1973年 大阪での昭和蘭亭会のときに、企画して、たぶん中国に発注して製造した詩箋(便箋)
は、画像があまりよくなかったので、別途、アップしました。

昭和蘭亭会  詩箋
https://reijibook.exblog.jp/28193342/

蘭亭展に参加したわけではなく、偶然、購得しただけである。
タグ: 文房四宝
posted by 山科玲児 at 17:33| Comment(0) | 日記



 紙は、消耗品のようでありながら、文書や本や絵画と一緒になると1000年以上伝世することが少なくない。例えば、上左イメージの写経断片「持世第一」の紙は1600年近い年齢である。そういう意味では、少なくとも筆峰は消耗品である筆や、すり減らしてだんだん小さくなる墨、とはまた別だ。多量消費される消耗品のようにみえて、極一部は長寿を保つという微妙な性格がある。
   紙というのは、白い紙の写真をだしても面白みはないので、自然、装飾紙の話になりやすい。 しかし、現実には良質の白い中国紙というのは、妙なことに得がたいという状態であった。というのも、書道で、長く宣紙が尊重されたからだろう。
  香港出版で台北で再刊された藝術叢集第11 に収録されている「説箋」という紙のコレクターの小文では、「最近の紙造りの悪いところがある。それは宣紙を尊重することだ。大きな絵画や書は宣紙を使わざるを得ないが、よくないことである。」と書いている。
  実際、宋元明の名蹟の紙を観察すると、宣紙、それもにじみの多いものに書いたものは少ない。殆どは加工紙・熟紙である。勿論いわゆる生紙に書いたとおもわれるものもないわけではないが、少数派であろう。そういう好みは清後半の何子貞、包世臣あたりからはじまったものではないかと思う。張 廉卿(1823年 - 1894年)あたりは、にじみを多用していて、日本人の弟子、宮島衛士もその風を伝えている。
 一方、装飾紙としては、先年、國立故宮博物院で開催された
     宋代花箋
       https://www.npm.edu.tw/zh-tw/Article.aspx?sNo=04009762
のように、遅くとも北宋時代から盛んに製造され輸出されているようで、輸入した日本でも本阿弥切(上右イメージ)などに使っている。
下イメージは、1973年 大阪での昭和蘭亭会のときに、企画して、たぶん中国に発注して製造した詩箋(便箋)であるが、珍しいのであえてあげてみた。ただ、左の便箋の題が「羲之浴鵞」となっているが、「浴鵞」というのは、なんか変だと思う。普通は観鵞とかだと思う。

Ref. テキ~之、説箋、藝術叢集第11、藝文印書館、台北、1977昭和蘭亭会箋ss.jpg


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posted by 山科玲児 at 09:15| Comment(0) | 日記