2019年05月03日

縦棒の令は漢隷の遺風【追加あり】

沈府君  令.JPG張遷 令.JPG

  他のサイトでも解説がありますが、最終画が縦棒の「令」は漢時代の隷書の遺風のようですね。
  禮器 西嶽崋山廟碑も史シンも、皆縦棒です。それどころか、かなり異風の四川省の沈府君神道ケツ(左イメージ)も、かなり崩れた字で異体字が多いとされる張遷碑陰(右イメージ)もやはり縦棒です。
  この点では、怖ろしく画一的なようですね。
じゃあ、なんで活字体明朝体で縦棒にしたのか?というと、版木を彫りやすいということが第一だったんでしょう。その上、顔真卿の「令」は縦棒/または欧陽詢風のようですから、顔真卿以後に字形を人工的に復古させたということが関係しているかもしれませんね。

【追加】どうも唐末の開成石経の「令」が皆縦棒のようです。ここから来てるのかもしれませんね。 こういう石経は、文字 字形の標準化も意図してます。またこの石経は破壊されずに、その後も影響力がありました。書道の方面では字に魅力がないので無視されてますが、そういう意味での影響力はあったのかもしれません。 池大雅が苦心してこの開成石経の拓本を買おうとした逸話は有名ですね。





  
タグ:年号 令和
posted by 山科玲児 at 09:31| Comment(0) | 日記

削除  理由

昨日のジョークは、文章の区切り型が、間違っていたようで、どうもジョークにならなかったようなので、削除しました。
posted by 山科玲児 at 08:36| Comment(0) | 日記

令和の「令」の歴史的書き方

真草千字文.JPG




当方の書いたものを、掲示していたら、「令」の字が違うという指摘を受けました。最終画は、縦の棒だそうです。これは、書写体と印刷活字体で違うんですよ。と書体字典をみせて納得してもらいました。NHKが放映している字だからとかなんとか色々いっていたが、年輩の方のNHK信仰はいいかげんにしてほしいものです。だけど、これは、面白い例だと思ってます。草書や篆書では問題にもならないことですが、楷書の場合は、楷書を活字体と同一視してる人が多すぎることが原因でしょう。
どうも、この件は、官房長官が、あの書額というか色紙というかいうものを発表して以来、4月初旬に一部で話題になっていたようですね。結局、どちらでもいい、ということだったようです。


それで、歴史的な他の名蹟 の例を比較してみよう、と思いました。王羲之の蘭亭序には、「令」字がない。そこで王羲之の正統を継ぐ南朝の書、陳・隋の時代を生きた智永の千字文だと、上のイメージのとおり斜めの点でです。


ところが、同じ出身は南朝の欧陽詢の碑:楷法の極則とまで賞賛された九成宮醴泉銘(李鴻裔本)はどうかというと、実は縦棒に近いものです。ただ、少し下が太くなっている水滴状にみえますね。そして智永と反対方向に少し反っているようです。実はもっと粗略な傷んだ拓本 粗雑な模刻模写だと縦棒にみえます。この辺が欧陽詢が誤解されやすいところなのでしょう。実際は縦棒じゃないようです。。

九成宮  令.JPG




 そうなると、筆写体でも縦棒のものがあるということになって、しかも楷書の模範とされたものですから、菅官房長官が掲げた「半紙大の「令和」の書額」が縦棒になっていても、正統な字形だということでしょう。小さな字典では、斜め点の字形だけが書写体としては載っていることが多いようです。九州国立博物館館長の島谷さんが書いた手本もそうでしたね。  欧陽詢と併称される虞世南:孔子廟堂碑のほうは、智永と同じような字形です。智永の弟子とされてますから、まあ、そういうことなんでしょうね。
夫子廟堂碑.JPG
  
一方、北朝の北魏 ACE511年の鄭文公碑の場合は、むしろ智永に近いようです。
鄭文公 令 ss.jpg

 結局、どっちでもよいということのようです。官房長官が掲げた書もおかしくないし、島谷館長が書いたものも正しい。コンビニの店頭でカルビーポテトチップスに使われている字形は縦棒ですね。
posted by 山科玲児 at 06:56| Comment(0) | 日記