2019年05月14日

製紙法の西漸とタラス河畔の戦い

Abacus Amalfi LettersetP.JPG


イメージは、フィレンチェで買った南イタリア;アマルフィの手漉き紙です。これについては、
アマルフィの紙  (3)
https://plaza.rakuten.co.jp/yamashinareiji/diary/200904220000/
で書きました。今、アバクスのURLは変わっていて、
ABACUS フィレンチェの製本工房
http://www.abacusfirenze.com/
となっているようです。

アマルフィには12世紀に、西ヨーロッパ最古の製紙工房がありました。西洋の紙は、伝統的には、亜麻、綿。廃布などで作る紙であって、竹、楮、三椏、雁皮などで作る東洋の紙とはちょっと違います。このアマルフィ紙はコットン・ペイパーです。西洋の製紙法は当然イスラム世界から伝わったわけですが、その件について21世紀になってからちょっと議論があったようです。

従来は、ACE751年の「タラス河畔の戦い」の、中国人捕虜に製紙職人がいたので、サマルカンドに製紙工場が建ち、その後11世紀初頭にはイスラム世界では羊皮紙・パピルスを完全に駆逐した、ということになってます。

これについて、最近異論があったようです。タラス河畔の戦いとは関係なく、製紙法がサマルカンドへ伝わったのだ、と主張があったようですね。実はTwitterで知って、

イスラーム書物の歴史
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0773-3.html
を図書館から借りてきました。

twitterでは、「タラス河畔の戦いとの関係は否定されてるよー 」というような言い方でしたが、この本を読むと実は逆で、その新説は状況証拠だけで根拠が弱い、とむしろ批判的でした。まったく無批判に「新説」を持ち回るのは、やめてほしいものですね。
ちなみにその新説のソースは、
Jonathan M. Bloom,
Paper Before Print: The History and Impact of Paper in the Islamic World
Yale University Press; 1st edition (November 1, 2001)
です。

ブルーム(Jonathan M. Bloom)の新説の3つの論拠の中で、最も強いのが、
「イスラーム圏の紙が基本的に使用済みの亜麻のぼろ布を原材料として作製されたのに対して、中国の紙は、すでに8世紀までには基本的に桑など生の樹皮繊維から直接作製されるようになっており、亜麻のぼろ布などは補助的しか用いられなかったことを指摘する。そして、もし中国人捕虜がサマルカンドで紙を作製しようとしても、彼らには生の原材料が存在せず直ちにこれに対応することは不可能であったとする。」
(イスラーム書物の歴史36P から転記、、ああ面倒だった。。。)

 これは、一見、もっともにきこえますが、実は考古学的に発見された西域出土の紙の歴史を知らない無知な妄言・誤謬です。というのもトルファン出土の唐代紙にも麻原料の紙が結構あるということは周知の事実(REF)。そして敦煌・トルファン出土の紙には、非常に精緻な西安・洛陽などから輸送された高級紙と、かなり粗雑な麻や現地の繊維を使ったような紙の両方があるということは、西域出土文書研究者には「たぶん」よくしられたことでしょう??

 したがって、仮に「タラス河畔の戦い」でアッバース朝軍が捕虜にした製紙職人がいたとしてもですよ、おそらく敦煌以西で紙を作っていた製紙職人である可能性が高く、そうなると「亜麻のボロ布による製紙」に通暁していたとしても不思議ではないでしょう。
  なんか「中国人捕虜」というと「西安や洛陽や安徽省で紙を作っていた人が徴兵されタジクまで行軍した」というイメージを抱きがちですが、実際はできるだけ近くで兵力を集めるというのが当然だと思いますけどね。。

  ref 増田勝彦、楼蘭文書料紙と紙の歴史、
スウェン・ヘディン樓蘭発現 殘紙・木牘書法選日本書道教育会議、昭63、2冊 に収録

posted by 山科玲児 at 09:56| Comment(0) | 日記