2019年05月15日

コンドリーザ・ライスの弟子


キロン・スキナー局長

は、ハーヴァードで、
あのブッシュ政権で
国務長官をやった有能な超秀才コンドリーザ・ライスの生徒だったそうだ。

ただ、年齢は5、6歳しか離れていない。ライスが若くして教授職を勤めていたころだろう。



posted by 山科玲児 at 18:24| Comment(0) | 日記

Wedgeと斎藤 彰の隠蔽


「米中対立」めぐる米高官の人種偏見発言
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190514-00010000-wedge-int&p=1

という記事を、斎藤 彰 (ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長)が書いています。

ところが、キロン・スキナー局長は、アフリカ系米国人女性なんですけどねえ。
https://www.state.gov/r/pa/ei/biog/287394.htm
https://en.wikipedia.org/wiki/Kiron_Skinner

アフリカ系女性が言ってるとバレると、まずいので、Wedgeと斉藤氏は隠蔽してるみたいですね。
そういや、ワシントン・ポストも隠蔽していたなあ。

斎藤 彰氏ってどういう人かな?と思って調べてみたら、
斎藤 彰氏の「定年からは中国で働く」 中経出版 (2006/1/31)についている著者紹介から、、
>
2005年に、中国人弁護士の経営する上海慧元法律事務所(日本語名:ジョイ・ハンド法律事務所)に転職。現在は、職員の全般管理と、財務、営業、日系企業に対するリーガルサービスの提供、翻訳文(中国語から日本語へ)の作成や日系企業への挨拶文の作成指導などを担当し、上海での自炊生活を楽しみながら、忙しい毎日を送っている

なるほど、これじゃ「媚中」のポジショントークせざるをえないだろうなあ。。

posted by 山科玲児 at 11:13| Comment(0) | 日記

製紙法の西漸とタラス河畔の戦い 続

白檀P1100558.jpg


製紙法の西漸とタラス河畔の戦い は関係ないとする
ブルーム(Jonathan M. Bloom)の新説の3つの論拠の中の残りの2つは、
1.文献が相互に一致していない
2.タラス河畔の戦い 以前の中央アジアでの紙使用がある
でした。
1.については1200年以上前の事実についての、中国と中東という離れた歴史記述にしては、結構相互に類似しているという評価が正しいと思います。
2.については、紙は輸入品である可能性も高いのでは? それに、ブルームがあげている、サマルカンド近くペンジケント遺跡側のムグ山発掘の文書(722年以前)は「ソグド語・アラビア語・中国語で紙に書いた文書」を含んでいた(ref)。こりゃ輸入品だよな。それにペンジケントはその時点ではイスラム圏ではない。ソグド人の小都市であり、ソグド人はゾロアスター教/マニ教/仏教徒であったはず。とすると、ムグ山の紙が仮に現地・中央アジア生産であったとしても、イスラム圏で生産していたわけではない。
  輸入品があるからといって、そこで生産していたというのは乱暴です。古代ローマでは贅沢品として絹も使われていたようですが、はるばる中国・または中央アジアからの輸入品でありローマで生産していたわけではない。法隆寺献納宝物には、ソグド文字が刻まれた白檀(イメージ 当方撮影)がありますが日本で作ったものではない。

   まあ、これで、ほとんど粉砕されていますが、「タラス河畔の戦い」だけでイスラム圏へ伝来した、というのはちょっと単純化し過ぎでしょう。むしろ、「タラス河畔の戦い」で中央アジア西部を占領し、技術者を多数奴隷として連行した。その人々のなかで、西域で製紙をやっていた技術者がいたので、サマルカンドで製紙工場を開かせた、というのがまあ当たらずと言えずとも遠からず、なのではないか?と思います。
 あるいは、もともと製紙業があったサマルカンド地域を軍事占領したので、紙と製紙技術が全イスラム圏に伝播していった、と解釈するのが妥当でしょう。722年ごろのサマルカンド地域占領戦争ではサマルカンドの住民をほどんど殺戮していて(ref)、「イスラムの寛容」など何もない残虐さ、でしたのでサマルカンド自身の製紙業が仮にあったとしても継承されてはいないと思います。


ref. ヤクボーフスキー、古代ピャンジケント、
加籐九祚  編訳 「西域の秘宝を求めて」, 新時代社, 1969に収録

posted by 山科玲児 at 09:42| Comment(0) | 日記