2019年08月17日

香港デモ 解説

香港デモの背景について
わりと良さそうな解説があったので紹介します。
JETROのサイトにあるものです。

香港「逃亡犯条例」改正反対デモ――香港の「遺伝子改造」への抵抗

posted by 山科玲児 at 09:15| Comment(0) | 日記

ファン・マンデル 黒の過程 ミュンスターの反乱【追加あり】

黒の過程 ユルスナル.jpg





  ファン マンデルの「北方画家列伝」注解,
127pに、

ゾーストの画家・版画家 アルデグレーファーの伝記
という項目がある。

Heinrich Aldegrever
https://en.wikipedia.org/wiki/Heinrich_Aldegrever

という版画家が紹介されているのだが、
「非合法にではあるが一時期ミュンスターの王となったヤン・ファン・ライデンがクニッペドリンク氏とともに描かれた、実に見応えがあり特徴的な作品がある」
と書いてある。これは版画を指すようで、
  一つは
ワシントン国会図書館にある版画 ヤン・ファン・ライデン
https://www.loc.gov/pictures/item/2004665116/
  もう一つは
メトロポリタン美術館にある版画 クニッペドリンク
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/428751

がそれにあたるのだろう。

  ここで、ユルスナールの小説「黒の過程」(イメージ)で読んだ、ミュンスターの悲劇(1535年)を思い出した。妙なところでつながりがあるものだ。ミュンスターというのは現在のオランダ国境のすぐ外にあるドイツの小都市である。

 「黒の過程」のストーリーによると、神の国の建設をはかって、再洗礼派の説教師や預言者たちとそのシンパがミュンスターを占領し宗教国家をつくろうとするが、カトリックの軍隊、新教との軍隊からも攻撃されて大殺戮される、という事件のようである。このときに、信仰のためにミュンスターへ移住してこもった主人公ゼノンの実母が処刑され、実母が再婚した信仰深い義父も直後に死亡する。ユルスナルの記述は守備側の醜悪も暴いて仮借がなく救いがない。千年王国 信仰にもとずくカルト的運動の犠牲なんで、当方もあまり共感同情はできない。当然、小説の中にヤン・ファン・ライデンもクニッペドリンク市長も登場する。
  ミュンスターの反乱の日本語ウィキペヂアの記述

 ファン・マンデルが記述したアルデグレーファー がなんでこの反乱者異端者の指導者たちを描いたのかというと、ミュンスターから8マイルの町ゾーストの画家だったという事情によるもののようである。

  これらの版画が残ったということは、どういうことなんだろう。おまけに ヤン・ファン・ライデンの肖像などは、後世、何度も複製されているようだ。
メトロポリタン美術館にある版画
Jan Muller (Netherlandish, Amsterdam 1571–1628 Amsterdam)が複製したものを更に Frans Carelse (Dutch, 1631–1683 Amsterdam)が複製したもの
Jan van Leiden https://www.metmuseum.org/art/collection/search/428744
信仰の支持者が後世まで大切に保存していたということなんだろうか??
【追加】英文Wikiの解説によるとこれらの版画は、2人が処刑されたあとに、ミュンスターの司教から委嘱されたものということであるが、そんなことがあるのだろうか? 確かに1536年の年紀なので版画そのものは処刑後の制作のようである。しかし、堂々とした肖像画だし、とても敵側から頼まれて制作したものにはみえないのだが、そりゃ身代わりおいて逃げて居た場合の人相書き という意味はあるかもしれないが、まるで2人を賛美しているような立派なものである。ちなみに、1999年にイタリアで書かれたQという小説をはじめとしてミュンスターの事件をとりあげた本は多いようである。【追加おわり】



 どうも、それほど尊敬できる人物にはみえないのだが。。
 ちなみに、ヤン・ファン・ライデンはライデンのヤンという意味で、ライデン生まれということから、貴族風の名称にしたもののようである。黒の過程ではハンス・ボックホルトとややドイツ風の名前で書かれている。ウィキペヂアの記述ではJan Beukelsz, Jan Beukelszoon, John Bockold, John Bockelsonなどの異名が記録されている。
https://en.wikipedia.org/wiki/John_of_Leiden


  画家アルデグレーファー 自体は、ミュンスターで殺されているわけでもなく、長生きしたようだから、カルト信仰の徒ではなかったか、早急にみきりをつけてミュンスターを去ったのだろうとおもう。メトロポリタン美術館には、アルデグレーファーの版画が200点もあるようだ。亡失したものも多いだろうから相当な人気作家だったらしい。当方が観て愛好したくなるものではないが、、ちょっと面白い点をいうとサイン用のモノグラムがアルブレヒト・デューラーのものをまねていることだ、ちょっとみただけだとデューラーのものと間違えやすいようにしている。これは意図的な販売戦略のようである。


 REF カーレル・ファン・マンデル、「北方画家列伝」注解,中央公論美術出版  2014

posted by 山科玲児 at 08:56| Comment(0) | 日記