2019年11月01日

晋写本三国志




中国美術全集 魏晋南北朝書法 1986を安値で古書店で買いました。カバーに多少の痛みはありましたが、ありがたいものです。

この本に、郭沫若が、蘭亭偽作説を展開したときに使った 晋写本三国志 が入っておりました。イメージは部分拡大.
郭氏が使った写本は2つで一つはこれで1965年の出土、もう一つは日本の上野コレクションと台東区書道博物館に分蔵されているもので1924年の出土のものです。文物の目次を呈示しておきます。1972年8期(右イメージ)

上野コレクション本の図版はこちらで紹介
https://reijibook.exblog.jp/13989764/

九州国立博物館の三国志  展
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s56.html
にちなんで、常設展ギャラリーで上野コレクション本
三国志写本の展示を期間限定でやるようです。
令和元年11月12日(火)〜12月22日(日)


郭沫若 説の内容は、この2つは隷書、蘭亭は隷書じゃないから、蘭亭は偽物、という乱暴なものでした。

そもそも、これ隷書なのかな?少なくとも八分じゃないとおもいますけどね。
鐘元常の薦季直表が楷書ならこれらも楷書でしょう。現在ではこういうような北魏の楷書・隋唐の楷書レベルまで標準化されていないものを今隷という呼称にしているようです。

1972年というと、ちょうどこのころ、昭和癸丑蘭亭会の企画が進んでいたころでしょうか? 翌年秋には、 東京では、西川寧 先生が郭氏の意見を斥け、八柱第一本が一番 に近いという講演をなさっていました。
posted by 山科玲児 at 09:43| Comment(0) | 日記

法隆寺金堂火災

法隆寺壁画 被災後.JPG

  首里城の火災の報道に触れて、
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191101/k10012159651000.html

昭和24年1月26日の法隆寺金堂火災を思い出した。イメージは被災後の壁画(ref 著作権  消滅済み)このときは、バックファイヤーがなく、全焼崩壊にはならなかったが、それでも大被害だった。

  このときは、幸か不幸か法隆寺金堂は解体修理中であり、二階以上は存在せず、内部の仏像仏具もなく、飛天の壁画も取り外してあったのが、不幸中の幸いであった。

 原因は、模写画家が使っていた電気座布団だったということである。
 これについては、それ以前に壁画の大部分を大きな乾板に写真にとった便利堂のスタッフが呆れかえっていたという。便利堂のスタッフは写真を撮る前後に電柱に登ってトランスの接続を切ることまでして、防火に努めていた。画家たちの無神経に茫然自失したらしい。

 もっとも、真の原因は、壁画模写を中止しなかったことにある。もともと、この模写事業は、米軍の空襲・戦争の被害を念頭において、複製をとっておくことが目的だった。したがって文部省の事業として行われたわけである。敗戦後、その危険がなくなったので、模写事業は中止すべきであった。当時、物資も少なく、資金も少なく、悪環境だったのだから、当然、そうすべきだったのに、一旦決めたことを意味も無く継続するという、現在まで続く官僚の悪癖のために、火災の原因を作ったのだろう。

ref 便利堂, 法隆寺壁画集, 1951, 京都


posted by 山科玲児 at 07:39| Comment(0) | 日記