2019年12月02日

三国志  展 と中国書道史

丸都山.JPG


九州国立博物館の三国志  展
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s56.html

いってきました。

実は

これににちなんで、常設展ギャラリーでやってる
上野コレクション本 三国志写本を観ることが目的だったのですが、。

三国志  展そのものにも、中国書道史的に面白いものが多かったようで、得した気分です。また写真OKなので一杯撮ってきました。木簡や残紙もありました。

なかでも、魏の武将:毌丘倹(かんきゅうけん)が正始6年に作ったと正史に書かれている石碑の断片:丸都山紀功残碑(がんとさん きこう  ざんぴ  イメージ)は、満州の奉天博物館(遼寧省博物館の前身)にあって、中西慶爾 氏が、それだけを目当てに訪ねたというものなので(ref1)、嬉しい誤算でした。

毌丘倹
かんきゅうけん
Guan-qiu Jian; Kuan-ch`iu Chien
[生]?
[没]正元2 (255)
中国,三国時代の魏の官人出身の武将。毌は「ぶ」とも読まれる。明帝に仕え,信頼を得て幽州刺史となり,遼東の公孫氏平定を命じられ,景初2(238)年司馬懿とともに再征して公孫淵を滅ぼした。正始5(244)年,高句麗征伐の命を受けて高句麗の軍を破り,国都丸都城を陥れた。翌年再征して玄菟太守王頎(おうき)に命じて再び高句麗を攻めさせ,王頎の軍は今日の咸興平野を越えて間島にいたった。毌丘倹は帰途その紀功碑を丸都の地に建てたが,20世紀初めその断片が輯安県の板石嶺で発見されたのは有名である。明帝の死後,その後継をめぐって権力者司馬氏と対立して敗れ,暗殺された。



ref1 中西慶爾、書とその風土、木耳社、昭43
posted by 山科玲児 at 07:25| Comment(0) | 日記