カンボジア アンコールワットなどの優れた彫像をどう文章で表現するか?という点で、現代の学者や著述家が、古い本
クメールの彫像 ジャン・ボワスリエ 著/石澤良昭・中島節子 訳 、連合出版 、1986年
の文章や形容詞を多量に借りてきている。このことに気がついたとき、中国書道史でも似たようなことがあったな、と思いおこした。20世紀の日本の本で、有名な作品や碑帖を批評するのに、楊守敬の評碑記、評帖記を借りていることがあまりに多いのは、唖然とするぐらいである。
もとが何か忘れていて定形句として使ってしまうこともあるだろう。例えば、「南宋時代の士大夫の家には1個づつ蘭亭序の刻石を備えた」なんていう話は、何が典拠なのかわからずに皆言っているようだが、どうも蘭亭十三跋が大元らしい(イメージ)。
しかし、なかなかオリジナルな形容はできないものらしいねえ。