2020年05月26日

小林慶一郎

7年も前に、ラインハート・ロゴフ博士たち本人が謝罪会見を開いて誤りを認めた「ラインハート・ロゴフ論文」を平気で根拠にして書ける人間。無知なのか、嘘つきの詐欺師なのか、それとも読者を完全になめきっているのか。

こういう人間が政府の委員会に入って害毒をまき散らしているのは情けない。 




ラインハート・ロゴフ論文」事件については、7年前に書いておいた。

  1. 2013年04月20日  財政破綻論の破綻
  2. 2013年04月23日 財政破綻論の破綻 続報
  3. 2013年04月25日 インチキ論文を引用した経団連・官僚・学者




posted by 山科玲児 at 11:31| Comment(0) | 日記

台北 故宮の 楊守敬 蔵書

観海堂 故宮.JPG

台北でみた、大きな見開きの胡蝶装 南華真経については、思い出すと気になって、

台北 故宮に入っている楊守敬 蔵書の調査記録が確かあったと、探してみた。

 中華民国國立故宮博物院蔵楊氏観海堂善本改題、昭和47年12月、斯道文庫論集

なんと、これ調査し書いた阿部隆一氏は

書物學 第16号は「特殊文庫をひらく」で
https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=18_55&products_id=101018

  高橋智教授がお話されてることでわかったんですが、慶応での高橋智氏の師匠 阿部隆一教授でした。

  ただ、これを読んで荘子部分を細かく調べてみても、やはり該当する本はない。てっきり金沢文庫本を楊守敬が1冊ぐらい入手して、湖北省武昌にもっていったものではないか? と邪推していたんだが、そうではなかった。

台北故宮の楊守敬旧蔵本については、2014年に特別展があったようです。
鄰蘇観海堂院蔵楊守敬蒐集図書特別展_展示概要
展覧期間:2014/06/07~2014/12/14
http://theme.npm.edu.tw/exh103/yangshoujing/ja/ch00.html

しかし、楊守敬の本拠地が、今やウイルスで世界に名がとどろいた武漢だったとはね。

>武昌菊湾の「観海堂書楼」
が書庫だったようです。

武漢は、武昌、漢陽、漢口の三鎮の合体した都市である。
 なお、辛亥革命のはじめは、ここ武昌、からだ。そして、そのときの争乱で楊守敬の蔵書は危なかったのだが、日本人軍事顧問:寺西秀武の進言で、保護されたという。
  
 
posted by 山科玲児 at 05:04| Comment(0) | 日記