2020年05月29日

サラチェーニの下宿人 イン ダブリン

Saraceni Peter.jpg

コロナ禍のための IN HOME  美術鑑賞  にのっかったわけでもないだろうが、


ダブリンのアイルランド国立美術館のサイトが改良されていて、

サラチェーニの下宿人「聖ペテロの否定」(イメージ)が拡大して鑑賞できるようになってました。

これについては、去年詳しく書いてます。
2019年03月02日  サラチェーニの下宿人
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185645068.html 
2019年03月05日  サラチェーニの下宿人とジョルジュ・ド・ラトゥール
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185659097.html
  



posted by 山科玲児 at 08:46| Comment(0) | 日記

スタンレー・ホー逝去



 マカオのカジノ王の大富豪;スタンレー・ホー氏が亡くなった。98歳。

 中国共産党が香港を暴力制圧する法律を決めた直後、コロナ禍でカジノが閉鎖の時期に亡くなったというのも、なんとも象徴的ではある。

しばしば噂に上る大富豪であるが、

Pioneers of Modern China: Understanding the Inscrutable Chinese
著者: Khoon Choy Lee

 によると、興味深いファミリーの出身で波瀾万丈の生涯である。
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アヘン戦争の立役者、ジャーデン・マチソン商会の中国での大物コンプラドール:Sir Robert Ho Tung(ロバート・ホートン郷)が大叔父だった。スタンレー・ホーの父は、インド生まれのユダヤ系イラク人のサッスーン・ファミリーの一人であった。サッスーン・ファミリーは1870年代には中国でのアヘン取引の4分の3を支配していた。スタンレー・ホーは大富豪の子供として成長した。
  1930年代、スタンレー・ホー(まだ若いが中国人の結婚年齢は早いことが多いから、1930年代末なら問題なさそう)は破産状態になって、妻と子供を香港においたままサイゴン(現在:ホーチミン)に逃げ、母のところに隠れた。日本軍占領時代にはマカオに移り、父を通じたコネをもとに、日本との貿易で1945年までに百万長者になった。スタンレー・ホーは日本語を学び商売に役立てた。
  第二次世界大戦後、マカオでの黄金取引で、更に財をなした。
   1962年、マカオでのギャンブルの独占ライセンスを得て、カジノ事業にのりだす。
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  いやー、すごいね、あのHSBC  ジャーデン・マチソン   サッスーン  ファミリーの一人だったんですね。。
  それに、日本軍に協力して財をなした人じゃん。協力者じゃなけりゃ1945年までに日本との貿易で百万長者になれるわけないでしょ。中国的センスなら「漢奸」として裁かれる人間だよね。マカオにいてよかったねえ。
posted by 山科玲児 at 07:35| Comment(0) | 日記