2020年06月27日

インド洋と絹の道

碧地花文錦7.JPG


今月の東方書店の広報誌『東方』 2020年6−7月 472号 (コロナのため合併号) ですが、

フーナ族のインド侵入とスカンダ・グプタ皇帝〈後〉  小谷仲男(富山大学名誉教授)

がありました。
 この文中に、カーティヤーワール半島  Kathiawar Peninsulaがシルク・ロードの要衝であるということが書いてある。また、スリランカ経由の航路が5世紀ぐらいからでてきたので、陸路が衰えたのではないか??という疑念を書かれているが、それは違うと思います。それは、下記のような事情があるからです。1999年ごろに書いた文章なんですが、再掲しておきます。
 ただ、カーティヤーワール半島 から海路で紅海(エリュトラ海)やペルシャ湾(バスラ)へ行く航路ぐらいなら、それほどの劣化はなかったとすると、 L.ブルノアの意見も折衷できるように思います。寧波から日本ぐらいの航海なら、イメージの正倉院の碧地花文錦(琵琶袋)のように、なんとか無事にたどり着く場合もあったようだしね。

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海のシルクロードがあるのに、なぜ、砂漠の道が15世紀以降まで 機能していたのでしょうか? 海が危険といっても、陸路だって十分危険です。1船団が広東からローマまで いく必要はない。陸路と同様に各国の商人が中継すればいいことです。 大量の荷物が運べ中継地が少なくてすむ点では、陸路の比ではありません。

国立博物館ニュースNo.28,1949/9/1,美術品とカビ 理学博士:大槻虎男、談; 「日本から生糸を輸出するのに、カビの害にはずいぶん苦杯をなめたことが あって、今は非常に注意しています。湿気が入らないような金属の箱に密閉して、 そして輸出するんです。そうしないとインド洋あたりで船倉の中でカビが生えボロボロ になってしまうのです。」 このせいかもしれません。砂漠ではカビはまず生えないでしょう。 アスターナの墓や、敦煌からは、びっくりするくらい保存のよい絹製品が発見 されています。 唐代の記録でも、船倉に浸水する話や、 東南アジアの港で何ヵ月も風待ちする話がでてくる。真空パックしないと たちまちカビや虫の餌食だろう。 L.ブルノアは「考古学上の発掘のおかげで、われわれは 北東インドを経て華南から来た産物と中央アジアを経て華北から来た産物を区別することができる。1世紀の終わり頃、地中海諸国に輸入された絹の大部分は海路運搬 されたものされたものであってペルシャを経由する陸路ではなかった。」 といっているが、 カビの被害をどうクリアしたのだろう。もしクリアしたなら、 「砂漠の道」は1800年前に輸送コスト競争に負けて、 干上がったはずです。インドにはいる陸路は2つもある 。陸路で運ばれた絹が、更に積出されたのでしょう。 どうも思い違いがあるようです。
・リュセット・ブルノア「シルクロード」河出書房新社,1980,原著は1963,Paris

posted by 山科玲児 at 09:38| Comment(0) | 日記