2021年01月29日

逃げ上手の若君 と 神人

春日権現験記 vol2.JPG
  北条時行が主人公のジャンプマンガ『逃げ上手の若君』(松井優征作品)では、後醍醐天皇が、きっと、6(シックス)【魔人探偵脳噛ネウロのラスボス】のようなキャラクターで出るのではないかと、期待している。
  花山院、白河院、後白河など、スキャンダラスで邪悪とさえいえるような天皇も少なくないのだから、天皇本人のそういう描写は問題ないだろうが、少し後の南北朝対立、正統争いは、ちょっと現皇室の正統性に影響があるので回避したほうがいいだろう。そういや一休禅師は後小松天皇の御落胤という話があったね。
  この時代の武装や服装は多数の絵巻物が残っているので考証に不自由はないと思う。その点では、平安時代とは違う。上イメージは春日権現験記(1310年代)の一部、宇治栗駒山における興福寺衆徒と朝廷の軍勢の戦い、の一部分 。

 ところで、北条時行の保護者の諏訪頼重が、信州諏訪の神官というふれこみだ。これで、中世の歴史を読むと必ず出てきて、現在ではなじみが薄い「  神人(じにん)」という階級/集団を思い出した。僧兵は有名だが、こちらはあまり有名ではない。神社のもとでいろんな業務をする人々なんだが、商業に関わって巨富をえたり、護衛のため武装するので武士集団になったりした。奈良では武士集団がまとめて神社の庇護に入ったりして、武士集団とかわりない状態になったようだ。寺院も神社も封建諸侯のような活動をしている。
 西欧でも修道院が武装していて、修道院というより堅固な山城のような建築が少なくないこと、司教領、修道院領が少なくなかったことを考えると、治安が崩壊した世界では、宗教施設を中心にして武装して生命財産を守るというシステムは、東西ともにかわらないようだ。

posted by 山科玲児 at 09:20| Comment(0) | 日記

温泉銘と米元章

温泉銘detail.jpgniji mifu.jpg


で、
パリのBiblioteque Nationale の  唐  太宗皇帝の温泉銘  拓本を紹介したが、
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b8303120v/f1.item

この素晴らしい画像をつらつらみていたら、あることに気がついた。

米元章(米フツ)の書法のルーツは温泉銘じゃないのか??

上イメージで「虹」の字など、そうとう似てる。拓本は温泉銘、墨跡は米元章(米フツ)虹県詩巻(東京国立博物館)
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0099102

温泉銘自体じゃなくても、太宗皇帝の他の行草書を模範/ルーツにしているのが、米書ではなかろうか? 北宋末の宣和書譜には唐太宗皇帝の墨跡が十四種記載され、行草書もある。
米元章(米フツ)の書法は、個性的ですぐわかるし、後世、米元章(米フツ)に影響を受けた人々の書もすぐわかる特色がある。では米は独自に発明したのか?それともなんらかの模範があったのか?ということについては、米自身が書いた文章をもとに、王羲之だ王献之だ晋人だという論説が多い。しかし、ちょっとピンとこないところがあった。
  ここに、実物で比較対照すると、唐太宗皇帝の周囲の書からの影響が強そうである。面白いことに米の著作・記述には唐太宗のことは触れていないようだ(未だ精査してないが)。個性的な天才芸術家というものは、自分が最も影響を受けた人や作品を隠すものだ、とどこかできいたことがある。
  では、太宗はどこから学んだのだろうか? 文献によると、虞世南を先生にしたそうだ。その虞世南の積時帖が、「太宗の書と似てる」と述べたのは、故:伏見冲敬氏であった。この積時帖と温泉銘は確かに似ている(下イメージ  左 虞世南  右  温泉銘から2字あつめた)。積時帖は米元章の臨書だといわれたこともあったが、どうもそれは反対で、
虞世南 → 唐太宗  →米元章

という系譜からくるものだったようだ。

積時帖 積時.jpg

posted by 山科玲児 at 07:31| Comment(0) | 日記