2021年06月05日

マルグリット・ド・ブルゴーニュ

Marguerite_de_Bourgogne.png

  フレマールの画家の正体だとされているロベール・カンパンが裁判にまきこまれたとき、 バイエルン公妃 マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441) が仲裁に入ったという記録がある。これ、なにかすごくおかしなことだと感じていた。なんでバイエルンの大貴族がトルネの町のイザコザに介入するのだろう。まあ大貴族だから、「私の顔で、なんとかよろしく、」、と手紙でも出したのかな、、という話かと思ったら、実は違っていた。

  実は、当時バイエルン公夫妻はオランダベルギーに領地をもち、夫のバイエルン公ヴィルヘルム2世 は、オランダ(ホランド)の城が気に入ってそこに住みっぱなし、エノー地方は、公妃マルグリットが事実上統治していた。トルネはエノーの端っこだから関与したということらしいバイエルン公夫妻さん、、ミュンヘンは放りっぱなしでいいのかなあ。。
  もっとも、公妃マルグリットは 超やり手のブルゴーニュ公 フィリップ豪胆公の娘で、いかにも賢明・世事に長けているという容貌だから、後年のマルグリット ドートリシュのように賢明な統治だったのではないかと思う。マルグリット・ド・ブルゴーニュという名前の女性は複数いるので、ご注意を。検索するとすぐ混乱してしまいます。

 ただ、wikimedia掲載のこの肖像画の出所がはっきりしない。ご存じの方がいればご教示ください。 この肖像画は、古い本に版画で複製されたこともあるようです。
posted by 山科玲児 at 08:12| Comment(0) | 日記