日本書紀の現代語訳本の末尾、解説あとがきに、「資料とされた漢籍もおびただしく、魏志、史記、漢書。。」とあげている。聖徳太子の十七条憲法にもまた、多くの漢籍の参照が指摘されている。
しかし、本当に原典を読んだのだろうか?? 色々考えるに、類書と呼ばれる文例集や漢文読本や、アンチョコ、百科事典、当時の「故事ことわざ辞典」、当時の「現代用語の基礎知識」のようなハウツー本からとったのではないかという疑いをもっている。紫式部の時代まで降ると「史記の講義」というのが宮中では行われていたし、立派な蔵書もあったようだ。菅原道真公あたりは原典をわきにおいていただろうとは、思う。
現代なら諸橋大漢和辞典の引用句を そのまま使うようなものである。実際、稀覯な本では大漢和辞典の用例をもとに遡って確認することが不可能に近いことさえあるので、やむをえない場合もある。
ずっと後世の江戸時代天明年間の浮世絵師 鈴木春信の例もある。浮世絵に引用した和歌の原典は多くの勅撰集をはじめ多数・広範なものなので、なんて学があるんだろう、、と驚嘆していた。ところが実は1部のアンソロジー「明題和歌全集」からとっていたことがわかった。
鈴木春信の浮世絵
詠歌三美人
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0068697
の机の上にある本に明題和歌全集」と題がある(イメージは部分拡大)。
明題和歌全集は、室町初期ころ、成立したと考えられるが、現在のところ、1660s(寛文ころ)、版本で開版されたと推定されている。
国文学研究資料館
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100049543/viewer/1?ln=en